第21章
エホバのみ手は高く上がる
1 イザヤがエホバに対して正しい認識を抱いているのはなぜですか。
イザヤはエホバを深く愛し,エホバを賛美することを喜びとしており,高らかにこう言います。「エホバよ,あなたはわたしの神です。わたしはあなたを高め,あなたのみ名をたたえます」。イザヤが創造者に対してこれほど優れた,正しい認識を抱けるのはなぜでしょうか。おもに,エホバとエホバの活動に関する知識を持っているからです。その知識は,イザヤが続けて述べる,「あなたはくすしいことを,初めの時代からの計り事を,忠実さのうちに,信頼性をもって行なわれたからです」という言葉に表われています。(イザヤ 25:1)昔のヨシュアと同様,イザヤは,エホバが忠実で信頼できる方であり,その「計り事」,つまり目的とされる事柄はみな実現する,ということを知っているのです。―ヨシュア 23:14。
2 イザヤはここで,エホバのどんな計り事を述べますか。この計り事は何に対するものであると思われますか。
2 エホバの計り事には,イスラエルの敵たちに対する神の裁きの宣告も含まれます。イザヤはここで,そうした宣告の一つを述べ,こう言います。「あなたは都市を石の山に,防備の施された町を崩れゆく廃虚に,よそ者の住まいの塔を都市ではないもの,定めのない時に至るまで建て直されることのないものとされ(ました)」。(イザヤ 25:2)名の挙げられていないこの都市は,どの都市でしょうか。イザヤはモアブのアルについて述べているのかもしれません。モアブは長いあいだ神の民と敵対関係にあります。a あるいは,別の,より強固な都市,バビロンについて述べているのかもしれません。―イザヤ 15:1。ゼパニヤ 2:8,9。
3 エホバに敵する者たちはどのようにエホバの栄光をたたえますか。
3 エホバに敵する者たちは,自分たちの強固な都市に対する神の計り事が実現する時,どのように反応するでしょうか。「強い民である者たちはあなたの栄光をたたえます。圧制的な諸国民の町,彼らはあなたを恐れ(ま)す」。(イザヤ 25:3)全能の神に敵する者たちが神を恐れるようになるのは分かります。しかし,どのようにして神の栄光をたたえるのでしょうか。自分たちの偽りの神々を捨て,清い崇拝を行なうようになるのでしょうか。そうしたことはまず考えられません。むしろ,ファラオやネブカドネザルのように,エホバが圧倒的に優位であることを認めざるを得なくなって初めてエホバの栄光をたたえるのです。―出エジプト記 10:16,17; 12:30-33。ダニエル 4:37。
4 今日,どんな「圧制的な諸国民の町」が存在しますか。どのようにして,その町さえエホバの栄光をたたえざるを得なくなりますか。
4 今日,「圧制的な諸国民の町」とは,「地の王たちの上に王国を持つ大いなる都市」,すなわち偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」のことです。(啓示 17:5,18)その帝国の主要部分はキリスト教世界です。キリスト教世界の宗教指導者はどのようにエホバの栄光をたたえるのでしょうか。神の証人たちのために神が成し遂げたくすしい事柄を渋々認めることによって,栄光をたたえるのです。とりわけ1919年,エホバが,大いなるバビロンへの霊的な捕らわれから解放されたご自分の僕たちを精力的な活動へと回復させた時,それら指導者たちは「恐れ驚いて天の神に栄光を帰し」ました。―啓示 11:13。b
5 エホバは,ご自分に絶対の確信を寄せる人々をどのように保護されますか。
5 エホバは,敵する者たちの目には恐ろしく映りますが,神に仕えることを願う柔和で謙遜な人たちにとっては避難所です。宗教的また政治的な圧制者たちは,真の崇拝者たちの信仰を砕こうとしてどんな手段を用いようとも,失敗します。真の崇拝者たちがエホバに絶対の確信を寄せているからです。最終的に神は,焼けつく砂漠の日ざしを雲で覆い隠すかのように,また打ちつける雨あらしを壁でさえぎるかのように,わけなく反対者たちを沈黙させます。―イザヤ 25:4,5をお読みください。
