第22章
イザヤはエホバの『不思議な行ない』を予告する
1,2 イスラエルとユダはなぜ安心していますか。
イスラエルとユダはしばしのあいだ安心しています。両国の指導者たちは物騒な世の中での安全を求めて,力のある大国と政治同盟を結んでおり,イスラエルの首都サマリアは隣国シリアに頼り,ユダの首都エルサレムは無慈悲なアッシリアに望みをかけています。
2 北王国のある人たちは,新たな政治的同盟国に信頼を置く一方で,エホバからの保護も期待しているようですが,相変わらず崇拝に金の子牛を用いています。同様にユダも,エホバの保護を頼みにできると思い込んでいます。何と言っても我々の首都エルサレムにはエホバの神殿があるではないか,というわけです。しかし,どちらの国の前途にも,予想外の出来事が待ち受けています。エホバはイザヤに霊感を与え,道に外れた民にとっては実に不思議に思える事態の進展を予告させます。その言葉には,今日のすべての人に対する肝要な教訓が含まれています。
「エフライムの酔いどれたち」
3,4 北のイスラエル王国は何を誇りにしていますか。
3 預言の冒頭で,イザヤはびっくりするような言葉を述べます。「エフライムの酔いどれたちの卓逸した冠,ぶどう酒に打ち負かされた者たちの肥沃な谷の頭にあるその美しい飾りのしぼんでゆく花は災いだ! 見よ,エホバは強くて強壮な者を持っておられる。彼は,雹の雷雨……のように,力をこめて必ず地に投げ落とすことをする。エフライムの酔いどれたちの卓逸した冠は足で踏みにじられる」。―イザヤ 28:1-3。
4 北の十部族の中で最も傑出した部族であるエフライムは,イスラエル王国全体を代表するものとなっています。イスラエルの首都サマリアは,「肥沃な谷の頭」の美しく堂々たる場所という地の利に恵まれています。エフライムの指導者たちは,エルサレムのダビデの王権からの独立という「卓逸した冠」を誇りにしています。しかし,彼らは「酔いどれ」であり,ユダに対抗してシリアと結んだ同盟のゆえに霊的な酩酊状態にあります。彼らが大切にしているものはみな,侵入者たちの足で踏みにじられようとしています。―イザヤ 29:9と比較してください。
5 イスラエルはどんな危うい状態にありますか。とはいえ,イザヤはどんな希望を差し伸べますか。
5 エフライムは危うい状態にあることに気づきません。イザヤはこう続けます。「肥沃な谷の頭にあるその美しい飾りのしぼんでゆく花は,必ず夏の前の早なりのいちじくのようになり,見る者がそれを見るとき,それがまだ自分のたなごころにある間に,彼はそれを呑み込むのである」。(イザヤ 28:4)一片の美味が一口で食べ尽くされてしまうかのように,エフライムはアッシリアの手に落ちます。では,全く希望がないのでしょうか。いいえ,他の多くの場合と同様,イザヤの裁きの預言には希望が加味されています。国は倒れても,忠実な人々はエホバの助けによって生き残るのです。「万軍のエホバはその民の残っている者たちにとっての飾りの冠,また美の花輪となり,裁きのために座す者にとっての公正の霊となり,門から戦闘を退ける者たちにとっての力強さとなられる」。―イザヤ 28:5,6。
『彼らは迷い出た』
6 イスラエルはいつ終焉を迎えますか。ユダがほくそえむべきでないのはなぜですか。
6 サマリアの清算の日は西暦前740年に到来します。その時,アッシリア人がサマリアの地を荒れ廃れさせ,独立国家としての北王国は消滅します。ユダはどうでしょうか。ユダの地はこのあとアッシリアに侵略され,その後,首都がバビロンによって滅ぼされます。しかしイザヤの存命中は,ユダの神殿と祭司職は機能しつづけ,ユダの預言者たちは預言を続けます。ユダは,北の隣国が終焉を迎えようとしているからといって,ほくそえむべきでしょうか。断じてそうではありません。エホバは,ユダおよびその指導者たちに対しても,不従順と信仰の欠如のゆえに清算を行なおうとしておられるのです。
