第4章
「あなた方はわたしの証人である」!
1 エホバはどのように預言を用いられますか。神の民は,預言が成就するとき,どのように反応すべきですか。
将来を予言する能力は,まことの神を偽りの神々すべてから区別する一つの特徴です。しかしエホバは,預言する際,ご自分の神性を証明する以上のことを念頭に置いておられます。イザヤ 43章からはっきり分かるとおり,エホバは預言によって,ご自分の神性と,契約の民に対する愛とを証明されます。一方,神の民は,預言の成就を見分けたなら黙しているべきではなく,見た事柄を証ししなければなりません。そうです,エホバの証し人となるべきなのです。
2 (イ)イザヤの時代のイスラエルはどんな霊的状態にありますか。(ロ)エホバはどのようにご自分の民の目を開かれますか。
2 残念なことに,イザヤの時代には,イスラエルはあまりに嘆かわしい状態に陥っているため,エホバはその民に霊的な障害があると判断されます。「目があるのに盲目の民を,耳を持っているのに耳の聞こえない者たちを連れ出せ」。(イザヤ 43:8)霊的に盲目で耳の聞こえない民が活発な証人としてエホバに仕えるにはどうしたらよいのでしょうか。方法はただ一つです。目と耳が奇跡的に開かれなければなりません。エホバはまさにそれらを開かれます。どのようにでしょうか。まず,エホバは厳しい懲らしめを与えます。北のイスラエル王国の住民は西暦前740年に,そしてユダの住民は西暦前607年に,それぞれ流刑に処されます。その後,エホバはご自分の民のために力を行使してその民を解放し,霊的に活力を取り戻して悔い改めた残りの者を西暦前537年に故国へ帰還させます。実のところ,エホバは,この点に関するご自分の目的が阻まれることはあり得ないと確信しているので,200年ほど後に生じるイスラエルの解放を,あたかもすでに起きた事柄であるかのように述べておられます。
3 エホバは,将来の流刑者たちにどんな励ましを与えておられますか。
3 「ヤコブよ,あなたを創造された方は,イスラエルよ,あなたを形造られた方,エホバはこのように言われた。『恐れてはならない。わたしはあなたを買い戻したからである。わたしはあなたの名であなたを呼んだ。あなたはわたしのものである。あなたが水の中を通って行こうとも,わたしはあなたと共におり,川の中を通って行こうとも,それがあなたの上にみなぎりあふれることはない。あなたが火の中を歩こうとも,あなたは焼き焦がされることなく,炎があなたを焦がすこともない。わたしはあなたの神エホバ,あなたの救い主なるイスラエルの聖なる者だからである』」。―イザヤ 43:1-3前半。
4 エホバはイスラエルを創造した方であるとどうして言えますか。エホバはご自分の民に,故国への帰還についてどんな保証を与えておられますか。
4 エホバがイスラエルに特別な関心を抱くのは,その国民がご自分のものだからです。イスラエルは,アブラハム契約を履行するため,神が自ら創造されたものです。(創世記 12:1-3)それゆえ詩編 100編3節は,こう述べています。「エホバが神であることを知れ。わたしたちを造ったのは神であって,わたしたち自身ではない。わたしたちはその民,その放牧地の羊である」。イスラエルを創造した方,また買い戻す方であるエホバは,ご自分の民を故国に無事帰還させます。民は,水,みなぎりあふれる川,火のように熱い砂漠などの障害物によって妨げられることも害されることもありません。それは,1,000年前に,約束の地へ向かう父祖たちの歩みが同様の障害物によって鈍らされなかったのと同じです。
5 (イ)エホバの言葉は,霊的なイスラエルにとってどのように慰めとなりますか。(ロ)だれが霊的なイスラエルの仲間となっていますか。その人々を予表していたのはだれですか。
5 エホバの言葉は,現代の霊的なイスラエルの残りの者にとっても慰めとなります。そのイスラエルの成員は,霊によって生み出された「新しい創造物」です。(コリント第二 5:17)残りの者は,人類という「水」の前に大胆に進み出て,神からの愛ある保護を受け,比喩的なみなぎる水を切り抜けてきました。敵たちが発する火も,彼らを害するどころか,精錬する役目を果たしました。(ゼカリヤ 13:9。啓示 12:15-17)さらにエホバは,神の霊的な国民と共に歩むようになった「ほかの羊」の「大群衆」にも世話の手を差し伸べてこられました。(ヨハネ 10:16。啓示 7:9)その大群衆を予表していたのは,イスラエル人と共にエジプトを脱出した「入り混じった大集団」,および自由になった流刑者たちと共にバビロンから帰還した非ユダヤ人です。―出エジプト記 12:38。エズラ 2:1,43,55,58。