『すべての民のための宴』
6,7 (イ)エホバはどんな宴を,だれのために設けますか。(ロ)イザヤが預言した宴は何を予表していますか。
6 エホバは愛ある父親のように,ご自分の子供たちを保護するだけでなく,養い,特に霊的な面でそうされます。1919年にご自分の民を自由にした後,神は彼らの前に勝利の宴を設け,霊的な食物をあふれんばかりに供給されました。こう書かれています。「万軍のエホバはすべての民のために,この山で,油を十分に用いた料理の宴を必ず催される。それは,滓の上にたくわえられたぶどう酒,髄と共に油を十分に用いた料理,滓の上にたくわえられ,こされたぶどう酒の宴である」。―イザヤ 25:6。
7 この宴はエホバの「山」で設けられます。この山とは何でしょうか。それは,「末の日に」すべての国の民が流れのように向かう「エホバの家の山」です。また,それはエホバの「聖なる山」であり,その山にいる神の忠実な崇拝者たちは害することも損なうこともしません。(イザヤ 2:2; 11:9)この高められた崇拝の場所で,エホバは忠実な者たちのために豊潤な宴を設けておられるのです。そして,現在そのように惜しみなく供給されている霊的な良いものは,神の王国が人類の唯一の政府となる時に備えられる物質的な良いものを予表しています。その時,もはや飢えることはありません。「地には穀物が豊かに実り,山々の頂であふれんばかりに実ります」。―詩編 72:8,16。
8,9 (イ)人類の大きな敵であるどんな二つのものが取り除かれますか。説明してください。(ロ)神はご自分の民からそしりを取り除くため,何を行なわれますか。
8 神の備える霊的な宴に今あずかっている人たちには,輝かしい見込みがあります。イザヤの次の言葉に注目してください。罪と死を,人を窒息させる「織物」あるいは「覆い」に例えて,こう述べています。「神はこの山で,すべての民を覆い包んでいる覆いの顔と,すべての諸国民の上に織り合わされている織物を必ず呑み込まれる。神は実際に死を永久に呑み込み,主権者なる主エホバはすべての顔から必ず涙をぬぐわれる」。―イザヤ 25:7,8前半。
9 そうです,もはや罪も死もないのです。(啓示 21:3,4)さらに,エホバの僕たちが何千年にもわたって耐え忍んできた偽りのそしりも除き去られます。「ご自分の民のそしりを全地から取り去られる。エホバご自身がそう語られたからである」。(イザヤ 25:8後半)これはどのように生じるのでしょうか。エホバは,そうしたそしりの源であるサタンとその胤を取り除かれるのです。(啓示 20:1-3)その時,神の民が感動して次のように叫ぶのももっともです。「見よ,これがわたしたちの神である。わたしたちは神を待ち望んだので,神はわたしたちを救ってくださる。これがエホバである。わたしたちはこの方を待ち望んだ。わたしたちは喜びに満ち,その救いを歓ぼう」。―イザヤ 25:9。
ごう慢な者たちは卑しめられる
10,11 エホバはモアブをどのように厳しく扱おうとしておられますか。
10 エホバは,それら謙遜さを表わすご自分の民を救われます。ところが,イスラエルの隣国モアブは誇り高く,エホバは誇りを嫌悪されます。(箴言 16:18)そのため,モアブは辱められることになっています。「エホバのみ手がこの山にとどまる……。モアブは,わらのたい積が肥溜めで踏みつけられるときのように,自分の場所で必ず踏みつけられる。そして泳ぐ者が泳ぐために平手を伸べて打つように,神はその中で平手を伸べて必ず打ち,ご自分の手のこうかつな動きによって必ずそのごう慢さを卑しめられる。また,あなたの安全な高い城壁のある,防備の施された都市を必ず低くされる。それを卑しめ,それを地に触れさせ,塵に至らせるのである」。―イザヤ 25:10-12。