7 どんな意味でユダの指導者たちは酔っていますか。その結果,どうなりますか。
7 イザヤはユダに向かって音信を語り,こう続けます。「そして,これらの者たちもまた ― 彼らはぶどう酒のゆえに迷い出,酔わせる酒のゆえにさまよった。祭司と預言者 ― 彼らは酔わせる酒のゆえに迷い出,ぶどう酒のために混乱し,酔わせる酒のためにさまよった。彼らはその見ることにおいて迷い出,決定に関してふらついた。食卓もみな汚れたへどで満ちた ― それのない所はない」。(イザヤ 28:7,8)何と嫌悪すべき光景でしょう。神の家で文字どおり酒に酔っているだけでも十分悪いことです。ところが,これら祭司と預言者たちは霊的に酔っています。人間との同盟を過信しているために,思いが曇らされているのです。自らを欺き,実際的な道はこれしかないと思い込んでいます。エホバの保護では足りない場合に備えて,代わりの計画も立ててある,と考えているのかもしれません。これら宗教指導者たちは霊的な酩酊状態にあり,胸の悪くなるような汚れた言葉を吐き出し,神の約束に対する純粋な信仰が甚だしく欠けていることを露呈します。
8 イザヤの音信を聞く人たちはどう反応しますか。
8 ユダの指導者たちはエホバの警告にどう反応するでしょうか。彼らはイザヤをあざけり,自分たちを幼子扱いして話すと言って非難し,こう述べます。「人はだれに知識を教え諭し,聞いたことをだれに理解させるのか。乳から離された者たちにか,乳房から離された者たちにか。それは,『命令に命令,命令に命令,測り綱に測り綱,測り綱に測り綱,ここに少し,そこに少し』だからである」。(イザヤ 28:9,10)彼らにとって,イザヤの言葉は非常にくどく,奇妙に聞こえるのです。イザヤはずっと同じことを繰り返し,『これがエホバの命令した事柄である! これがエホバの命令した事柄である! これがエホバの規準である! これがエホバの規準である!』と述べています。a しかし,間もなくエホバは,行動によってユダの住民に『語り』ます。バビロンの軍勢を送って,彼らを攻めさせるのです。バビロン人は異国人であり,まさに異なった言語で語ります。その軍勢はエホバの「命令に命令」を確かに遂行し,ユダは倒れるでしょう。―イザヤ 28:11-13をお読みください。
今日の霊的な酔いどれたち
9,10 イザヤの言葉は,後のどの時代に,どのように当てはまってきましたか。
9 イザヤの預言は古代のイスラエルとユダだけに成就したのでしょうか。決してそうではありません。イエスとパウロはどちらもイザヤの言葉を引用し,それを自分の時代の国民に適用しました。(イザヤ 29:10,13。マタイ 15:8,9。ローマ 11:8)今日でも,イザヤの時代と似た状況が生じています。
10 今日の成就において,政治に信仰を置いているのはキリスト教世界の宗教指導者たちです。彼らはイスラエルとユダの酔いどれたちのようによろよろと歩き回り,政治的な事柄に口を出し,この世界のいわゆる大物たちから相談を持ちかけられることを歓びとします。そして,清い聖書の真理を語る代わりに,汚れた事柄を語ります。それら宗教指導者たちは霊的な視界がぼやけており,人類にとって頼れる案内人ではありません。―マタイ 15:14。
11 キリスト教世界の指導者たちは,神の王国の良いたよりにどう反応しますか。
