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信仰の欠如に気をつけなさいものみの塔 1998 | 7月15日
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19 助言を聴かないでいると,どのように重大な結果になるかもしれませんか。例を挙げて説明してください。
19 したがって,教訓は,もし「この方の声を聴(か)」ないなら,つまりエホバがみ言葉や忠実な奴隷級を通して与えてくださる助言をいつも無視するようになるなら,ほどなくして心は無感覚になり,かたくなになる,ということです。例えば,未婚の男女が少し親密になりすぎるという場合があります。二人が問題を無視してしまうなら,どうでしょうか。自分たちのしたことを繰り返さないよう守られるでしょうか,それとも,また同じことをしやすくなるだけでしょうか。同様に,奴隷級が,音楽や娯楽などをよく選ぶ必要があることについて助言を述べるとき,わたしたちはそれを感謝して受け入れ,必要なら調整するでしょうか。パウロは,「集まり合うことをやめたり(しない)」よう勧めました。(ヘブライ 10:24,25)そう助言されているにもかかわらず,一部の人はクリスチャンの集会に対して無頓着な見方をします。集会を何回か休んでも,さらには特定の集会には全く出席しなくてもかまわない,と考えるかもしれません。
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信仰の欠如に気をつけなさいものみの塔 1998 | 7月15日
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「心をかたくなにしてはならない」
13 パウロはどんな警告を与えましたか。そして,詩編 95編をどのように適用しましたか。
13 ヘブライ人のクリスチャンの恵まれた立場について考察した後,パウロはこのような警告を与えました。「今日,もしこの方の声を聴いたら,あなた方は,苦々しい怒りを引き起こした時のように,荒野で試した日のように心をかたくなにしてはならない」。(ヘブライ 3:7,8)パウロは詩編 95編から引用していたので,「聖霊が述べ(てい)る」と言うことができました。b (詩編 95:7,8。出エジプト記 17:1-7)聖書は神の聖霊によって霊感を受けたものなのです。―テモテ第二 3:16。
14 イスラエル人はエホバがしてくださった事柄に対してどのように応じましたか。それはなぜですか。
14 イスラエル人はエジプトでの奴隷状態から自由にされた後,エホバとの契約関係に入るという大きな誉れを与えられました。(出エジプト記 19:4,5; 24:7,8)ところが彼らは,神がしてくださった事柄に感謝を示すどころか,すぐに反逆の行動をしました。(民数記 13:25–14:10)どうしてそんなことが起きたのでしょうか。パウロはその理由を指摘しました。彼らの心がかたくなになったからです。しかし,神の言葉に敏感で良い反応を示す心がどうしてかたくなになるのでしょうか。そうしたことを防ぐために何をしなければならないでしょうか。
15 (イ)昔も今も『神の声』はどのように人に伝えられていますか。(ロ)『神の声』に関してどんなことを自問する必要がありますか。
15 パウロはその警告の始めに,「もしこの方の声を聴いたら」という条件文を付しました。神はモーセや他の預言者たちを通してご自分の民に話しかけられました。その後エホバは,み子イエス・キリストを通して話されました。(ヘブライ 1:1,2)今日わたしたちには,完全にそろった神の霊感による言葉,聖書があります。また,「時に応じて」霊的「食物」を与えさせるためにイエスが任命した「忠実で思慮深い奴隷」もいます。(マタイ 24:45-47)ですから,神は今でも話しておられます。では,わたしたちは聴いているでしょうか。例えば,服装や身繕い,あるいは娯楽や音楽の選択についての助言にどのようにこたえ応じているでしょうか。言われている事柄を『聴いて』,つまりそれに注意を払い,従っているでしょうか。もし助言に対して言い訳をしたり,異議を唱えたりする習慣があるなら,心をかたくなにする油断のならない危険に身をさらしていることになります。
16 わたしたちの心はどういう場合にかたくなになり得ますか。
16 わたしたちの心は,もしわたしたちができる事やすべき事を言い訳して拒むなら,やはりかたくなになり得ます。(ヤコブ 4:17)イスラエル人は,エホバがしてくださった事柄すべてを知りながら,信仰を働かせず,モーセに逆らい,カナンについての良くない報告を信じ,約束の地に入ることを拒みました。(民数記 14:1-4)
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信仰の欠如に気をつけなさいものみの塔 1998 | 7月15日
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b パウロは,「メリバ」および「マッサ」に相当するヘブライ語をそれぞれ「言い争い」および「試み」と訳しているギリシャ語セプトゥアギンタ訳から引用したようです。ものみの塔聖書冊子協会発行の「聖書に対する洞察」,第2巻,880ページと975ページをご覧ください。
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