11 エホバの手が,保護するために,神の聖なる山に『とどまり』ます。一方,ごう慢なモアブは平手打ちされ,「肥溜め」にあるかのように踏みつけられます。イザヤの時代,わらは踏みつぶされ,積み上げた糞に混ぜ込まれて肥料とされました。ですからイザヤは,モアブが安全そうに見える高い城壁に囲まれていても辱められることを予告しているのです。
12 モアブが名指しでエホバの裁きの宣告の対象とされているのはなぜですか。
12 なぜエホバはモアブを名指しにして,そうした厳しい計り事の対象とされるのでしょうか。モアブ人は,アブラハムのおいでありエホバの崇拝者だったロトの子孫です。ですから,神の契約の国民とは,近くに住んでいるだけでなく,家系的にもつながりが深いのです。それにもかかわらず,モアブ人は偽りの神々を信奉するようになり,イスラエルに対する根深い敵意をあらわにしています。彼らは当然の結末を迎えます。この点でモアブは,今日のエホバの僕たちに敵する者たちに似ており,特にキリスト教世界に似ています。キリスト教世界は,自分たちは1世紀のクリスチャン会衆の継承者であると唱えていますが,実際には,すでに述べたとおり,大いなるバビロンの主要部分となっています。
救いの歌
13,14 今日,神の民はどんな「強固な都市」を持っていますか。その都市に入ることを許されるのはだれですか。
13 神の民はどうでしょうか。エホバからの恵みと保護があるので気持ちが高揚して,歌声を上げます。「その日,ユダの地でこの歌が歌われる。『わたしたちは強固な都市を持っている。神は城壁と塁壁のために救いを据えられる。あなた方は門を開けて,忠実な行ないを保っている義なる国民を入って来させよ』」。(イザヤ 26:1,2)この言葉は確かに古代において成就しましたが,今日においても明らかな成就を見ています。エホバの「義なる国民」である霊的なイスラエルには,強固な都市のような組織が与えられています。歓んで歌声を上げる理由があるのではないでしょうか。
14 この「都市」に入って来るのは,どんな人々ですか。答えはこの歌の中にあります。「あなた[神]は,しっかりと支えられた意向を,長く続く平和のうちに守られます。人はあなたに依り頼むようになるからです。あなた方はいつまでもエホバに依り頼め。ヤハ,エホバに,定めのない時に至る岩があるからだ」。(イザヤ 26:3,4)エホバが支える「意向」とは,神の義の規準に従いたいという願い,また世の不安定な商業的,政治的,宗教的な体制にではなく神に依り頼みたいという願いのことです。「ヤハ,エホバ」だけが,信頼できる安全な岩なのです。エホバに全き確信を寄せる人々は,神によって保護され,「長く続く平和」を享受します。―箴言 3:5,6。フィリピ 4:6,7。
15 今日,「高められた町」はどのように卑しめられてきましたか。「苦しむ者たちの足」は,どのようにその町を踏みつけますか。
15 それとは正反対の事柄が,神の民に敵する者たちに生じます。「神は高みに住んでいる者たち,高められた町を低くされた。それを卑しめ,地に卑しめ,塵に触れさせる。足がそれを踏みつけるであろう。苦しむ者たちの足,立場の低い者たちの歩みが」。(イザヤ 26:5,6)先の場合と同様,イザヤはここでも,モアブにある「高められた町」について述べているのかもしれません。あるいは,他の都市,例えばバビロンのことを言っているのかもしれません。実際,バビロンはごう慢であるという点で高められています。いずれにせよ,エホバは「高められた町」に関して形勢を逆転させておられ,神の『立場の低い,苦しむ者たち』がその町を踏みつけます。今日,この預言は大いなるバビロンに,とりわけキリスト教世界にぴったり当てはまります。1919年,この「高められた町」はエホバの民を解放せざるを得なくなり,屈辱的な倒壊を経験しました。そして,今度はエホバの民が,かつて自分たちを捕らえていた町を踏みにじるようになりました。(啓示 14:8)どのようにですか。その町に臨もうとしているエホバの復しゅうを公に告げ知らせることによってです。―啓示 8:7-12; 9:14-19。
