第13章
メシアの統治のもとでもたらされる救いと歓び
1 イザヤの時代の神の契約の民の霊的状態について説明してください。
イザヤの時代,神の契約の民は霊的にひどい状態にありました。ウジヤやヨタムといった忠実な王が支配している時でさえ,民の中には高き所で崇拝を行なう者が多かったのです。(列王第二 15:1-4,34,35。歴代第二 26:1,4)ヒゼキヤは王になると,バアル崇拝に関連したものをその地から除かなければなりませんでした。(歴代第二 31:1)エホバが,ご自分のもとに帰るよう民を強く促し,与えられようとしている懲罰について警告なさったのも何ら不思議ではありません。
2,3 不忠実さが広まっているとはいえ,神に仕えることを願う人々に,エホバはどんな励ましをお与えになりますか。
2 とはいえ,すべての者が全くの反逆者であったというわけではありません。エホバには忠実な預言者たちがいました。また,そうした預言者たちの言葉に耳を傾けるユダヤ人も幾らかいたようです。そうした人たちには,エホバからの慰めの言葉がありました。預言者イザヤは,アッシリア人が侵入してきた期間中にユダが経験する恐ろしい略奪行為を描写した後,霊感のもとに,聖書全巻の中でも特に美しい部分を書き記しました。それは,メシアの統治のもとでもたらされる数々の祝福に関する描写です。a それらの祝福の幾つかの面は,ユダヤ人がバビロン捕囚から帰還した時に小規模に成就したことが明らかになりました。とはいえ,この預言全体としては,今日,主要な成就を見ます。言うまでもなく,イザヤや同時代の他の忠実なユダヤ人が,それらの祝福を見るまで生き延びることはありませんでした。それでも,そうした人々は信仰を抱いてその祝福を期待していましたし,復活の後にイザヤの言葉の成就を見るでしょう。―ヘブライ 11:35。
3 現代のエホバの民も励ましを必要としています。この世の道徳上の価値観の急速な低下,王国の音信に対する悪意に満ちた反対,自分自身の弱さなどが,エホバの民すべてにとって試練となっています。メシアとその統治に関するイザヤのすばらしい言葉は,神の民がそうした試練に対処するための力また助けとなります。
メシア ― 有能な指導者
4,5 イザヤはメシアの到来に関して何を預言しましたか。マタイはイザヤの言葉をどう適用したようですか。
4 イザヤの時代より何世紀も前に,ヘブライ語聖書の他の筆者たちは,エホバがイスラエルに遣わす真の指導者であるメシアの到来を指摘していました。(創世記 49:10。申命記 18:18。詩編 118:22,26)ここでイザヤを通して,エホバはさらに詳細な点を付け加えられます。イザヤはこう書いています。「エッサイの切り株から必ず小枝が出る。その根から出る新芽はよく実を結ぶであろう」。(イザヤ 11:1。詩編 132:11と比較してください。)「小枝」と「新芽」という表現はいずれも,メシアがダビデを通してエッサイの子孫となることを示しています。ダビデはエッサイの子であり,油をそそがれてイスラエルの王として任命されました。(サムエル第一 16:13。エレミヤ 23:5。啓示 22:16)真のメシアが到来する時,ダビデの家から出るこの「新芽」は良い実を産み出すことになっています。
5 約束のメシアはイエスです。福音書筆者マタイは,イエスが「ナザレ人」と呼ばれることは預言者たちの言葉の成就であると述べた時,それとなくイザヤ 11章1節の言葉に触れていました。イエスはナザレの町で育ったのでナザレ人と呼ばれましたが,ナザレ人という名称は,イザヤ 11章1節で「新芽」という意味で用いられているヘブライ語と関係があるようです。b ―マタイ 2:23,脚注。ルカ 2:39,40。
6 メシアはどんな支配者になると預言されていますか。
6 メシアはどんな支配者になるのでしょうか。北のイスラエル十部族王国を滅ぼす残忍で片意地なアッシリア人のようになるのでしょうか。そのようなことはありません。メシアに関して,イザヤはこう述べます。「彼の上にエホバの霊が必ずとどまる。それは知恵と理解の霊,計り事と力強さの霊,知識とエホバへの恐れの霊である。エホバへの恐れに彼の楽しみがあるであろう」。(イザヤ 11:2,3前半)メシアは油そそがれますが,それは油ではなく神の聖霊によって行なわれます。そのことはイエスのバプテスマの際に生じます。その時,バプテスマを施す人ヨハネは,神の聖霊がはとの形をとってイエスの上に下るのを見ます。(ルカ 3:22)エホバの霊がイエスの『上にとどまり』,イエスは知恵と理解と計り事と力強さと知識をもって行動して,それを証明します。支配者として何と優れた特質を備えているのでしょう。