11 キリスト教世界の指導者たちは,エホバの証人が,唯一の真の希望である神の王国に注意を引くと,どう反応するでしょうか。その人々は意味を悟りません。証人たちが赤ん坊のようにわけの分からない言葉を繰り返しているように思えるのです。宗教指導者たちはそれら使者たちを見下げ,あざけります。イエスの時代のユダヤ人と同様,神の王国を望みませんし,その王国に関することを信徒の群れに聞かせたいとも思いません。(マタイ 23:13)そのため彼らは,エホバがいつまでも穏やかな使者たちを通して語られるわけではない,との通告を受けます。神の王国に服さない者たちが「砕かれ,わなに掛かり,捕らえられる」時が,そうです,全く滅ぼされてしまう時が来るのです。
『死との契約』
12 ユダの想像上の『死との契約』とは何ですか。
12 イザヤは宣告を続け,こう述べます。「あなた方は言った……,『我々は死と契約を結び,シェオルと幻を実施した。あふれ出る鉄砲水も,たとえそれが通り過ぎて行こうとも,我々のところに来ることはない。我々はうそを避難所とし,偽りの中に身を覆い隠したからだ』と」。(イザヤ 28:14,15)ユダの指導者たちは,政治上の同盟があるので自分たちが負けることはない,と自慢します。「死と契約を」結んだので,死も自分たちに手出しはしないと考えています。しかし,実質の伴わない避難所は守ってはくれません。彼らの同盟はうそであり,偽りです。今日でも同様に,清算のためのエホバの時が到来するとき,キリスト教世界が持つ世の指導者たちとの密接な関係は保護とはなりません。実際のところ,そうした関係は同世界を破局に至らせるものとなるのです。―啓示 17:16,17。
13 「試みを経た石」とはだれのことですか。キリスト教世界はその方をどのように退けてきましたか。
13 では,それら宗教指導者たちはどこに目を向けるべきですか。イザヤは,次のようなエホバの約束を記録しています。「いまわたしはシオンにひとつの石を基として据える。それは試みを経た石,確かな基の貴重な隅石である。信仰を働かせる者はだれも恐れ慌てることはない。そして,わたしは公正を測り綱とし,義を水準器とする。雹は必ず偽りの避難所を一掃し,水も激しい勢いで隠れ場所を押し流す」。(イザヤ 28:16,17)イザヤがこの言葉を語ってから少し後に,忠実な王ヒゼキヤがシオンで王位に就き,その王国は,近隣の同盟国によってではなく,エホバの介入によって救われます。しかし,霊感を受けたこの言葉はヒゼキヤに成就するのではありません。使徒ペテロはイザヤの言葉を引用し,ヒゼキヤのずっと後代の子孫であるイエス・キリストが「試みを経た石」であること,そして,その方に信仰を働かせる者は全く恐れを抱く必要がないことを明らかにしました。(ペテロ第一 2:6)何とも嘆かわしいことに,キリスト教世界の指導者たちはクリスチャンととなえながら,イエスが行なおうとはしなかった事柄を行なってきました。王イエス・キリストの支配する神の王国をエホバが実現させるのを待つどころか,この世での目立った立場や権力を欲してきたのです。―マタイ 4:8-10。
14 ユダの結んだ「死との契約」はいつ解消されますか。
14 バビロンの軍勢という「あふれ出る鉄砲水」が地を通り過ぎる時,エホバは,ユダの政治上の避難所が実際にはうそであることをあらわにされます。エホバはこう言われます。「あなた方の死との契約は必ず解消され(る)。あふれ出る鉄砲水,それが通り過ぎるとき ― あなた方はまた,必ずそれが踏みにじる場所となる。それは通り過ぎる度に……聞いたことを他の者に理解させるための身震いの理由となるだけである」。(イザヤ 28:18,19)そうです,エホバに仕えると唱えているのに諸国家との同盟に確信を置く人々に生じる事柄から,心に訴える教訓を学ぶことができます。
15 イザヤはどんな例えを使って,ユダには十分な保護がないことを示しますか。