義とエホバの「記念」を願い求める
16 イザヤはどんな立派な専心の手本を残していますか。
16 こうした勝利の歌に続いて,イザヤは自らの専心の深さと,義なる神に仕えることの報いを明らかにします。(イザヤ 26:7-9をお読みください。)イザヤは,『エホバを待ち望み』,エホバの「み名」と「記念」を強く願い求める気持ちを抱く点で,立派な手本となっています。エホバの記念とは何でしょうか。出エジプト記 3章15節には,「エホバ……は定めのない時に至るわたしの名,代々にわたるわたしの記念である」とあります。イザヤは,エホバのみ名を,また神の義の規準や義の道など,み名が表わすものすべてを大切なものとみなしています。エホバに対する同様の愛を培う人々は,必ず神の祝福を受けます。―詩編 5:8; 25:4,5; 135:13。ホセア 12:5。
17 邪悪な者にはどんな特権が与えられませんか。
17 しかし,だれもが皆,エホバとその高遠な規準を愛するわけではありません。(イザヤ 26:10をお読みください。)邪悪な者は,道徳的にも霊的にも正直なエホバの僕だけが住む「正直の地」に入るために義を学ぶよう促されても,頑固なまでにそれを拒みます。その結果,邪悪な者は「エホバの卓逸性を認めません」。それらの者が生き延びて,エホバのみ名が神聖なものとされた後に人類にそそがれる祝福を享受することはありません。全地が「正直の地」となる新しい世においてさえ,エホバの愛ある親切にこたえ応じない人がいるかもしれません。そうした人たちの名前は命の書に書かれません。―イザヤ 65:20。啓示 20:12,15。
18 イザヤの時代のある人々は,どのように自ら好んで盲目になっていますか。その人々はいつ,やむを得ずエホバを『見る』ようになりますか。
18 「エホバよ,あなたのみ手は高く上がりました。しかし彼らはそれを見ません。彼らはあなたの民に対する熱心さを見て恥じるでしょう。そうです,あなたに敵対する者たちのための火が彼らを食い尽くすのです」。(イザヤ 26:11)イザヤの時代,エホバは敵する者たちに対して行動することによりご自分の民を保護し,ご自分のみ手をはっきりと上げておられます。しかし,大半の人はそれを認めていません。そうした人々は自ら好んで霊的に盲目になっていますが,結局は,神の熱心の火によって食い尽くされる時にエホバを『見る』,つまり認めざるを得なくなります。(ゼパニヤ 1:18)後に神はエゼキエルに,「彼らはわたしがエホバであることを知らなければならなくなる」と述べておられます。―エゼキエル 38:23。
「エホバは自分の愛する者を懲らしめられる」
19,20 エホバはなぜ,またどのようにご自分の民を懲らしめてこられましたか。だれが,そうした懲らしめから益を得ましたか。
19 イザヤは,自分の同国人が享受している平和と繁栄はすべてエホバの祝福によるものである,ということをわきまえています。「エホバよ,あなたは判決によってわたしたちに平和を与えてくださいます。あなたはわたしたちのために,実にわたしたちのすべての業を行なってくださったからです」。(イザヤ 26:12)この事実にもかかわらず,また,「祭司の王国,聖なる国民」となる機会をエホバがご自分の民に差し伸べておられるにもかかわらず,歴史を通じてユダの歩みは定まりませんでした。(出エジプト記 19:6)ユダの民はたびたび偽りの神々の崇拝にそれて行き,その結果,何度も何度も懲らしめを受けてきました。しかし,そうした懲らしめはエホバの愛の証拠です。「エホバは自分の愛する者を懲らしめられる」からです。―ヘブライ 12:6。