6 エホバは,(イ)肉のイスラエルの,(ロ)霊的イスラエルの贖いに関連して,ご自分が公正の神であることをどのように示されますか。
6 エホバは,メディアとペルシャの軍隊を用いてご自分の民をバビロンから救出することを約束しておられます。(イザヤ 13:17-19; 21:2,9; 44:28。ダニエル 5:28)公正の神であるエホバは,“雇い人”であるメディア人とペルシャ人に,イスラエルの代わりとなるふさわしい贖いを支払います。「わたしはあなたのための贖いとしてエジプトを,あなたの代わりにエチオピアとセバを与えた。あなたはわたしの目に貴重だったので,誉れある者とみなされ,わたし自らあなたを愛した。そして,わたしはあなたの代わりに人々を,あなたの魂の代わりに国たみを与えるであろう」。(イザヤ 43:3後半,4)ペルシャ帝国がエジプト,エチオピア,および近隣のセバを征服したことは歴史上の事実であり,それは神の予告どおりでした。(箴言 21:18)同様に,1919年にエホバは,イエス・キリストを用いて,霊的なイスラエルの残りの者を捕らわれから解き放ちました。しかしイエスは,自分の働きに対する報いを必要としませんでした。イエスは異教を奉じる支配者ではありませんでした。そして,イエスが解放したのは自分の霊的な兄弟たちでした。さらにエホバは,すでに1914年に,「諸国の民を[イエスの]相続物として,地の果てを[イエスの]所有物として」与えておられました。―詩編 2:8。
7 古代においても現代においても,エホバはご自分の民に対してどんな気持ちを抱いておられますか。
7 買い戻された流刑者たちに対する優しい気持ちを,エホバがどのように率直に表現しておられるかに注目してください。ご自分にとってその人たちが「貴重」であり,「誉れある者」である,そしてその人たちを『愛している』と告げておられます。(エレミヤ 31:3)今日の忠節な僕たちに対しても,同様の,あるいはそれ以上の気持ちを抱いておられます。油そそがれたクリスチャンたちが神との関係に導き入れられたのは,生まれによるのではなく,その人々自身が創造者に献身した後に生じる神の聖霊の働きによります。エホバはその人々をみ子とご自分に引き寄せ,受容性に富むその人々の心にご自分の律法と原則を書き記してこられました。―エレミヤ 31:31-34。ヨハネ 6:44。
8 エホバは流刑者たちにどんな保証の言葉を述べておられますか。その人々は自分たちの救出に関してどう感じますか。
8 エホバは流刑者たちに対する保証の言葉をさらに続け,こう言われます。「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいるからである。わたしは日の昇る方からあなたの胤を連れて来る。日の沈む方からあなたを集める。わたしは北に向かって,『引き渡せ!』と言い,南に向かって,『引きとどめるな。わたしの息子たちを遠くから,わたしの娘たちを地の果てから連れて来るように。すべてわたしの名で呼ばれている,わたしがわたしの栄光のために創造し,わたしが形造り,そうだ,わたしが造った者を』と言うであろう」。(イザヤ 43:5-7)エホバの息子や娘たちを自由にして,愛する故国へ連れ戻す時,地の最果ての場所でさえエホバの手が届かないところではありません。(エレミヤ 30:10,11)その人たちの目には,こうして解き放たれることは,かつてのイスラエル国民のエジプトからの救出をもしのぐものと映るに違いありません。―エレミヤ 16:14,15。
9 エホバはどんな二つの点で,ご自分の救出の行為とみ名とを関連づけておられますか。
9 エホバはご自分の民に,その民が神のみ名によって呼ばれていることを思い出させ,イスラエルを救出するという約束を裏付けておられます。(イザヤ 54:5,6)それだけでなくエホバは,解き放つというご自分の約束にもみ名を付しておられます。そうすることによって,預言の言葉が成就するときに必ずご自分に栄光が帰されるようにしておられるのです。バビロンを征服する者でさえ,唯一の生ける神に帰されるべき誉れを受けることはありません。