15 それらユダの指導者たちは,今やどんな境遇になっているでしょうか。「寝いすはその上に身を伸べるには短すぎたし,織った敷布も身を包むには狭すぎる」。(イザヤ 28:20)つまり,休もうと思って身を横たえても休めないかのような境遇です。脚を伸ばせば足先が外に出て寒く,かといって脚を縮めると,掛け布が狭すぎるので暖かくくるまっていることができません。イザヤの時代には,そうした不快な状態が見られたのです。今日でも,キリスト教世界のまがいの避難所に信頼を置く人はみな,同様の状態にあります。実に嫌悪すべきことに,キリスト教世界の宗教指導者の中には,政治に手を出した結果,民族浄化や集団虐殺など,身の毛もよだつ残虐行為にかかり合うようになった人たちもいるのです。
エホバの『不思議な行ない』
16 エホバの『不思議な行ない』とは何ですか。その業が異常であると言えるのはなぜですか。
16 最終的な結末は,ユダの宗教指導者たちの期待とは正反対になります。エホバは,ユダの霊的な酔いどれたちに不思議なことを行なわれます。「エホバはペラツィム山のときのように立ち上がり,ギベオンの近くの低地平原のときのようにかき立てられる……。それはご自分の行ない ― その行ないは不思議なもの ― をするため,ご自分の業 ― その業は異常なもの ― を行なうためである」。(イザヤ 28:21)ダビデ王の時代に,エホバはご自分の民に,ペラツィム山とギベオンの低地平原でフィリスティア人に対する著しい勝利をお与えになりました。(歴代第一 14:10-16)ヨシュアの時代には,エホバは太陽をギベオンの上にとどまらせることまでして,イスラエルがアモリ人に完全な勝利を収めることができるようになさいました。(ヨシュア 10:8-14)それは,極めて異常なことでした。今やエホバは再び戦われますが,今回は,神の民ととなえる者たちが相手です。これ以上に不思議なこと,異常なことがあるでしょうか。エルサレムがエホバの崇拝の中心地であり,エホバの油そそがれた王の都市でもあることを考えれば,なおのことです。この時に至るまで,エルサレムのダビデの王家が覆されたことは一度もありません。それでも,エホバはご自分の『不思議な行ない』を必ず成し遂げられます。―ハバクク 1:5-7と比較してください。
17 嘲笑はイザヤの預言の成就にどんな影響を与えますか。
17 それゆえ,イザヤはこう警告します。「あなた方は嘲笑する者となってはならない。あなた方の縛り縄が強くならないためである。主権者なる主,万軍のエホバからわたしが聞いた全土に関する絶滅が,すなわち定め置かれたものがあるからである」。(イザヤ 28:22)指導者たちが嘲笑しようとも,イザヤの音信は真実です。イザヤはその音信をエホバから,つまりそれら指導者たちと契約関係にある方から聞きました。今日も同様に,キリスト教世界の宗教指導者は,エホバの『不思議な行ない』について聞くと嘲笑します。わめき散らすことさえあります。しかし,エホバの証人がふれ告げる音信は真実です。その音信は聖書に,つまりそれら指導者たちが代表すると唱える本に記されているのです。
18 イザヤは,エホバが平衡をとって懲らしめをお与えになることを,例えを用いてどのように示していますか。
18 そうした指導者たちに追随しない誠実な人たちについて言えば,エホバはその人たちに再調整を施し,再び恵みをお与えになります。(イザヤ 28:23-29をお読みください。)農夫がクミンなど繊細な穀物を脱穀するのに穏やかな方法を用いるのと同様,エホバは相手と状況に応じて懲らしめ方を加減なさいます。エホバは決して専横でも圧制的でもありません。むしろ,過ちを犯した人が立ち直る可能性を念頭に置いて行動されます。ですから,エホバの訴えかけにこたえ応じる人には希望があるのです。同様に今日でも,キリスト教世界全体の運命は定められていますが,エホバの王国に服する人はみな,来たるべき不利な裁きを避けることができます。
エルサレムは災いだ!
