第9章
「私は,彼らに一致した心を与え」る
ポイント: 回復というテーマがエゼキエルの預言の中でどのように展開されているか
1-3. バビロニア人はエホバを崇拝する人たちをどのようにあざけりましたか。なぜですか。
忠実なユダヤ人として大都市バビロンで暮らしている自分を想像してみてください。ユダヤ人が捕囚にされてからもう50年ほどたっています。あなたは安息日の習慣通り出掛けていきます。仲間と集まってエホバを崇拝するためです。にぎやかな通りを歩いていくと,幾つもの堂々たる神殿や無数の聖堂があります。そうした場所で大勢の人々がマルドゥクなどの神々に捧げ物をしたり,神をたたえる歌を歌ったりしています。
2 人混みから離れた所で,あなたは仲間の崇拝者の小さなグループと落ち合います。a 静かな場所を見つけて,一緒に祈ったり,賛美の歌を歌ったり,神の言葉について考えたりします。そこはバビロンの運河のほとりかもしれません。皆で祈っていると,係留されている荷船がきしむ,のどかな音が聞こえてきます。その場の平和な雰囲気にほっとし,地元の人たちに見つかって集会を妨害されないことを願います。そういうことがよくあるからです。人々はなぜ邪魔をするのでしょうか。
3 バビロンは長年にわたって戦争で勝利を収めてきました。バビロニア人はそれを自分たちの神々のおかげだと思っています。エルサレムが完全に滅ぼされたのも自分たちの神マルドゥクの方がエホバより強い証拠だ,と信じているのです。それで,あなたの神や民をばかにしています。あざけって,「シオンの歌を1曲,歌って聞かせろ」と言うこともあります。(詩 137:3)詩編の中には,エホバの敵に対するシオンの勝利をたたえる詩が多くあります。そういう詩を好んでばかにするのでしょう。バビロニア人による仕打ちについて述べている詩もあります。例えばこのような内容です。「国々は……エルサレムを廃虚とし……私たちは……周りからあざけられ,笑いものにされた」。(詩 79:1,3,4)
4,5. エゼキエルの預言はどのような希望を与えていますか。この章ではどんな点を考えますか。(冒頭の挿絵を参照。)
4 背教したユダヤ人たちも事あるごとに,あなたがエホバや預言者たちを信じていることをばかにします。でもそのようにあざけられても,あなたや家族は清い崇拝を行うことで安らぎを感じています。一緒に祈ったり歌ったりすると晴れ晴れとした気持ちになります。神の言葉を読むと心が落ち着きます。(詩 94:19。ロマ 15:4)今日は,仲間の崇拝者の1人が集会に特別なものを持ってきました。エゼキエルの預言が記された巻物です。エホバがご自分の民を故国に帰還させるという約束について聞くのはうれしいことです。そうした預言の朗読を聞くと,胸が高鳴ります。自分や家族がいつの日か故国に戻って清い崇拝の回復を手伝うという希望について思い巡らすと,わくわくします。
5 エゼキエルの預言には,回復に関する約束が繰り返し出てきます。希望にあふれたそのテーマについて調べましょう。それらの約束は,捕囚にされたユダヤ人たちの時代にどのように実現したでしょうか。現代ではどのように実現していますか。将来になってから最終的に実現する預言についても考えます。
「彼らは捕囚にされ,捕囚の地に連れていかれる」
6. 神はご自分の反逆的な民に対して繰り返し警告しました。どんな例がありますか。
6 エホバはエゼキエルを通してご自分の民に,反逆的な歩みに対する処罰を与えることをはっきりと伝えました。「彼らは捕囚にされ,捕囚の地に連れていかれる」と言ったのです。(エゼ 12:11)この本の第6章で考えたように,エゼキエルはそのことを演じてみせることさえしました。とはいえ,そのような警告を伝えたのはエゼキエルが最初ではありません。900年ほど前のモーセの時代から,エホバはご自分の民に対し,反逆的な歩みを続けるなら捕らわれて他の国に連れていかれることになる,と警告していました。(申 28:36,37)イザヤやエレミヤといった預言者たちも同様の警告を伝えました。(イザ 39:5-7。エレ 20:3-6)
7. エホバはご自分の民がどんな処罰を受けるようにしましたか。
