-
エホバを確信とするものみの塔 2003 | 9月1日
-
-
安心感を与える,すばらしい言葉です。宇宙のどこを探しても,わたしたちの愛する天の父以上に信頼できる方はいないのです。とはいえ,箴言のこの言葉を読むのは簡単ですが,実践するのは決して容易ではありません。
19 エホバに依り頼むことの意味を誤解している人は少なくありません。そのような信頼は単なる感情,つまり心のうちに自然とわき上がる一種の至福感である,と考える人がいます。また,神に依り頼むとは,あらゆる困難から神が守ってくださり,あらゆる問題を解決し,日常のあらゆる難題をこちらの望みどおりの結果へと導いてくださる,しかも直ちにそうしてくださると期待するという意味だ,と信じる人さえいるようです。しかし,そうした考えには根拠がありません。信頼は,単なる感情をはるかに超えたものであり,非現実的なものではありません。大人の場合,信頼には,熟考を伴う,道理に基づく決定を下すことが含まれます。
20,21 エホバに依り頼むとはどういうことですか。例えで説明してください。
20 箴言 3章5節にもう一度注目してください。そこでは,エホバに依り頼むことと自分の理解に頼ることが対比され,両方を同時に行なうわけにはゆかないことが示唆されています。これは,自分の理解力を用いてはならないということでしょうか。そうではありません。理解力を与えてくださったエホバは,わたしたちがそれを用いてご自身に仕えることを望んでおられるからです。(ローマ 12:1)とはいえ,わたしたちは何に頼る,つまり何を当てにしているでしょうか。自分の考えがエホバの考えと調和しないとき,はかり知れぬほど勝ったものと認めて神の知恵を受け入れますか。(イザヤ 55:8,9)エホバに依り頼むとは,自分の考えが神の考えに導かれるようにすることを意味します。
21 例えで考えてみましょう。車の後部座席に幼い子どもが座っています。両親は前席におり,父親がハンドルを握っています。ドライブ中に道が分からなくなったり,天候や道路状況が悪くなったりして困ったとき,親を信頼している従順な子どもはどうしますか。後ろの席から大声を上げて,父親に運転方法を指図するでしょうか。両親の決定に異議を唱えたり,シートベルトを締めて座っていなさいという親の指示に逆らったりするでしょうか。いいえ,むしろ,両親がうまく対処してくれると信頼するはずです。不完全な親ではあっても信頼するのです。一方エホバは,父として完全な方です。その方に全面的に依り頼むべきではないでしょうか。難しい事態に陥ったときは特にそうすべきです。―イザヤ 30:21。
-