神々が審理を受ける
10 エホバは諸国民とその神々に対してどんな挑戦を投げかけておられますか。
10 次いでエホバは,イスラエルを自由にするというご自分の約束を宇宙的な訴訟の根拠とし,諸国民の神々に審理を受けさせます。こう書かれています。「諸国の民をみな一つの場所に集め,国たみを共に集めよ。彼らのうちにこのことを告げ得る[神たる]者がだれかいるか。また,彼らは最初のことでさえわたしたちに聞かせることができるか。彼ら[彼らの神々]にその証人を出させ,彼らが義と宣せられるようにしてみよ。また,彼らに聞かせて,『それは真実だ!』と言わせてみよ」。(イザヤ 43:9)エホバは世界の諸国民に対して,身のすくむような挑戦を投げかけておられます。事実上,『あなた方の神々に将来を正確に予告させ,それによって神であることを証明させてみよ』と言っておられるのです。まことの神以外には的確に預言できる者はいないので,この試験によって詐称者はすべて正体を暴かれます。(イザヤ 48:5)さらに,全能者は法的条項をもう一つ付け加えておられます。つまり,まことの神であると主張する者はみな,自らの予言とその成就に関して証人を出さなければならない,という条項です。もちろん,エホバはご自分をこの法的要件の例外とはしておられません。
11 エホバはご自分の僕にどんな任務をお与えになりますか。ご自分の神性についてどんなことを明らかにされますか。
11 偽りの神々は無力なので,証人を出すことができません。そのため,情けないことに,証言台は空のままです。さて,いよいよエホバがご自分の神性を裏付ける番になります。エホバはご自分の民のほうを見ながら,こう言われます。「あなた方はわたしの証人である,……すなわち,わたしが選んだわたしの僕である。それはあなた方が知って,わたしに信仰を抱くためであり,わたしが同じ者であることを理解するためである。わたしの前に形造られた神はなく,わたしの後にもやはりいなかった。わたしが ― わたしがエホバであり,わたしのほかに救う者はいない。あなた方のうちにほかの神がいなかったときに,わたし自ら告げ知らせ,救いを施し,それを聞かせた。それで,あなた方はわたしの証人である,……そして,わたしは神である。また,わたしはいつでも同じ者である。わたしの手から救い出し得る者はだれもいない。わたしは活動する。すると,だれが[わたしの手]を引き戻すことができようか」。―イザヤ 43:10-13。
12,13 (イ)エホバの民は,どんな証言をいくらでも行なうことができますか。(ロ)現代,どのようにエホバのみ名は前面に出されてきましたか。
12 エホバの言葉が述べられるとすぐに,証言台は,喜びにあふれた大勢の証人たちでいっぱいになります。その者たちの証言は明確であり,反論の余地がありません。証人たちはヨシュアのように,『エホバの話された事柄はすべてそのとおりになった。一言といえ果たされなかったものはない』と証言します。(ヨシュア 23:14)エホバの民の耳には今でも,イザヤ,エレミヤ,エゼキエルをはじめとする預言者たちの言葉が鳴り響いています。それら預言者たちは声をそろえて,ユダの流刑と,流刑からの奇跡的な救出を予告していました。(エレミヤ 25:11,12)ユダの救出者となるキュロスの名も,当人の誕生よりずっと以前に告げられていました。―イザヤ 44:26–45:1。
13 このように膨大な量の証拠があるのですから,エホバが唯一まことの神であることをだれが否定できるでしょうか。異教の神々とは違い,ただエホバだけが,他のものによって創造されたのではない方,まことの神です。a したがって,エホバのみ名を担う民には,将来の世代に,また神について尋ねる人々に神のくすしい行ないを語り伝えるという,ユニークで胸の躍る特権があります。(詩編 78:5-7)同様に,現代のエホバの証人たちには,エホバのみ名を全地で宣明する特権があります。1920年代に,聖書研究者たちは,神のみ名エホバの持つ奥深い意味をいよいよ強く意識するようになりました。次いで,1931年7月26日,オハイオ州コロンバスで開かれた大会で,協会の会長ジョセフ・F・ラザフォードが「新しい名称」と題する決議を提出しました。大会出席者は,「わたしたちは,エホバの証人という名称で知られ,また呼ばれることを欲するものです」という言葉を聞いて胸を躍らせ,響き渡る声で「はい!」と応じて,その決議を採択しました。その時以来,エホバのみ名は世界じゅうで注目の的となっています。―詩編 83:18。