7 しかし,残念なことに,大半の人は警告に耳を貸そうとしませんでした。やがてエホバは,人々が悪い牧者たちの影響を受けて反逆し,偶像崇拝を行い,不忠実になり,堕落していくのを見て,悲嘆するようになります。それで,人々が飢饉で苦しむようにしました。その災難は人々にとって恥でした。そこは「非常に肥沃な土地」として知られていたからです。(エゼ 20:6,7)その後エホバは,昔から予告していた通り,強情な民が捕囚にされることによって処罰を受けるようにします。紀元前607年にバビロンのネブカドネザルがエルサレムと神殿を滅ぼし,いわばとどめを刺しました。生き残ったユダヤ人のうち何千人もが捕囚にされ,バビロンに連れていかれました。そのバビロンで,この章の冒頭で考えたようなあざけりや反対を受けたのです。
8,9. クリスチャン会衆は,背教について神からのどんな警告を与えられましたか。
8 バビロン捕囚と似たようなことが,クリスチャン会衆にも生じたでしょうか。確かに生じました。古代のユダヤ人と同じように,キリストの弟子たちも事前に警告を受けていました。イエスは宣教を始めて少したった頃にこう言いました。「羊のふりをしてやって来る偽預言者たちに警戒していなさい。その人たちは実際には,むさぼり食うオオカミです」。(マタ 7:15)何年も後に,使徒パウロも神の聖なる力に導かれて同様の警告を述べました。「私が去った後に圧制的なオオカミが皆さんの間に入り込んで群れを優しく扱わないことを,私は知っています。そして,皆さんの中からも,弟子たちを引き離して自分に付かせようとして曲がった事柄を言う者たちが現れます」。(使徒 20:29,30)
9 クリスチャンは,そうした危険な人たちをどのように見分けて避ければよいかを教えられました。クリスチャンの長老たちは,会衆から背教者を除くよう指示されました。(テモ一 1:19。テモ二 2:16-19。ペテ二 2:1-3。ヨハ二 10)それなのに多くのクリスチャンが,古代のイスラエルやユダと同じように,愛に基づく警告に徐々に耳を傾けなくなりました。西暦1世紀が終わる頃には,背教が会衆に根を下ろしていました。西暦1世紀の終わりにまだ生きていた,最後の使徒ヨハネは,会衆が腐敗し反逆がはびこっているのを目にしました。その悪い流れに対する抑制力として残っていたのはヨハネだけでした。(テサ二 2:6-8。ヨハ一 2:18)では,ヨハネの死後はどうなったでしょうか。
10,11. 小麦と雑草に関するイエスの例え話は,西暦2世紀以降その通りになりました。どんな状態が見られましたか。
10 ヨハネの死後,小麦と雑草に関するイエスの例え話の通りになり始めました。(マタイ 13:24-30を読む。)イエスが予見したように,サタンが会衆に「雑草」つまり偽のクリスチャンをまいたため,会衆はどんどん腐敗しました。偶像崇拝,異教の祝日や習慣,神を認めない哲学や間違った宗教を源とする教理などによって汚されていったのです。エホバは,ご自分の子が創設した会衆がそうなるのを見て,非常に悲嘆したに違いありません。では,どうしたでしょうか。不忠実なイスラエルに対してしたのと同じように,ご自分の民が捕囚にされるようにしました。西暦2世紀のある時点から,小麦のような人たちは偽のクリスチャンに交じって区別がつかなくなりました。真のクリスチャン会衆は,世界中の間違った宗教全体を表す大いなるバビロンによって,いわば捕囚にされたのです。偽のクリスチャンはその腐敗した組織に取り込まれて増え広がり,キリスト教世界が存在するようになりました。
11 キリスト教世界が幅を利かせていた暗黒の時代にも,真のクリスチャンは存在していました。イエスの例え話に出てくる「小麦」のような人たちです。エゼキエル 6章9節に記されている,捕囚にされたユダヤ人のように,彼らは真の神を思い出しました。勇敢にもキリスト教世界の間違った教理に異議を唱えた人たちもいて,あざけられたり迫害されたりしました。エホバはそのような間違った宗教の闇の中に,ご自分の民をずっと見捨てておくのでしょうか。そうではありません。古代のイスラエルの場合と同様,エホバの怒りは適切な期間,ふさわしい程度に表されました。(エレ 46:28)さらに,エホバはご自分の民を何の希望もないままにはしておきませんでした。古代バビロンで捕囚にされていたユダヤ人たちの例に戻って,その捕らわれの状態が終わるという希望をエホバがどのように与えたかを見てみましょう。