7 イエスは忠実な追随者たちにどんな約束をしましたか。
7 イエスの追随者たちも聖霊を受けることができます。イエスはご自分の講話の中で,こう言明されました。「あなた方が,邪悪な者でありながら,自分の子供に良い贈り物を与えることを知っているのであれば,まして天の父は,ご自分に求めている者に聖霊を与えてくださるのです」。(ルカ 11:13)ですから,わたしたちは神に聖霊を求めることを決してためらうべきではありません。また,その霊の健全な実である「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制」を培うことをやめてはなりません。(ガラテア 5:22,23)エホバは,「上からの知恵」を求めるイエスの追随者たちの願いを聞き届け,生活上の試練に首尾よく対処できるよう助ける,と約束しておられます。―ヤコブ 1:5; 3:17。
8 イエスはどのようにエホバへの恐れを楽しみとしますか。
8 メシアが示すエホバへの恐れとはどんなものですか。もちろん,イエスが神からの有罪宣告を恐れて神を怖がることはありません。むしろメシアは,神に対する恭しい畏敬の気持ち,愛のこもった崇敬の念を抱いているのです。神を恐れる人は,イエスのように常に『神の喜ばれることを行ない』たいと願います。(ヨハネ 8:29)イエスは言葉と手本により,エホバへの健全な恐れを抱いて日々歩むことに勝る喜びはない,ということを教えておられます。
義にかなった,憐れみ深い裁き主
9 クリスチャン会衆内の問題を裁くよう求められる人にとって,イエスはどんな手本となっていますか。
9 イザヤはメシアの特性について,さらにこう予告します。「彼は目で見る単なる外見によって裁くのでも,ただ耳で聞くことにしたがって戒めるのでもない」。(イザヤ 11:3後半)あなたが法廷に立たねばならないとき,裁判官がこのような人であれば,うれしく思うのではありませんか。全人類の裁き主という立場にあるメシアは,偽りの論議やずる賢い法廷戦術やうわさにも,裕福さなどの表面的な要素にも惑わされることはありません。欺まんを見破り,好ましくない外見の背後にあるものを見抜き,「心の中の秘められた人」,あるいは「隠された人」を見分けます。(ペテロ第一 3:4,脚注)イエスのすばらしい手本は,クリスチャン会衆内の問題を裁くよう求められる人すべてにとって模範となります。―コリント第一 6:1-4。
10,11 (イ)イエスはどんな仕方で追随者たちを矯正しますか。(ロ)イエスは邪悪な者たちにどんな裁きを下しますか。
10 メシアのすばらしい特質は,裁定にどんな影響を与えるでしょうか。イザヤはこう説明します。「立場の低い者たちを必ず義をもって裁き,地の柔和な者たちのために必ず廉直さをもって戒めを与える。また,必ずその口のむち棒をもって地を打ち,その唇の霊をもって邪悪な者を死に至らせるであろう。そして義は必ずその腰間の帯となり,忠実はその腰の帯となる」。―イザヤ 11:4,5。
11 イエスは,追随者たちが矯正を必要とする時に,最大の益となる仕方で矯正を与えます。それはクリスチャンの長老にとって優れた手本です。一方,悪を習わしにする者たちには,厳しい裁きが待っています。神がこの事物の体制に釈明を求めるとき,メシアは権威のある声をもって「地を打ち」,邪悪な者すべてに対して滅びの裁きを言い渡すでしょう。(詩編 2:9。啓示 19:15と比較してください。)最終的に,人類の平和を乱す邪悪な者は一人も残されません。(詩編 37:10,11)腰に,その腰間に義と忠実を帯びたイエスには,そうしたことを成し遂げる力があります。―詩編 45:3-7。
地の状態は変化する
12 バビロンから約束の地へ帰還することを考えるユダヤ人は,どんなことを心配するかもしれませんか。