19 エルサレムはどのように「祭壇の炉床」になりますか。それはいつ,どのように生じますか。
19 さて,次にエホバは何について語っておられるでしょうか。「ダビデが陣営を張った町アリエル,アリエルは災いだ! あなた方は年に年を加えよ。祭りを巡って来させよ。そして,わたしはアリエルにとって必ず事態を難しくしなければならない。必ず悲しみと嘆きが生じ,彼女はわたしにとって必ず神の祭壇の炉床となる」。(イザヤ 29:1,2)「アリエル」は恐らく「神の祭壇の炉床」を意味し,ここではエルサレムを指していると思われます。エルサレムは,神殿とその犠牲の祭壇がある場所です。ユダヤ人は慣例に従い,エルサレムで祭りを執り行なったり犠牲をささげたりしていますが,エホバは彼らの崇拝を喜ばれません。(ホセア 6:6)かえって,都そのものが別の意味で「祭壇の炉床」になると布告されます。都は祭壇のように血をしたたらせ,火にさらされるのです。さらにエホバは,そうしたことがどのように生じるかも描写されます。「わたしは必ずあなたに向かって周囲に陣営を張り,塞柵を巡らしてあなたを攻囲し,あなたに向かって攻囲柵を築く。そして,あなたは必ず低くなるので,地から話すようになり,あなたのことばは塵からのように低く響くであろう」。(イザヤ 29:3,4)西暦前607年,この言葉はユダとエルサレムに成就し,バビロニア軍はエルサレムを攻囲して滅ぼし,神殿を焼きます。エルサレムは,自らが建設された土地と同じ低さにまで低められます。
20 神に敵する者たちは最終的にどうなりますか。
20 その決定的な局面に至るまでの間,ユダには,エホバの律法に従う王たちも時にはいます。そのような時にはどうなのでしょうか。エホバはご自分の民のために戦われます。敵する者たちは,地を覆い尽くそうとも,「細かい粉」や「もみがら」のようになります。エホバはご予定の時に,「雷鳴と,身震いと,大きな音,暴風と大あらし,また,むさぼり食う火の炎とをもって」それらの者たちを散らします。―イザヤ 29:5,6。
21 イザヤ 29章7,8節の例えを説明してください。
21 敵の軍勢は,エルサレムを略奪して戦利品をむさぼることを心待ちにしているかもしれません。しかし彼らは,突然,幻滅を感じることになっています。飢えに苦しむ人がごちそうを食べている夢を見ていたのに,目が覚めると相変わらず空腹であるのと同様,ユダの敵たちも,大いに心待ちにしている饗宴を楽しむことはありません。(イザヤ 29:7,8をお読みください。)忠実な王ヒゼキヤの時代に,セナケリブ配下のアッシリア軍がエルサレムを脅かす時の出来事を考えてみてください。(イザヤ 36章と37章)人間は一人も戦うことなく,一夜のうちに,泣く子も黙るアッシリアの軍勢は追い返され,しかも,その勇猛な戦士18万5,000人が死ぬのです。近い将来,マゴグのゴグの軍勢がエホバの民に襲いかかろうとする時にも,征服の夢はくじかれます。―エゼキエル 38:10-12; 39:6,7。
22 ユダは霊的な酔いからどのような影響を受けますか。
22 イザヤが預言のこの部分を述べている時,ユダの指導者たちはヒゼキヤのような信仰を持っていません。彼らは不敬虔な諸国家との同盟によって酔い,霊的な昏睡状態に陥っています。「あなた方はもう少しとどまって,驚き惑え。自分を盲目にし,盲目となれ。彼らは酔ったが,それはぶどう酒によるのではない。彼らはよろめきつつ歩いたが,それは酔わせる酒のせいではない」。(イザヤ 29:9)この霊的に酔った指導者たちは,エホバの真の預言者に与えられた幻の意味合いを認識することができません。イザヤはこう述べます。「エホバはあなた方の上に深い眠りの霊を注がれた。