「私の怒りは収ま」る
12,13. エゼキエルの時代に捕囚にされていたユダヤ人に対するエホバの怒りはやがて静まります。なぜでしょうか。
12 エホバはご自分の民に対する正当な怒りを率直に表しましたが,その怒りがいつまでも続くことはないという保証も与えました。例えば次のように述べています。「私の怒りは収まり,人々に対する憤りは静まり,私は気が治まる。私が彼らへの憤りを表し終える時,彼らは,私エホバが全くの専心を求めて語ったことを知らなければならなくなる」。(エゼ 5:13)エホバの憤りがやがて静まるのはどうしてでしょうか。
13 捕囚にされた人たちの中には,不忠実な同胞と一緒に捕らわれた忠実なユダヤ人たちもいました。さらに,神はエゼキエルを通して,ご自分の民の中には捕囚にされている間に悔い改める人たちもいる,ということを予告していました。後悔したそれらのユダヤ人は,自分たちが神に反逆して行った恥ずべき事柄を思い起こし,エホバに許しと恵みを懇願します。(エゼ 6:8-10; 12:16)忠実な人たちの中には,エゼキエルのほかに,預言者ダニエルと3人の友もいました。長生きしたダニエルは,バビロン捕囚の始まりと終わりの両方を目撃しました。ダニエル 9章には,イスラエルの罪に関するダニエルの心からの悔い改めの祈りが記されています。捕囚にされていた大勢の人たちも,ダニエルと同じように感じ,エホバの許しと新たな祝福を切望していたに違いありません。ですから,エゼキエルが神の聖なる力に導かれて記した解放と回復の約束に,胸を躍らせたことでしょう。
14. エホバがご自分の民を故国に帰還させるのはなぜですか。
14 とはいえ,エホバの民の解放と清い崇拝の回復には,もっと重要な要素が関係していました。長い捕囚の期間が終わるのは,民が解放されて当然だったからではなく,またしてもエホバが全ての国々の前でご自分の名を神聖なものとする時が来たからです。(エゼ 36:22)バビロニア人は,自分たちが崇拝するマルドゥクなどの神々が,主権者である主エホバの足元にも及ばないということを思い知らされます。では,エホバがエゼキエルを導き,捕囚にされていた同胞たちに伝えさせた,5つの約束について考えましょう。まず,それらの約束が当時の忠実な人たちに関連してどのように実現したかを見ます。それから,さらに大規模な実現についても考えます。
15. 帰還する人たちは,以前と違ってどのような崇拝を行うようになりますか。
15 約束1: 偶像崇拝など,間違った宗教にまつわる汚らわしい行いは取り除かれる。(エゼキエル 11:18; 12:24を読む。)この本の第5章で考えたように,エルサレムと神殿は,偶像崇拝をはじめとする間違った宗教の慣行によって汚されていました。そのため人々は堕落し,エホバから遠く離れていました。エホバがエゼキエルを通して予告したように,捕囚にされた人々には,清く汚れのない崇拝を再び行えるようになる見込みがありました。回復に関連した他の祝福は全て,神の清い崇拝が回復されることに懸かっていました。
16. エホバはご自分の民の故国に関してどんな約束をしましたか。
16 約束2: 故国に帰還する。エホバは捕囚にされていた人々に,「私はあなたたち[に]イスラエルの土地を与える」と言いました。(エゼ 11:17)これは驚くべき約束でした。神の民はバビロニア人からあざけられ,愛する故国に戻るという希望など持てなかったに違いないからです。(イザ 14:4,17)エホバはさらに,帰還した人々が忠実であり続けるなら,肥沃な土地で有意義な仕事を行って豊かな食物を得られる,ということも約束しました。飢饉によって恥や惨めさを感じることはもうなくなるのです。(エゼキエル 36:30を読む。)
17. エホバへの犠牲についてはどんなことが約束されましたか。