12 ユダヤ人はエルサレムに戻って神殿を再建するように,というキュロスの布告を知ったばかりの,一人のイスラエル人を思い描いてみてください。その人は,バビロンでの安全を後にして,故国への長旅をするでしょうか。イスラエルの地は,70年間放置されていた間に,雑草の生い茂る,さびれた所となっています。今では,おおかみ,ひょう,ライオン,熊などがうろつき回り,コブラもすみ着いています。帰還するユダヤ人が生き延びるためには,羊や牛の群れから乳や毛や肉を得,牛にすきを引かせるなど,家畜に頼らなければなりませんが,それら家畜は捕食動物のえじきとなってしまうでしょうか。幼い子供たちはへびにかまれるでしょうか。旅の途中で待ち伏せをされる危険についてはどうでしょうか。
13 (イ)イザヤはどんな心温まる情景を描いていますか。(ロ)イザヤが描写している平和には野生動物からの安全以上の事柄が含まれると,どうして分かりますか。
13 イザヤはここで,神がイスラエルの地に生じさせる状態について心温まる情景を描き,こう述べます。「おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,ひょうも子やぎと共に伏し,子牛,たてがみのある若いライオン,肥え太った動物もみな一緒にいて,ほんの小さな少年がそれらを導く者となる。また,雌牛と熊も食べ,その若子らは共に伏す。そしてライオンでさえ,雄牛のようにわらを食べる。そして乳飲み子は必ずコブラの穴の上で戯れ,乳離れした子は毒へびの光り穴の上にその手を実際に置くであろう。それらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない。水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちるからである」。(イザヤ 11:6-9)この言葉は心に訴えるのではないでしょうか。ここに描写されている平和はエホバについての知識の結果としてもたらされる,という点に注目してください。したがって,単なる野生動物からの安全以上の事柄が含まれています。エホバについての知識が動物を変化させることはないでしょうが,人々には影響を及ぼします。故国への旅の途中も,復興された地においても,イスラエル人は野獣も獣のような人間も恐れる必要はないのです。―エズラ 8:21,22。イザヤ 35:8-10; 65:25。
14 イザヤ 11章6-9節には,さらに大きなどんな成就がありますか。
14 とはいえ,この預言にはさらに大きな成就があります。1914年,メシアであるイエスは天のシオンの山で即位しました。1919年,「神のイスラエル」の残っている者たちはバビロンへの捕らわれから解放を経験し,真の崇拝の回復に加わりました。(ガラテア 6:16)その結果,パラダイスに関するイザヤの預言が現代に成就するための道が開かれました。「正確な知識」,つまりエホバについての知識は人々の人格を変えてきました。(コロサイ 3:9,10)以前は暴力的だった人たちが平和を好む人になっています。(ローマ 12:2。エフェソス 4:17-24)こうした物事の進展は,今では何百万もの人々に影響を与えています。それは,イザヤの預言が,急速に数を増す,地的な希望を抱くクリスチャンたちも包含するようになったからです。(詩編 37:29。イザヤ 60:22)それらのクリスチャンは,全地が神の当初の目的どおり,安全で平和なパラダイスとして回復される時を待ち望むようになりました。―マタイ 6:9,10。ペテロ第二 3:13。
15 イザヤの言葉が新しい世で文字どおりの成就を見ると期待するのは理にかなったことですか。説明してください。
15 その回復されたパラダイスにおいて,イザヤの預言は,別の,恐らくいっそう文字どおりの成就を見るのでしょうか。そう考えるのは理にかなったことであると思われます。その預言は,メシアの支配のもとで生活するすべての人に,帰還するイスラエル人に与えたのと同じ保証を与えます。つまり,その人たちも子どもたちも,人間であれ動物であれ,何かから害を受けるのではないかとおびえることはないという保証です。メシアの王国支配のもとで,地の住民はみな,アダムとエバがエデンで享受したような平和な状態を楽しみます。もちろん聖書は,エデンでの生活がどんなものだったか,あるいはパラダイスでの生活がどのようになるかについて,詳細な点をすべて明らかにしてはいません。それでもわたしたちは,王イエス・キリストの賢明で愛のある支配のもとで,すべての物事がまさに本来の状態になることを確信できます。