14 エホバはイスラエル人に何を思い出させておられますか。そのように思い出させることは,なぜ時宜にかなっていましたか。
14 エホバは,み名を立派に担う人々を「ご自分のひとみ」のようにみなして顧みる方です。イスラエル人にその点を思い出させるため,神は,彼らをエジプトから救出し,荒野を通って安全に導いたときのことを述べておられます。(申命記 32:10,12)当時,イスラエル人のうちにほかの神はいませんでした。イスラエル人は,エジプトのすべての神々が徹底的に辱められるのを目の当たりにしたからです。そうです,エジプトの神々は束になっても,エジプトを守ることもイスラエルの出発を阻止することもできませんでした。(出エジプト記 12:12)同様に,市内に偽りの神々の神殿が50以上も林立する強大なバビロンも,全能者がご自分の民を自由にする時,その手を押しとどめることはできません。まさに,エホバのほかに「救う者はいない」のです。
軍馬は倒れ,獄の扉は開かれる
15 エホバはバビロンに関してどんなことを預言しておられますか。
15 「あなた方を買い戻す方,イスラエルの聖なる方,エホバはこのように言われた。『わたしはあなた方のためにバビロンに人を遣わして,獄のかんぬきを下ろさせる。そして,船の中のカルデア人はすすり泣く。わたしはあなた方の聖なる者エホバ,イスラエルの創造者,あなた方の王である』。エホバはこのように言われた。海の中に道を,強い水の中に通り道を作る方,戦車と馬,軍勢と強い者たちを同時に連れ出す方が言われたのである。『彼らは横たわる。彼らは起き上がらない。彼らは確かに消し去られる。亜麻の灯心のように必ず消される』」。―イザヤ 43:14-17。
16 バビロン,カルデア人の商人たち,またバビロンの防御を試みるすべての者たちはどうなりますか。
16 流刑者たちにとってバビロンは,エルサレムへの帰還を阻むという意味で獄のようなものでした。しかし,バビロンの防御物といえども,「[紅海]の中に道を」,ヨルダンの水と思われる「強い水の中に通り道を」作ったことのある全能者にとっては,障害となりません。(出エジプト記 14:16。ヨシュア 3:13)同様にエホバの代理者キュロスは,強大なユーフラテスの水位を下げ,自軍の戦士たちがバビロンに進入できるようにします。バビロンには,無数の大型の商船やバビロニアの神々の像をつけたはしけの水路となる運河が幾つもありますが,その運河を行き来しているカルデア人の商人たちは,自国の強大な首都が陥落する時,悲嘆してすすり泣きます。紅海におけるファラオの軍の兵車と同じく,バビロンの敏速な兵車も役に立ちません。バビロンを救うことができないのです。侵入軍は,ともしび皿の亜麻の灯心の火を吹き消すかのようにたやすく,防御を試みるすべての者の息の根を止めます。
エホバはご自分の民を無事帰還させる
17,18 (イ)エホバはどんな「新しい」ことを預言しておられますか。(ロ)どんな意味で,民は以前のことを思い出すべきではありませんか。なぜですか。
17 エホバは,ご自分の過去の救出の行為とこれから行なおうとしている事柄とを比べて,こう言われます。「最初のことを思い出すな。以前のことを考えるな。見よ,わたしは新しいことを行なおうとしている。今にそれは起こる。あなた方はそれを知ることにならないだろうか。実際,わたしは荒野に道を,砂漠に川を設けるであろう。野の野獣,ジャッカルやだちょうがわたしの栄光をたたえるであろう。なぜなら,わたしは荒野にさえ水を,砂漠に川を与えて,わたしの民,わたしの選んだ者に飲ませるからである。それは,わたしの賛美を詳しく話すよう,わたしが自分のために形造った民なのである」。―イザヤ 43:18-21。