17 約束3: エホバの祭壇でまた供え物が捧げられるようになる。この本の第2章で見たように,律法の下では,犠牲や捧げ物が清い崇拝に欠かせませんでした。帰還したユダヤ人たちは,従順であり続け,エホバだけを崇拝するなら,捧げ物をエホバに受け入れてもらえました。そのようにして贖罪を行い,神との親しい関係を保つことができました。エホバはこう約束していました。「イスラエル国民全体は……その土地で私に仕える。私はそこで彼らのことを喜び,寄進物や最上の捧げ物,あらゆる聖なるものを求める」。(エゼ 20:40)清い崇拝がまさしく回復され,神の民は祝福されるのです。
18. エホバはご自分の民をどのように世話しますか。
18 約束4: 悪い牧者は除かれる。神の民が大きく道を踏み外した主な理由の1つは,堕落した指導者たちの影響を受けたことです。エホバはそうした状況を変えることを約束しました。悪い牧者たちについて,「彼らに私の羊の世話をやめさせ,……彼らの口から私の羊を救い出[す]」と述べています。また,忠実な人々については,「私は自分の羊を世話する」と保証しています。(エゼ 34:10,12)どのように世話するのでしょうか。忠実で神に尽くす人たちを牧者とするのです。
19. エホバは一致に関してどんな約束をしましたか。
19 約束5: エホバを崇拝する人たちは一つになる。神の民は捕囚にされる前,分裂していました。忠実な崇拝者たちはそれを見てつらい気持ちになったことでしょう。偽預言者や堕落した牧者の影響を受けた人たちは,エホバの忠実な預言者たちに逆らい,派閥に分かれて対立することさえしました。ですから,回復に関する約束の中でもとりわけ魅力的だったのは,エゼキエルを通して語られた次の言葉です。「私は,彼らに一致した心を与え,新たな精神を持たせる」。(エゼ 11:19)帰還したユダヤ人たちは,エホバ神と一つに結ばれ,神の民として一つになっている限り,敵に打ち負かされることはありません。1つの国民としてエホバに,非難や不名誉ではなく,栄光を再びもたらすことができるのです。
20,21. 帰還したユダヤ人たちは,神の約束の実現を目の当たりにしました。なぜそう言えますか。
20 バビロン捕囚から帰還したユダヤ人たちは,これら5つの約束が実現するのを見たでしょうか。昔の忠実な人ヨシュアが語った,次の言葉を思い起こしましょう。「皆さんの神エホバが話した全ての良い約束のうち,果たされなかった言葉は一つもありません。皆さんにとって全てその通りになりました。果たされなかった言葉は一つもありません」。(ヨシュ 23:14)ヨシュアの時代にそうだったように,故国に帰還したユダヤ人たちの時代にもそうだったと確信できます。
21 ユダヤ人たちは,偶像崇拝など,自分たちをエホバから遠ざけることになった間違った宗教の汚らわしい行いをやめました。故国に戻るなど夢のような話でしたが,実際に帰還でき,土地を耕して豊かな暮らしを楽しむようになりました。まず行ったことの1つは,エルサレムにエホバの祭壇を作り直し,受け入れられる捧げ物をすることでした。(エズ 3:2-6)エホバは民を祝福し,神に従う立派な人たちを牧者としました。忠実な祭司で写字生でもあったエズラ,総督のネヘミヤやゼルバベル,大祭司ヨシュア,勇敢な預言者だったハガイ,ゼカリヤ,マラキといった人たちです。民はエホバからの指示や導きに進んで従う限り,非常に長い間見られなかった一致を味わうことができました。(イザ 61:1-4。エレミヤ 3:15を読む。)
22. 回復に関する預言は古代に一度実現しましたが,それはもっと大規模な実現の予告編にすぎませんでした。なぜそう言えますか。
22 当時,回復に関するエホバの約束が実現したのは非常に喜ばしいことでした。ですが,それは後のはるかに大規模な実現の予告編にすぎませんでした。なぜそう言えるのでしょうか。エホバの約束の実現には条件があり,民は従順であり続けなければなりませんでした。やがてユダヤ人は再び不従順になり,反逆したので,条件が満たされなくなり,約束の全面的な実現には至らなかったのです。とはいえ,ヨシュアが述べたように,エホバの言葉は全てその通りになります。ですから,エホバの約束はさらに大規模に,もっと長期にわたって実現します。どのようにそうなってきたかを見てみましょう。
