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ヘロデ聖書に対する洞察,第2巻
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子供たちの殺りく ヘロデがベツレヘムとその地域の2歳以下の男の子をすべて殺りくしたという聖書の記述は,ヘロデとその邪悪な気質に関する他の歴史的な記述と調和しています。このことが起きたのは,ヘロデが死ぬ少し前のことでした。というのは,イエスは両親に連れられてエジプトに行くことによって難を逃れましたが,彼らはヘロデの死後戻って来て,ガリラヤに定住したからです。エホバはご自分の預言者エレミヤとホセアを通して,これらの二つの出来事を予告しておられました。―マタ 2:1-23; エレ 31:15; ホセ 11:1。
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ヘロデ聖書に対する洞察,第2巻
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占星術者たちは幼子の居場所に関する知らせをヘロデのもとに持ち帰らなかったため,王はベツレヘムとその地域の2歳以下の男の子をすべて殺りくすることを命じました。イエスはその間に,神からの警告を受けた両親によってエジプトに連れて行かれました。(マタ 2:12-18)ヘロデが死んだのが,西暦前1年よりも前であるということはまず考えられません。もしそうであれば,イエス(西暦前2年10月1日ごろに生まれた)は生後3か月にもなっていなかったことになるからです。
一方,子供たちの殺害が行なわれた時,イエスが2歳になっている必要はなかったでしょう。1歳未満だったということさえ考えられます。というのは,ヘロデの計算は星が占星術者たちに現われた時に基づいていましたが,その時彼らは東方にいたからです。(マタ 2:1,2,7-9)それは数か月の期間だったかもしれません。というのは,占星術者たちは,昔の占星術の中心地,つまりバビロンあるいはメソポタミアから来たと思われますが,もしそうだとすれば,それはかなりの長旅だったからです。西暦前537年,イスラエル人がバビロンから故国に帰還した時,その旅には少なくとも4か月を要しました。ヘロデは,2歳までの赤子をすべて殺せば,「ユダヤ人の王」として生まれたその子供を確実に抹殺できると結論したようです。(マタ 2:2)イエスがエジプトにそれほど長くは滞在されなかったらしいという事実は,それらの出来事からほどなくしてヘロデが死んだことを暗示しています。―マタ 2:19-21。
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