18 エホバは,「最初のことを思い出すな」と述べておられますが,これは,僕たちが過去における神の救いの行為を記憶から消し去るべきだという意味ではありません。実のところ,そうした行為の多くは,神の霊感を受けたイスラエルの歴史書の一部となっており,エホバご自身,年ごとの過ぎ越しの祝いの際にエジプトからの脱出を思い出すよう命じておられます。(レビ記 23:5。申命記 16:1-4)とはいえエホバは,ここで民に,「新しいこと」,つまりこれから身をもって経験することに基づいて神の栄光をたたえるよう求めておられます。そうした事柄には,バビロンからの救出だけでなく,砂漠の直行ルートを行くと思われる奇跡的な帰還の旅も含まれます。その不毛の地において,エホバは民のために「道」を設け,モーセの時代のイスラエル人のために行なった事柄を思い起こさせる強力な業を行なわれます。砂漠で帰還者たちに食物を与え,渇きを本物の川でいやさせるのです。エホバの備えがあまりにも豊かなので,野獣も神の栄光をたたえ,民を襲うことを控えます。
19 霊的なイスラエルの残りの者とその仲間たちは,どのように「神聖の道」を歩んでいますか。
19 同様に,1919年,霊的なイスラエルの残りの者もバビロンへの捕らわれから自由にされ,エホバが整えてくださった道筋である「神聖の道」を歩み始めました。(イザヤ 35:8)イスラエル人の場合とは違い,残りの者は,焼け付くような砂漠を通って地理的に移動する必要はなく,その旅も,数か月後にエルサレムに到着して終わるようなものではありませんでした。むしろ,「神聖の道」を歩む油そそがれたクリスチャンの残りの者が到達したのは,霊的なパラダイスでした。それら残りの者は,その「神聖の道」にとどまります。この事物の体制の終わりに至るまで,なおも旅を続けなければならないからです。彼らは,この街道にとどまる限り,つまり清さと神聖さに関する神の規準を守り行なっている限り,霊的なパラダイスにもとどまります。さらに,たいへん喜ばしいことに,“イスラエル人でない”仲間たちの大群衆が加わっています。サタンの体制に頼る人々とは全く対照的に,残りの者もその仲間たちも,エホバのみ手による豊かな霊的な宴に引き続きあずかっています。(イザヤ 25:6; 65:13,14)獣のようであった大勢の人々も,神の民に注がれているエホバの祝福に気づき,自分の歩みを改めて,まことの神の栄光をたたえるようになっています。―イザヤ 11:6-9。
エホバはご自分の苦痛を明らかにされる
20 イザヤの時代のイスラエルは,どのようにエホバの期待を裏切りましたか。
20 古代の回復したイスラエルの残りの者は,イザヤの時代の邪悪な世代と比べると,変化した民であると言えます。イザヤの時代の世代について,エホバはこう述べておられます。「ヤコブよ,あなたはこのわたしを呼ばなかった。イスラエルよ,あなたはわたしにうみ疲れたからである。あなたはわたしにあなたの全焼燔の捧げ物の羊を携えて来なかったし,あなたの犠牲をもってわたしの栄光をたたえることもしなかった。わたしは供え物をもってわたしに仕えるようあなたを強要したこともなく,乳香であなたをうみ疲れさせたこともない。あなたはわたしのために,芳香を放つ籐を金を払って買うこともしなかった。あなたの犠牲の脂肪でわたしを飽かさなかった。実際には,あなたはあなたの罪ゆえに仕えるようわたしを強要し,あなたの誤りでわたしをうみ疲れさせたのだ」。―イザヤ 43:22-24。
21,22 (イ)エホバの要求は重荷ではないとなぜ言えますか。(ロ)どんな点で,民はあたかもエホバを自分たちに仕えさせているかのようですか。
21 エホバは,「わたしは供え物をもってわたしに仕えるようあなたを強要したこともなく,乳香であなたをうみ疲れさせたこともない」と述べておられますが,これは犠牲や乳香(聖なる香の成分)が不要であるという意味ではありません。むしろ,犠牲と乳香は律法契約のもとで,真の崇拝に不可欠な要素です。「籐」についても同じことが言えます。この「籐」とは,聖なるそそぎ油の甘い香りの成分である,芳香性のしょうぶのことです。イスラエル人は神殿での奉仕においてこれらの物を使うことを怠っています。しかし,こうした要求は重荷なのでしょうか。決してそうではありません。エホバの要求は,偽りの神々の要求と比べれば軽いものです。例えば,偽りの神モレクは子どものいけにえを要求しましたが,エホバはそのような要求をしたことは一度もありません。―申命記 30:11。ミカ 6:3,4,8。