「私は……あなたたちのことを喜ぶ」
23,24. 「全ての事柄の回復の時」はいつ,どのように始まりましたか。
23 聖書を学んできた私たちは,1914年に終わりの時代が始まり,この邪悪な体制が最終局面を迎えたことを知っています。それはエホバに仕える人たちにとっては悲惨な時代ではありません。聖書によれば1914年に,「全ての事柄の回復の時」という喜ばしい時期が始まりました。(使徒 3:21)なぜそのことが分かるのでしょうか。1914年に天でどんなことがありましたか。イエス・キリストがメシアである王として即位しました。それが回復の始まりだと言えるのはなぜでしょうか。エホバは,ダビデ王の家系が永遠に王権を持ち続けると約束していました。(代一 17:11-14)紀元前607年にバビロニアがエルサレムを滅ぼし,ダビデの王統の統治を終わらせた時,王権は一度失われてしまいました。
24 「人の子」イエスはダビデの子孫であり,ダビデの王権を受け継ぐ正当な権利がありました。(マタ 1:1; 16:13-16。ルカ 1:32,33)ですから,1914年にエホバがイエスを天で王座に就けた時,「全ての事柄の回復の時」が始まりました。エホバはその完全な王を用いて,回復を推し進めることができるようになったのです。
25,26. (ア)神の民が大いなるバビロンに捕らわれていた長い期間はいつ終わりましたか。なぜそのことが分かりますか。(「なぜ1919年か」という囲みも参照。)(イ)1919年以来,何が実現し始めましたか。
25 キリストが王になって初めの頃に行ったことの1つは,地上で清い崇拝がどのように行われているかを父エホバと共に調べることでした。(マラ 3:1-5)イエスが小麦と雑草の例えの中で予告していたように,天に行くよう選ばれた真のクリスチャンである小麦と,偽のクリスチャンである雑草は,長い間見分けがつきませんでした。b しかし,1914年に「収穫の季節」が始まると,両者の違いがはっきりしてきます。1914年までの数十年間,忠実な聖書研究者たちは,キリスト教世界のひどい間違いの数々を暴露しており,その腐敗した組織から距離を置き始めていました。そして,ついにエホバが清い崇拝を回復させる時が来ます。「収穫の季節」が始まって間もない1919年の前半に,神の民は大いなるバビロンに捕らわれている状態から完全に解放されました。(マタ 13:30)捕囚の期間は終わったのです。
26 回復に関するエゼキエルの預言は,古代に神の民が経験したよりもはるかに大規模に実現し始めました。では,すでに調べた5つの約束が現代においてどのように実現してきたかを考えましょう。
27. 神の民はどのように偶像崇拝から清められましたか。
27 約束1: 偶像崇拝など,間違った宗教の汚らわしい行いが取り除かれる。19世紀の終わりごろから20世紀初頭にかけて,忠実なクリスチャンたちがグループで集まるようになり,間違った宗教に基づく慣行をやめていきました。三位一体の神をあがめること,人間は不滅の魂を持つという信条,地獄の教理などは,間違った宗教を起源としており,聖書に反する教えとして排除されました。崇拝に像を使うことは偶像崇拝であるということが明らかになりました。神の民は,崇拝に十字架を使うことも偶像崇拝の一種であることを徐々に理解するようになりました。(エゼ 14:6)
28. エホバの民はどういう意味で自分たちの土地に戻りましたか。
28 約束2: 神の民は自分たちの比喩的な土地に戻る。忠実なクリスチャンはバビロン的な宗教を後にし,比喩的な意味で自分たちが本来いるべき土地に戻りました。つまり,神から祝福された状態もしくは環境に戻ったのです。神からの食物がなくて飢えるということは,もう二度とありません。(エゼキエル 34:13,14を読む。)この本の第19章で詳しく取り上げますが,エホバはその土地を祝福し,人々がかつてないほど豊かに食物つまり教えを得られるようにしてきました。(エゼ 11:17)
29. 1919年に伝道活動に弾みがついたのはなぜですか。