20 エホバは何度も,ご自分の民を懲らしめるために,「他の主人たち」である他の国々がユダを支配することを許します。(イザヤ 26:13をお読みください。)西暦前607年には,ご自分の民がバビロニア人によって流刑に処されることをお許しになります。そのことから民は益を得たでしょうか。人は,苦しむこと自体から益を得るわけではありません。しかし,苦しむ人が,生じる事柄から教訓を得て悔い改め,エホバに全く専心するようになるなら,その時,その人は益を得ます。(申命記 4:25-31)ユダヤ人の中に,敬虔な悔い改めを示す人がいるでしょうか。確かにいます。イザヤはこう預言しています。「わたしたちはただあなたによってのみ,あなたのみ名を語り告げるのです」。西暦前537年に流刑から帰還した後も,ユダヤ人はしばしば他の様々な罪に関して懲らしめを必要とします。とはいえ,石でできた神々の崇拝のわなに陥ることは二度とありません。
21 神の民を虐げてきた者たちはどうなりますか。
21 ユダを捕らえていた者たちはどうでしょうか。「死んで無力であり,起き上がることはありません。それゆえ,あなたはご自分の注意を向けられました。彼らを滅ぼし尽くして,彼らのことが語り告げられるのを全く滅ぼすためです」。(イザヤ 26:14)バビロンは,エホバの選ばれた民を残虐に扱ったゆえに苦しむことになります。エホバはメディア人とペルシャ人を用いて,誇り高いバビロンを覆し,流刑に処されていたご自分の民を自由にされます。その大いなる都市バビロンは無力にされて死んだも同然になり,最終的には存在しなくなります。
22 現代において,神の民はどのように祝福されてきましたか。
22 現代の成就において,懲戒を受けた霊的なイスラエルの残りの者は,1919年に大いなるバビロンから自由にされ,エホバへの奉仕を再開しました。油そそがれたクリスチャンは生気を取り戻し,宣べ伝える業に没頭するようになったのです。(マタイ 24:14)次いでエホバは,彼らを祝福して増加させ,さらには「ほかの羊」の大群衆も仲間に加え,共に奉仕を行なうようにしてこられました。(ヨハネ 10:16)「あなたはこの国民を増し加えられました。エホバよ,あなたはこの国民を増し加え,ご自分に栄光を添えられました。あなたはこの地のすべての境を遠く広げられました。エホバよ,彼らは苦難のときにあなたに注意を向けました。彼らはあなたの懲らしめを受けたとき,祈りのささやきを注ぎ出しました」。―イザヤ 26:15,16。
『それらは起き上がる』
23 (イ)西暦前537年,エホバの力はどんな際立った仕方で表明されましたか。(ロ)同様に,西暦1919年,神の力はどのように表明されましたか。
23 イザヤは再び,ユダが依然としてバビロンに捕らわれている間に直面する状況に注意を向けます。そして,ユダ国民を,子を産みかけてはいるものの助けなしには出産できない女に例えます。(イザヤ 26:17,18をお読みください。)必要な助けは西暦前537年に差し伸べられ,エホバの民は,神殿を再建し真の崇拝を復興するという熱意を抱いて故国に戻ります。その国民は,あたかも死から生き返ったかのようです。「あなたの死者たちは生きます。わたしの死体 ― それらは起き上がります。塵の中の居住者よ,目を覚まし,喜び叫べ! あなたの露はあおいの露のようであり,地が死んだ無力な者たちをも生み落とすからです」。(イザヤ 26:19)エホバの力の何と素晴らしい表明でしょう。さらに,この言葉が1919年に霊的な意味で成就した時,神の力は何と壮大に表明されたのでしょう。(啓示 11:7-11)そしてわたしたちは,この言葉が新しい世で文字どおりに成就し,死んだ無力な者たちが『イエスの声を聞いて』記念の墓から『出て来る』時を本当に心待ちにしているのではないでしょうか。―ヨハネ 5:28,29。
24,25 (イ)西暦前539年当時のユダヤ人は,身を隠すようにとのエホバの命令にどのように従ったかもしれませんか。(ロ)現代において,「奥の部屋」は何を指すと思われますか。わたしたちは,それに対するどんな見方を培わなければなりませんか。