22 イスラエル人は,霊的な知覚力を持ってさえいれば,『エホバにうみ疲れる』ことなどないはずです。律法から自分たちに対する神の深い愛を読み取り,喜んで神に「脂肪」を,つまり犠牲の最良の部分をささげるはずです。ところが,貪欲にも脂肪をわがものとしています。(レビ記 3:9-11,16)この邪悪な国民は自分たちの罪という重荷をエホバにのしかからせており,あたかも神を自分たちに仕えさせているかのようです。―ネヘミヤ 9:28-30。
懲らしめは実を結ぶ
23 (イ)エホバの懲らしめが全く正当であると言えるのはなぜですか。(ロ)イスラエルに与えられる神の懲らしめには,どんなことが含まれていますか。
23 エホバの懲らしめは,たとえ厳しいもの ― もちろん正当な厳しさのもの ― であっても,望ましい結果を生み,憐れみを示すことを可能にします。「わたしが ― わたし自身のためにあなたの違犯をぬぐい去っている者なのである。わたしはあなたの罪を思い出さない。わたしに思い起こさせよ。わたしたちを共に裁きに掛けよう。あなたが正しいとされるために,それに関する自分の主張を行なえ。あなたの父,最初の者は罪をおかし,あなたの代弁者たち[「通訳たち」,脚注]はわたしに対して違犯をおかした。それで,わたしは聖なる場所の君たちを汚し,ヤコブを滅びのためにささげられた者として渡し,イスラエルをののしりの言葉に渡す」。(イザヤ 43:25-28)世界の諸国民すべてと同様,イスラエルは,「最初の者」アダムの子孫です。それゆえ,イスラエル人はだれ一人として,自分が「正しい」ことを証明できません。イスラエルの「代弁者たち」― 律法の教師あるいは通訳たち ― も,エホバに対して罪をおかし,偽りを教えてきました。それでエホバはご自分の国民をそっくり「滅び」に,また「ののしりの言葉に」引き渡します。さらに,ご自分の「聖なる場所」で職務を行なっている者たちをみな汚します。
24 古代でも現代でも,エホバがご自分の民を許されるのは,おもにどんな理由によりますか。それでも,民に対してどんな気持ちを持っておられますか。
24 とはいえ,結果として神が憐れみを示すのは,単にイスラエルが悔恨の情を抱くからではなく,エホバご自身のためである,という点に注目してください。そうです,エホバのみ名が関係しているのです。神がイスラエルを永久に流刑状態に捨ておくなら,それを見る者たちは神ご自身のみ名を非難するでしょう。(詩編 79:9。エゼキエル 20:8-10)同様に今日でも,人間の救いより,エホバのみ名が神聖にされること,また神の主権の正しさが立証されることのほうが重要です。とはいえエホバは,素直に懲らしめを受け入れ,霊と真理をもって神を崇拝する人々を愛しておられます。そして,イエス・キリストの犠牲に基づいてそうした人々 ― 油そそがれた者たちも,ほかの羊も ― の違犯をぬぐい去ることにより,その人々に対する愛を実証されます。―ヨハネ 3:16; 4:23,24。
25 近い将来,畏怖の念を起こさせるどんなことをエホバは行なわれますか。わたしたちは今,どうすれば感謝の気持ちを実証できますか。
25 さらに,間もなくエホバは,忠節な崇拝者たちの大群衆を救い出して「大患難」を通過させ,清められた「新しい地」へと導き入れることによって新しいことを行ない,その者たちに対する愛を実証されます。(啓示 7:14。ペテロ第二 3:13)その大群衆は,人類史上最も畏怖の念を抱かせるエホバの力の顕現の証人となります。そうした事柄が確かに起きると期待できるからこそ,油そそがれた残りの者と,大群衆を構成するすべての人は,歓び,「あなた方はわたしの証人である」という言葉によって与えられた崇高な任務を果たしつつ日々生きてゆくのです。―イザヤ 43:10。
[脚注]
a 世界各地の様々な神話の中では,多くの神々が“生み出され”たり,“子供”をもうけたりしています。
[48,49ページの図版]
エホバは,エルサレムに帰還するユダヤ人を支える
[52ページの図版]
エホバは諸国民に向かって,自分たちの神々のために証人を連れて来るよう挑戦する
1. バアルのブロンズ像 2. アシュトレテの粘土製小立像 3. ホルス,オシリス,イシスから成るエジプトの三つ組 4. ギリシャの神アテナ(左)とアフロディテ
[58ページの図版]
「あなた方はわたしの証人である」。―イザヤ 43:10