29 約束3: エホバの祭壇でまた供え物が捧げられるようになる。西暦1世紀にクリスチャンたちは,神に動物の犠牲ではなく,それよりはるかに価値がある供え物を捧げるようにと教えられました。エホバを賛美し,エホバについて伝道することにより,言葉という供え物を捧げるのです。(ヘブ 13:15)約1800年にわたる捕囚の間,そうした捧げ物をするためのしっかりとした組織はありませんでした。しかし,捕囚期間が終わる頃には,神の民はすでにそのような賛美の犠牲を捧げていました。熱心に伝道を行い,集会で喜んで神を賛美していたのです。1919年以降,「忠実で思慮深い奴隷」は伝道にもっと重きを置くようになり,活動を徹底的に組織していきました。(マタ 24:45-47)こうして,エホバの聖なる名を賛美する人たちがますます増え,エホバの祭壇はその人たちが捧げる犠牲であふれるようになりました。
30. 良い牧者を必要としていた人々のために,イエスは何をしましたか。
30 約束4: 悪い牧者は除かれる。キリストは神の民を,キリスト教世界の利己的であくどい牧者たちから自由にしました。キリストの羊の群れの中では,そうした偽の牧者のように行動する人たちは牧者という立場から外されました。(エゼ 20:38)立派な羊飼いであるイエスは,自分の羊が良い世話を受けられるようにするため,1919年に忠実で思慮深い奴隷を任命しました。天に行くよう選ばれた忠実なクリスチャンで構成されるその小さなグループが,神からの教えという食物を提供する責任を担ったので,神の民はよく養われました。やがて,長老たちが訓練され,「神の羊の群れ」の世話を手伝うようになりました。(ペテ一 5:1,2)神の導きにより記されたエゼキエル 34章15,16節の言葉は,エホバ神とイエス・キリストの高い基準をクリスチャンの牧者に思い起こさせるためによく使われてきました。
31. エホバはエゼキエル 11章19節の預言をどのように実現させていますか。
31 約束5: エホバを崇拝する人たちは一つになる。長い年月の間に,キリスト教世界はたくさんの宗派に枝分かれしてきました。無数の分派がどうしようもないほど反目し合っています。対照的に,エホバの民の間ではまさに奇跡的な事柄が生じています。エホバは,エゼキエルを通して語った,「私は,彼らに一致した心を与え」るという約束を見事に実現させています。(エゼ 11:19)世界中で幾百万もの人々がキリストの弟子になっており,その人たちの民族,奉じていた宗教,経済状態,社会的な立場はさまざまですが,皆が同じ真理を学び,同じ活動を驚くほど一致して行っています。イエスは,地上で過ごした最後の晩に,自分の弟子たちが一つになるように熱烈に祈りました。(ヨハネ 17:11,20-23を読む。)今エホバはその願いをかつてない規模でかなえています。
32. 回復に関する預言が実現していることについてどう思いますか。(「捕らわれと回復に関する預言」という囲みも参照。)
32 この胸の躍るような回復の時に生きていられるのは,喜ばしいことではないでしょうか。現在私たちが行っている崇拝のあらゆる面で,エゼキエルの預言が実現しています。エホバは,エゼキエルを通して「私は……あなたたちのことを喜ぶ」と予告していた通り,今ご自分の民のことを喜んでいるに違いありません。(エゼ 20:41)世界中でエホバを賛美している民の一員であるのは,本当に素晴らしいことです。その民は長年にわたり間違った宗教に捕らわれていましたが,解放され,今ではよく養われて一致しています。とはいえ,回復に関するエゼキエルの預言の中には,将来さらに大規模に実現するものもあります。
「エデンの園のよう」
33-35. (ア)捕囚にされていたユダヤ人たちは,エゼキエル 36章35節の預言をどのように受け止めたでしょうか。(イ)この預言は現代のエホバの民にとってどんな意味を持ちますか。