また,あなた方の目,すなわち預言者たちを閉じ,あなた方の頭,すなわち幻を見る者たちをも覆われた……。そしてあなた方にとって,すべてのことの幻は封じられた書物の言葉のようになる。人々はそれを書き物の分かる者に渡して言う,『どうぞ,これを声を出して読んでください』。するとその者は,『わたしにはできない。それは封じられているからだ』と言わざるをえない。そして,その書物は書き物の分からない者に渡されなければならず,ある者は言う,『どうぞ,これを声を出して読んでください』と。しかしその者は,『わたしには書き物は少しも分かりません』と言わざるをえない」。―イザヤ 29:10-12。
23 エホバがユダに言い開きを求めるのはなぜですか。どのようにそうなさいますか。
23 ユダの宗教指導者たちは自分たちは霊的に思慮深いと唱えますが,エホバを捨ててしまっています。そして,正邪に関する自分たちの曲がった考えを教え,自分たちの不信仰で不道徳な行ないや,民を神の不興へと導いていることを正当化します。エホバは,「くすしいこと」,つまりご自分の『不思議な行ない』によって,彼らの偽善に関する言い開きを求めます。こう述べておられます。「この民は口をもって近づき,ただ唇をもってわたしの栄光をたたえ,心をわたしから遠ざけており,わたしに対する恐れは人間の教えるおきてとなっているので,それゆえに,ここにわたしがいる。この民に対して再びくすしいことを,くすしい仕方で,くすしいことをもって行なう者がいる。彼らの賢人たちの知恵は必ず滅びうせ,彼らの思慮深い者たちの理解も覆い隠されるであろう」。(イザヤ 29:13,14)エホバが物事を巧みに導き,背教したユダの宗教体制全体がバビロニア世界強国によって拭い去られるようになさる時,ユダが知恵や理解ととなえるものは滅びうせます。1世紀にも同じことが,ユダヤ人の賢明な指導者と称する人々が国民を惑わした後に生じました。同様なことは,わたしたちの時代にも,キリスト教世界に生じます。―マタイ 15:8,9。ローマ 11:8。
24 ユダの人々は,敬虔な恐れの欠如をどのように示しますか。
24 とはいえこの時点では,ユダの指導者たちは自慢して,自分たちは如才ないので,真の崇拝をゆがめてもとがめを受けることはない,と思い込んでいます。しかし,そうでしょうか。イザヤは彼らの仮面をはぎ取り,彼らには神に対する純粋な恐れがなく,そのため真の知恵もないことを暴き,こう言います。「計り事をエホバから覆い隠すことに非常に深く入って行く者たち,自分の行ないを暗い所でしておいて,『だれが我々を見ていよう。だれが我々のことを知っていよう』と言う者たちは災いだ。あなた方の性情は何とゆがんでいることか! 陶器師が粘土のようにみなされるべきだろうか。いったい,造られた物が自分の造り主について,『彼はわたしを造らなかった』と言うべきだろうか。また,形造られた物が自分を形造ってくれた者について,『彼は理解を示さなかった』と実際に言うだろうか」。(イザヤ 29:15,16。詩編 111:10と比較してください。)それら指導者たちは,どれほどうまく身を隠していると思ったとしても,神の目には「裸で,あらわにされて」いるのです。―ヘブライ 4:13。
『耳の聞こえない者は確かに聞く』
25 どんな意味で,「耳の聞こえない者」が聞きますか。