24 とはいえ,忠実な人たちも,イザヤを通して約束された霊的な祝福を享受するには,次のエホバの命令に従わなければなりません。「行け,わたしの民よ,あなたの奥の部屋に入り,あなたの後ろで扉を閉じよ。糾弾が過ぎ行くまで,ほんのしばらくの間,身を隠せ。見よ,ご自分に対する地の住民のとがに関して言い開きを求めるため,エホバはその場所から出て来られるからである。その地は必ずその流血をあらわにし,もはやその殺された者たちを覆い隠すことはない」。(イザヤ 26:20,21。ゼパニヤ 1:14と比較してください。)この部分は,西暦前539年,キュロス王の率いるメディアとペルシャの軍がバビロンを征服する時に最初の成就を見るのかもしれません。ギリシャの歴史家クセノフォンによると,キュロスはバビロンに入るにあたり,だれも家から出てはならないと命令します。「屋外にいる者は,見つけ次第,皆殺しにするようにとの命令」が騎兵隊に下されていたからです。今日,この預言の「奥の部屋」は,世界中にあるエホバの民の幾万もの会衆と密接な関連があると言えるでしょう。それらの会衆は今後も,「大患難」の間でさえ,わたしたちの生活において重要な役割を果たします。(啓示 7:14)会衆に対して健全な見方を保ち,定期的に会衆と交わることは,きわめて重要です。―ヘブライ 10:24,25。
25 近い将来,サタンの世は終わりを迎えます。畏怖の念を抱かせるその時にエホバがどのようにご自分の民を保護されるかは,今のわたしたちには分かりません。(ゼパニヤ 2:3)とはいえ,生き残るかどうかはエホバに対する信仰と忠節と従順にかかっていることを,わたしたちは知っています。
26 イザヤの時代とわたしたちの時代において,「レビヤタン」とは何,またはだれのことですか。その「海の巨獣」はどうなりますか。
26 イザヤは将来のその時を見越して,こう預言します。「その日,エホバはその硬く,大きく,強い剣をもって,滑るように動く蛇レビヤタンに,曲がった蛇レビヤタンに注意を向け,海の中にいるその海の巨獣を必ず殺されるであろう」。(イザヤ 27:1)最初の成就において「レビヤタン」が指しているのは,イスラエルが散らされた先であるバビロンやエジプトやアッシリアなどの国々です。それらの国々は,エホバの民がふさわしい時に故国に戻るのを妨げることはできません。では,現代のレビヤタンはだれでしょうか。それは,「初めからの蛇」であるサタン,ならびにサタンが霊的なイスラエルと戦うために用いる道具であるこの地上の邪悪な事物の体制であると思われます。(啓示 12:9,10; 13:14,16,17; 18:24)「レビヤタン」は1919年に神の民を捕らえておくことができなくなりました。やがてエホバが「その海の巨獣を必ず殺される」時に完全に姿を消します。それまでの間,「レビヤタン」がエホバの民に敵対して企てるいかなることも,本当に功を奏することはありません。―イザヤ 54:17。
「泡だつぶどう酒のぶどう園」
27,28 (イ)エホバのぶどう園は全地を何で満たしてきましたか。(ロ)エホバはご自分のぶどう園をどのように保護されますか。
27 次いでイザヤは,別の歌を用いて,自由にされたエホバの民の実り豊かな様子を美しく描いています。「その日,あなた方は彼女に向かって歌え。『泡だつぶどう酒のぶどう園よ! わたし,エホバが,彼女を保護している。わたしは絶えず彼女に水を注ぐ。だれも彼女に注意を向けて攻めることのないよう,わたしは夜も昼も彼女を保護する』」。(イザヤ 27:2,3)霊的なイスラエルの残りの者と,勤勉に働く仲間たちは,確かに全地を霊的な産物で満たしてきました。喜び祝い,歌声を上げるのは当然ではないでしょうか。すべての誉れは,愛をもってぶどう園を世話しておられるエホバに帰されるべきです。―ヨハネ 15:1-8と比較してください。