33 すでに考えたように,「全ての事柄の回復の時」は,1914年にイエスが即位し,ダビデの王統の王による統治が回復した時に始まりました。(エゼ 37:24)その後エホバは,キリストに力を与え,長年にわたって間違った宗教に捕らわれていたご自分の民の間で清い崇拝を回復させました。しかし,回復をもたらすキリストの働きはそれで終わりでしょうか。そうではありません! キリストは将来にも目覚ましい働きを続けます。そのことについて,エゼキエルの預言は私たちの心を打つ詳細な点を明らかにしています。
34 例えば,神の導きにより記された次の言葉を考えてみてください。「人々はこう言う。『あの荒れ果てていた土地は,エデンの園のようになった』」。(エゼ 36:35)エゼキエルをはじめ,捕囚にされていたユダヤ人たちは,この約束をどのように受け止めたでしょうか。これが文字通りに実現して,回復された土地が,エホバによって最初に造られた楽園と見間違えるほどになる,とは思わなかったことでしょう。(創 2:8)そうではなく,回復された土地が美しく実り豊かになることをエホバが保証している,と理解したに違いありません。
35 この約束は,現代の私たちにとってはどんな意味を持つでしょうか。悪魔サタンが支配しているこの邪悪な世のただ中で,文字通りに実現するとは考えられません。そうではなく,今この言葉は比喩的な意味で実現しています。エホバに仕える私たちは,回復された比喩的な土地に住んでいる,と言えます。神への神聖な奉仕を中心とした,実り多い生活を送れる状態もしくは環境にいるのです。その比喩的な土地は,ますます楽園のようになっています。では,将来はどうなのでしょうか。
36,37. 将来のパラダイスではどんな約束が実現しますか。(「全ての事柄の回復の時」という囲みも参照。)
36 ハルマゲドンの大戦後,イエスは地球そのものにも回復をもたらします。千年統治の間,人間を導き,地球全体をエデンの園のような楽園に変えさせます。エホバの当初の意図通りのパラダイスにするのです。(ルカ 23:43)その時,全ての人間は仲良く暮らし,自分たちの住まいである地球を大切にします。危険や脅威はどこにもなくなります。次の約束でさえ実現するのです。「私は彼らと平和の契約を結び,どう猛な野獣をその土地から除き去る。彼らは荒野で安全に住み,森林で眠るようになる」。(エゼ 34:25)
37 思い描いてみてください。何も恐れる必要がないので,広大な地球のどこへでも自由に行くことができます。動物に危害を加えられることも,何らかの危険によって平和が脅かされることもありません。うっそうとした森林の奥深くにまで1人で入っていき,荘厳な美しさを楽しみ,そこで何の心配もなく眠ることさえできます。十分に休んで,元気に目を覚ますことができるのです。
38. エゼキエル 28章26節の約束が実現することを考えると,どんな気持ちになりますか。
38 次の約束の実現も目の当たりにします。「彼らはそこに安心して住み,家を建て,ブドウ園を造る。彼らを軽蔑する周囲の者たち全てに私が刑を執行する時,彼らは安心して住み,私が彼らの神エホバであることを知らなければならなくなる」。(エゼ 28:26)エホバの敵が全ていなくなった後,地球全体が平和で安心して暮らせる場所になります。私たちは地球を管理し,自分や家族を十分に養い,快適な家を建てて住み,ブドウ園などを造って作物を得ることができます。
39. パラダイスに関してエゼキエルが記した預言が実現すると確信できるのはなぜですか。
39 こうした約束は夢物語のように思えますか。もしそうなら,この「全ての事柄の回復」の時にすでに実現したことを思い起こしてください。サタンのすさまじい反対があるにもかかわらず,イエスは力を与えられ,史上最悪の時代に清い崇拝を回復させました。ですから,神がエゼキエルを通して語った約束は全て実現すると確信できるのです。
a 捕囚にされたユダヤ人のほとんどは,大都市バビロンから少し離れた集落に住んでいました。例えばエゼキエルは,他のユダヤ人と共にケバル川のほとりに住んでいました。(エゼ 3:15)とはいえ少数ながら,「王族や高貴な人たち」など,都市の中に住んでいた人たちもいました。(ダニ 1:3,6。王二 24:15)
b 例えば,16世紀の宗教改革者の誰かが天に行くよう選ばれたクリスチャンだったかどうかは分かりません。