25 とはいえ,信仰を働かせる人たちには救いがあります。(イザヤ 29:17-24をお読みください。ルカ 7:22と比較してください。)「耳の聞こえない者」は,「その書物の言葉」つまり神の言葉からの音信を「聞き」ます。そうです,これは聴覚障害のいやしではありません。霊的ないやしなのです。イザヤは再び将来に注意を向け,メシア王国の設立と,メシアの支配による地上での真の崇拝の復興について述べています。そうしたことは,わたしたちの時代に生じてきました。そして,幾百万人もの誠実な人たちが,進んでエホバからの矯正を受け,エホバを賛美するようになっています。何と胸の躍る成就でしょう。最終的には,すべての人,すべて息あるものがエホバを賛美し,その聖なるみ名を神聖なものとする日が来るのです。―詩編 150:6。
26 「耳の聞こえない者」は今日どんな霊的な諭しを聞きますか。
26 今日神の言葉を聞くそうした「耳の聞こえない者」は,何を学ぶのでしょうか。すべてのクリスチャン,とりわけ会衆が手本とみなす人々は『酔わせる酒のゆえに迷い出る』ようなことを注意深く避けなければならない,ということを彼らは学ぶのです。(イザヤ 28:7)さらにわたしたちは,神の諭しを聞くことに決してうみ疲れてはなりません。そうした諭しは,すべての物事に関する霊的な見方を得させてくれます。クリスチャンは政府当局者に相応な服従を示し,各種のサービスの提供を期待するとはいえ,救いは,世からではなく,エホバ神からもたらされます。また,背教したエルサレムに裁きが臨んだのと同様,この世代にも神の裁きが必ず臨むことを,決して忘れてはなりません。わたしたちはエホバの助けにより,イザヤのように反対にめげることなく,引き続き神の警告をふれ告げることができます。―イザヤ 28:14,22。マタイ 24:34。ローマ 13:1-4。
27 クリスチャンはイザヤの預言からどんな教訓を学ぶことができますか。
27 長老や親たちは,エホバの懲らしめの与え方から学び,悪行者を単に処罰するのではなく,神の恵みに引き戻すよう常に努めることができます。(イザヤ 28:26-29。エレミヤ 30:11と比較してください。)そして,若い人たちも含め,わたしたちすべては,人を喜ばせるために見せ掛けだけのクリスチャンになるのでなく,心からエホバに仕えることがいかに肝要であるかを銘記させられます。(イザヤ 29:13)不信仰なユダの住民とは異なり,エホバに対する健全な恐れと深い敬意を抱いていることを示さなければなりません。(イザヤ 29:16)さらに,進んでエホバからの矯正を受けて学ぼうとする気持ちを示すことも必要です。―イザヤ 29:24。
28 エホバの僕たちは,神の施される救いをどうみなしますか。
28 エホバと,その物事の行ない方に対する信仰と確信を抱くことは,何と重要なのでしょう。(詩編 146:3と比較してください。)わたしたちの伝える警告の音信は,大半の人には幼稚に聞こえるでしょう。神に仕えると唱えるキリスト教世界という組織が将来滅びるということは,不思議で異常な考えです。しかし,エホバはご自分の『不思議な行ない』を完遂されます。その点に疑問の余地はありません。それゆえ,この事物の体制の終わりの日の間,神の僕たちは,神の王国とその任命された王イエス・キリストに全幅の信頼を置きます。それら僕たちは,エホバが『異常な業』を行なうと共に施される救いが,従順な人々すべてにとこしえの祝福をもたらすことを知っているのです。
[脚注]
a 原語のヘブライ語では,イザヤ 28章10節は繰り返しの韻を踏んでおり,幾分,わらべ歌に似ています。そのため,イザヤの音信は,宗教指導者たちにはくどく,幼稚に聞こえました。
[289ページの図版]
キリスト教世界は,神よりも人間の支配者たちとの同盟に頼ってきた
[290ページの図版]
エホバはバビロンがエルサレムを滅ぼすのを許し,ご自分の『不思議な行ない』を成し遂げる
[298ページの図版]
霊的に耳の聞こえなかった者たちが,今では神の言葉を「聞く」ことができる