28 そうです,エホバがかつて抱いておられた怒りは喜びに変わっているのです。「わたしの抱く激怒はない。だれが戦闘でわたしにいばらの茂みと雑草を与えるであろうか。わたしはそのようなものを踏みつける。わたしはそれらに同時に火をつける。さもなければ,彼にわたしのとりでをつかませ,わたしと和睦させよ。わたしと和睦させよ」。(イザヤ 27:4,5)エホバは,ご自分のぶどうの木が「泡だつぶどう酒」を必ず豊かに産出し続けるよう,ぶどう園を腐敗させかねない雑草のような影響をすべて打ち砕き,火で焼くかのようにして消し去られます。ですから,だれもクリスチャン会衆の福祉を脅かしてはなりません! むしろ,すべての人は『エホバのとりでをつかみ』,神の恵みと保護を求めるべきです。そうするなら,神と和睦することができます。神との和睦は非常に重要なので,イザヤはそれを2度繰り返しています。では,和睦した結果はどうなるでしょうか。「来たるべき日に,ヤコブは根づき,イスラエルは花を咲かせ,実際に芽を出すであろう。そして,彼らは産出的な地の表を産物でいっぱいに満たす」。(イザヤ 27:6)c この聖句の成就は,エホバの力の何と素晴らしい証拠となるのでしょう。1919年以来,油そそがれたクリスチャンは地を「産物」で,つまり滋養に富んだ霊的な食物で満たしてきました。その結果,何百万もの忠節なほかの羊が彼らに加わるようになりました。それらほかの羊も共に,「昼も夜も神に神聖な奉仕をささげて」います。(啓示 7:15)堕落した世のただ中で,これらの人々は喜びにあふれて神の高潔な規準を守っています。そしてエホバは引き続き彼らを祝福し,増加をもたらしておられます。「産物」にあずかり,それを自分自身の賛美の叫びによって他の人々にも分かつという大きな特権を,わたしたちが見失うことが決してありませんように。
[脚注]
a アルという名には「都市」という意味があるようです。
b 「啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!」という本の170ページをご覧ください。
c イザヤ 27章7-13節の説明は,285ページの囲み記事にあります。
[285ページの囲み記事]
「大きな角笛」が自由をふれ告げる
西暦前607年,エホバが,道に外れたご自分の民を流刑というむちで打って懲らしめられると,ユダの苦痛は増し加わります。(イザヤ 27:7-11をお読みください。)ユダ国民のとがは余りに大きく,動物の犠牲で贖うことはできません。それでエホバは,「脅しの叫び」をもって羊ややぎを追い散らすかのように,あるいは強い「突風」をもって木の葉を吹き払うかのように,イスラエルを故国から追い出されます。その後は,女性として表わされている弱い諸民族でさえ,その地に残されたものを勝手に使うことができます。
しかし,エホバがご自分の民を捕らわれから救出する時が来ます。エホバは,言わば木に捕らわれているオリーブを農夫が自由にするかのように,民を自由にされます。「その日,エホバは川[ユーフラテス]の水流からエジプトの奔流の谷に至るまで実をはたき落とすことになる。それで,イスラエルの子らよ,あなた方は次々に拾い上げられるであろう。そして,その日には,大きな角笛が吹き鳴らされることになり,アッシリアの地で滅びてゆく者とエジプトの地に追い散らされる者たちは必ず来て,エルサレムの聖なる山でエホバに身をかがめるであろう」。(イザヤ 27:12,13)キュロスは西暦前539年に勝利を収めた後,アッシリアやエジプトにいるユダヤ人も含め,自分の帝国内のユダヤ人全員を自由にする布告を出します。(エズラ 1:1-4)それは,あたかも「大きな角笛」が鳴り響き,神の民のために自由の賛歌が響き渡るかのようです。
[275ページの図版]
「油を十分に用いた料理の宴」
[277ページの図版]
バビロンは,捕らえていた者たちに足で踏みつけられる
[278ページの図版]
『あなたの奥の部屋に入れ』