メシアによって回復される清い崇拝
16 西暦前537年に,何が神の民のための旗じるしとして立ちましたか。
16 清い崇拝はまずエデンにおいて,サタンが首尾よくアダムとエバをそそのかしてエホバに背かせた時に攻撃を受けました。今日に至るまで,サタンは,できる限り多くの人を神から引き離すという目標を捨てていません。しかし,エホバは清い崇拝が地から消え去ることなど許されません。み名が関係しており,神はご自分に仕える者のことを気遣っておられます。それで,イザヤを通して次のような顕著な約束をされます。「その日には,もろもろの民のための旗じるしとして立ち上がるエッサイの根がある。諸国の民は物を問い尋ねようとして彼のもとに向かい,その休み場は必ず栄光に満ちる」。(イザヤ 11:10)西暦前537年に,ダビデによってかつて首都とされていた都市エルサレムは旗じるしの役割を果たし,帰還して神殿を再建するよう,散らされていたユダヤ人の忠実な残りの者を呼び集めました。
17 1世紀,そしてわたしたちの時代に,イエスはどのように『諸国民を支配するために起こり』ましたか。
17 しかし,この預言はそれ以上のことを指し示しています。すでに考慮したとおり,この預言は,すべての国の民にとって唯一まことの指導者であるメシアによる支配を指し示しています。使徒パウロはイザヤ 11章10節を引用し,自分の時代に諸国民がクリスチャン会衆の一員となることを示しました。その聖句をセプトゥアギンタ訳から引用し,こう書いています。「イザヤは言います,『エッサイの根があり,諸国民を支配するために起こる者がいる。諸国民は彼に希望を置くであろう』」。(ローマ 15:12)さらに,この預言はもっと先のわたしたちの時代,つまり諸国民がメシアの油そそがれた兄弟たちを支持することによってエホバに対する愛を示す時にまで及びます。―イザヤ 61:5-9。マタイ 25:31-40。
18 わたしたちの時代に,イエスはどのように集結点となってきましたか。
18 現代の成就において,イザヤの言う「その日」は,1914年にメシアが天の神の王国の王として即位した時に始まりました。(ルカ 21:10。テモテ第二 3:1-5。啓示 12:10)その時以来,イエス・キリストは,霊的なイスラエルおよび義の政府を切望するすべての国の民にとって,明確な旗じるし,もしくは集結点となってきました。メシアの指導のもと,王国の良いたよりはイエスの予告のとおり,あらゆる国民に伝えられてきました。(マタイ 24:14。マルコ 13:10)この良いたよりは強力な影響を及ぼします。「すべての国民……の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」は,油そそがれた残りの者の行なう清い崇拝に加わることによってメシアに服しています。(啓示 7:9)多くの新しい人たちが続々と,エホバの霊的な「祈りの家」にいる残りの者の仲間になるにつれ,メシアの「休み場」つまり神の偉大な霊的神殿に,いっそうの栄光がもたらされています。―イザヤ 56:7。ハガイ 2:7。
一致した民がエホバに仕える
19 エホバは2回にわたってどんな時に,全地に散らされているご自分の民の残りの者を回復されますか。
19 次にイザヤはイスラエル人に,かつて強力な敵の圧制に直面していた時にエホバが救いを備えてくださったことを思い起こさせます。イスラエルの歴史のその部分,つまりエホバがエジプトでの捕らわれからイスラエルを解放されたことは,すべての忠実なユダヤ人にとって貴重な思い出となっています。イザヤはこう書きます。「その日,エホバは再び,二度目に手を差し伸べて,アッシリア,エジプト,パトロス,クシュ,エラム,シナル,ハマト,海の島々から残っているご自分の民の残りの者を得るのである。また,諸国の民のために必ず旗じるしを掲げ,イスラエルの追い散らされた者たちを集め,ユダの散らされた者たちを地の四方の果てから集められる」。(イザヤ 11:11,12)エホバはあたかも手を取るかのように,イスラエルとユダ両方の忠実な残りの者を,散らされていた諸国から導き出し,安全に故国に戻されます。それは西暦前537年に小規模に生じますが,大規模な成就はなおいっそう栄光に満ちたものとなります。1914年,エホバは,即位したイエス・キリストを『諸国民のための旗じるし』として掲げました。1919年に,「神のイスラエル」の残っている者たちは,神の王国のもとで清い崇拝に加わりたいという熱意を抱き,この旗じるしのもとに群がり始めました。この類例のない霊的国民は,「あらゆる部族と国語と民と国民の中から」やって来ます。―啓示 5:9。
20 神の民はバビロンから帰還して,どんな一致を楽しみますか。
20 イザヤはここで,この回復された国民の一致を描写します。北の王国をエフライム,南の王国をユダと呼び,こう言います。「エフライムのねたみは必ず去り,ユダに敵意を示す者たちも断ち滅ぼされるであろう。エフライムもユダをねたまず,ユダもエフライムに敵意を示さない。そして彼らは西のフィリスティア人の肩に飛びかかり,共に東の子らを強奪するであろう。エドムとモアブは彼らがその手を突き出すところの者となり,アンモンの子らは彼らの臣民となる」。(イザヤ 11:13,14)バビロンから帰還するユダヤ人は,もはや分裂した二つの国家ではありません。イスラエルの全部族の成員が一致して自分たちの土地に戻ります。(エズラ 6:17)もはや恨みや敵意を示し合うことはありません。一致した民として,近隣諸国の中にいる敵たちに対して勝利者の立場を得るでしょう。
21 今日の神の民の一致はどのようにまさに際立っていますか。
21 「神のイスラエル」の一致はさらに印象的です。霊的なイスラエルの象徴的な12部族は,ほぼ2,000年にわたって,神および霊的な兄弟姉妹に対する愛に基づく一致を楽しんできました。(コロサイ 3:14。啓示 7:4-8)今日,エホバの民は,霊的イスラエル人も地的な希望を抱く人々も,メシアの支配のもとで平和と世界的な一致を楽しんでいます。それはキリスト教世界の諸教会では考えられない状態です。エホバの証人は,自分たちの崇拝を妨害しようとするサタンの努力に対して一致した霊的な戦線を張り,一つの民として,メシアの王国の良いたよりをすべての国で宣べ伝えて教えるようにとの,イエスからゆだねられた務めを果たしています。―マタイ 28:19,20。
障害物を乗り越える
22 エホバはどのように『エジプトの海の舌を切り断ち』,『川に手を振り』ますか。
22 文字どおりのものであれ比喩的なものであれ,イスラエル人が流刑から帰還するのを妨げる数多くの障害物があります。それらをどのように乗り越えるのでしょうか。イザヤはこう言います。「エホバはエジプトの海の舌を必ず切り断ち,その霊の勢いによって川に手を振る。また,必ずそれをその七つの奔流において打ち,民をまさにサンダルを履いて歩かせる」。(イザヤ 11:15)神の民が帰還する上での妨害物すべてを,エホバが取り除いてくださいます。紅海の舌のような圧倒的な障害物(例えばスエズ湾)も,強大なユーフラテス川のように越すことのできない障害物も,いわば干上がって,サンダルを脱がずに渡れるようになるのです。
23 どのように『アッシリアから街道が生じ』ますか。
23 モーセの時代にエホバは,イスラエルがエジプトから脱出して約束の地へ行進するための道を備えました。このたびは,それと似た次のようなことをなさいます。「残っているその民の残りの者のために,アッシリアから必ず街道が生じる。イスラエルがエジプトの地から上って来た日に,彼のためにそれが生じたように」。(イザヤ 11:16)エホバは,帰還する流刑者たちを,まるで流刑地から故国に至る街道を歩いているかのように導かれます。反対者たちは帰還を止めようとするでしょうが,神エホバが帰還者と共におられます。今日の油そそがれたクリスチャンとその仲間たちも,同様に悪意に満ちた攻撃を受けますが,勇気を持って前進します。現代のアッシリアであるサタンの世から出てきた彼らは,同じ行動を取るよう他の人たちを助けます。清い崇拝が成功を収め,栄えることを知っているのです。それは人の業ではなく,神の業です。
メシアの臣民は終わりのない歓びを味わう!
24,25 エホバの民は賛美と感謝のどんな表現をもって叫びますか。
24 次いでイザヤは,神の言葉の成就に関するエホバの民の歓喜を,喜びに満ちた言葉遣いで描写し,こう述べます。「その日,あなたは必ず言うであろう,『エホバよ,わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしに対していきり立たれましたが,あなたの怒りは徐々に去り,あなたはわたしを慰めてくださいました』」。(イザヤ 12:1)エホバが,道に外れたご自分の民に与える懲らしめは厳しいものです。しかしそれは,その国民と神との関係を修復して清い崇拝を回復するという目的を果たします。エホバは忠実な崇拝者たちに,最終的には救いを施すと述べて安心させておられます。崇拝者たちが感謝を言い表わすのも当然です。
25 回復されたイスラエル人はエホバに対する確信を全きものとし,こう叫びます。「『見よ,神はわたしの救い。わたしは信頼し,怖れない。ヤハ,エホバはわたしの力,わたしの偉力であり,わたしの救いとなってくださったからである』。あなた方は歓喜して,必ず救いの泉から水をくむであろう」。(イザヤ 12:2,3)2節で「偉力」と訳されているヘブライ語は,セプトゥアギンタ訳では「賛美」となっています。崇拝者たちの口から,「ヤハ,エホバ」による救いに関する賛美の歌がほとばしり出るのです。エホバという名の省略形である「ヤハ」は,聖書中で,高揚した賛美や感謝の感情を伝えるために用いられています。「ヤハ,エホバ」という,神のみ名を二度繰り返す表現を用いることにより,神に対する賛美がいっそう強められています。
26 今日,だれが諸国民の中で神の行ないを知らせていますか。
26 エホバの真の崇拝者たちが喜びを自分たちだけのものにすることはありません。イザヤはこう予告します。「その日,あなた方は必ず言う,『あなた方はエホバに感謝せよ! そのみ名を呼び求めよ。もろもろの民の中にその行ないを知らせよ。そのみ名の高く上げられることを語り告げよ。エホバに調べを奏でよ。見事にことを行なわれたからだ。これは全地に知らされている』」。(イザヤ 12:4,5)1919年以来,油そそがれたクリスチャンは ― 後には,「ほかの羊」という仲間の助けも受けて ―『闇からご自分の驚くべき光の中に呼び入れてくださった方の卓越性を広く宣明して』きました。それらクリスチャンは,この目的のために取り分けられた「選ばれた種族,……聖なる国民」です。(ヨハネ 10:16。ペテロ第一 2:9)油そそがれた者たちは,エホバの聖なるみ名が高く上げられることを宣明し,み名を全地に知らせる業に加わっています。エホバの崇拝者すべての先頭に立って,救いのための神の備えを歓びとしています。イザヤが声を大にしてこう述べるとおりです。「シオンに住む者よ,甲高く叫び,喜びの叫びを上げよ。イスラエルの聖なる方はあなたの中にあって大いなる方だからである」!(イザヤ 12:6)イスラエルの聖なる方とは,ほかならぬエホバ神のことです。
確信を抱いて将来を待ち望みなさい
27 クリスチャンは希望の実現を待ちつつ,何に確信を置いていますか。
27 今日,何百万もの人々が,「もろもろの民のための旗じるし」,つまり神の王国で王座に就いたイエス・キリストのもとに群がってきました。その人々は神の王国に服すことを歓びとし,エホバとみ子を知ることに興奮を覚えています。(ヨハネ 17:3)一致したクリスチャンの仲間との交友から大きな幸福を感じ,エホバの真の僕たちの特徴である平和を維持するよう懸命に努力しています。(イザヤ 54:13)ヤハ,エホバが約束を果たす神であることを得心し,希望に確信を置き,その希望を他の人に分かつことを大きな喜びとしているのです。エホバの崇拝者各人がこれからも力を尽くして神に仕え,そうするよう他の人を助けてゆけますように。すべての人がイザヤの言葉を心に留め,エホバのメシアを通してもたらされる救いを歓びとしますように。
[脚注]
b ヘブライ語で「新芽」はネーツェルであり,「ナザレ人」はノツリーです。
[158ページの図版]
メシアはダビデ王を通してエッサイから出た「小枝」である
[162ページ,全面図版]
[170ページの図版]
死海文書のイザヤ 12章4節と5節(目立たせている箇所が神のみ名)