12章
「エホバの権威の下に大胆に語った」
パウロとバルナバはいつも謙虚で,反対に遭ってもめげずに語り続けた
1,2. ルステラでパウロとバルナバにどんなことがありましたか。
ルステラの町は大騒ぎです。生まれつき足が不自由だった男性が,喜びながら跳びはねています。2人の見知らぬ人が癒やしてくれたのです。見ていた人たちは驚いて息をのみ,この2人は神に違いないと思います。ゼウスの祭司が2人のために花輪を持ってきます。そして,犠牲として捧げるために雄牛も数頭連れてきます。雄牛は鼻を鳴らし,大きな鳴き声を上げています。パウロとバルナバは声を張り上げ,その崇拝行為をやめさせようとします。服を引き裂いて群衆の中に入っていき,崇拝しないでほしいと言います。興奮していた民衆はやっと引き下がり,静かになります。
2 ところが,思わぬ展開になります。ピシデアのアンティオキアやイコニオムから過激なユダヤ人たちがやって来て,パウロたちのことを悪く言い,ルステラの人たちにうそを吹き込みます。一時はパウロたちに敬服していた民衆は,態度を一変させ,パウロを取り囲んで石打ちにし始めます。怒りが収まるまで石を投げ付け,パウロは意識を失います。人々は,傷だらけになったパウロを町の外に引きずり出し,死んだと思って置き去りにします。
3. この章ではどんなことを考えますか。
3 どうしてこんなにショッキングな出来事が起きたのでしょうか。伝道する私たちは,この出来事からどんなことを学べるでしょうか。バルナバとパウロはめげずに宣教を続け,「エホバの権威の下に大胆に語」りました。2人の手本に長老たちはどのように倣えるでしょうか。(使徒 14:3)
「非常に大勢の人が信じるようになった」(使徒 14:1-7)
4,5. パウロとバルナバがイコニオムに行ったのはどうしてですか。そこでどんなことがありましたか。
4 少し前,パウロとバルナバはピシデアのアンティオキアでユダヤ人からの反対に遭い,町から追い出されました。それでも2人は弱気にならず,「足の土を振り払」ってアンティオキアから出ていきます。(使徒 13:50-52。マタ 10:14)彼らをどうするかは神にお任せし,事を荒立てずに町を去ります。(使徒 18:5,6; 20:26)2人はその後も喜びを失うことなく宣教旅行を続け,南東に150㌔ほど歩いて,タウロス山脈とスルタン山脈の間の肥沃な高原までやって来ました。
5 パウロとバルナバはまずイコニオムに行きます。そこはギリシャ文化が色濃く残っている町で,ローマの属州ガラテアの主要な町の1つでした。a ユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちが多く住んでいました。2人はいつも通り,会堂に入って伝道を始めます。(使徒 13:5,14)「パウロとバルナバが……立派に話をすると,ユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信じるようになった」と書かれています。(使徒 14:1)
6. パウロとバルナバが上手に教えられたのはどうしてですか。2人にどのように倣えますか。
6 パウロとバルナバはどうしてそんなに上手に教えられたのでしょうか。パウロは聖書の知識が豊富でした。イエスが約束のメシアであると確信してもらえるよう,歴史や預言,モーセの律法を見事に引き合いに出しながら論じました。(使徒 13:15-31; 26:22,23)バルナバは相手の気持ちに寄り添う人でした。(使徒 4:36,37; 9:27; 11:23,24)2人とも,自分に頼るのではなく,「エホバの権威の下に」語りました。伝道で2人にどのように倣えるでしょうか。聖書のことをよく知り,相手の心に響く聖句を選びましょう。どうすれば心からの思いやりが伝わるかを考えましょう。自分の考えを話すのではなく,エホバの言葉を使って教えましょう。
7. (ア)良い知らせによってどんなことが生じるかもしれませんか。(イ)家族から冷たくされるとしたら,どうするとよいですか。
7 でも,イコニオムの人みんながパウロとバルナバの話を聞いて喜んだわけではありません。「信じないユダヤ人たちは異国の人々をあおり立て,兄弟たちに対して悪感情を抱かせた」と書かれています。2人は,しばらくとどまって良い知らせの素晴らしさを伝えた方がよいと考え,「かなりの時をそこで過ごして……大胆に語」ります。その結果,「町の人々はユダヤ人の側と使徒の側とに分かれ」ました。(使徒 14:2-4)現代でも,同じようなことがよくあります。良い知らせによって固い絆が生まれることもあれば,分裂が生じることもあります。(マタ 10:34-36)聖書を学んでいることで,家族から冷たくされるかもしれません。でも単に,根拠のないうわさや批判を耳にして反対している場合もよくあります。いつも親切にし,誠実であり続ければ,やがて分かってくれる時が来るかもしれません。(ペテ一 2:12; 3:1,2)
8. パウロとバルナバがイコニオムを去ったのはどうしてですか。2人からどんなことを学べますか。
8 しばらくして,イコニオムのある人たちは怒って,パウロとバルナバを石打ちにしようとたくらみます。そのことを知った2人は,別の町に行って伝道することにしました。(使徒 14:5-7)現代の私たちも,同じように賢い判断をします。私たちのことを悪く言う人がいても,勇気を出して語り続けます。(フィリ 1:7。ペテ一 3:13-15)でも,暴力を振るわれそうになったら,自分や仲間の命を危険にさらすような無謀なことはしません。(格 22:3)
「生きている神を崇拝する」(使徒 14:8-19)
9,10. ルステラはどこにありましたか。住民はどんな人たちでしたか。
9 パウロとバルナバは,ローマの植民市ルステラに向かいます。イコニオムの南西30㌔ほどの所にあった町です。ルステラは,ピシデアのアンティオキアと関係が深かったものの,アンティオキアのようなユダヤ人コミュニティーはありませんでした。住民はギリシャ語も話したようですが,母語はルカオニア語でした。会堂がなかったためと思われますが,パウロとバルナバは公共の場所で伝道し始めます。以前ペテロがエルサレムで,生まれつき足が不自由な人を癒やしたことがありましたが,今回はパウロがルステラで,生まれつき足が悪い人を癒やします。(使徒 14:8-10)ペテロの時は,奇跡を見た大勢の人がクリスチャンになりましたが,パウロの時の反応は全く異なります。(使徒 3:1-10)
10 冒頭で見たように,ルステラの人たちは,足が不自由だった人が跳びはねているのを見て,パウロとバルナバを崇拝し始めます。バルナバのことを最高神ゼウス,パウロのことをヘルメス(ゼウスの子で神々の代弁者)と見なしました。(「ルステラとそこでのゼウスとヘルメスの崇拝」という囲みを参照。)2人は,自分たちの力は真の神エホバから来ているのであって,異教の神々とは全く関係がないことを民衆に分かってもらおうとします。(使徒 14:11-14)
11-13. (ア)パウロとバルナバはルステラの人たちにどんなことを話しましたか。(イ)2人がした話からまず何を学べますか。
11 ルステラの人たちはとても興奮して大騒ぎになっていますが,パウロとバルナバは何とかして心に訴え掛けようとします。2人は異教の人たちに上手に語り掛けました。こう記録されています。「皆さん,なぜこんなことをするのですか。私たちも,皆さんと同じ弱さを持つ人間です。そして,皆さんに良い知らせを伝えているのは,皆さんがこうした無駄なことをやめて,生きている神を崇拝するためです。神は天と地と海とその中の全ての物を造りました。昔,神は全ての国の人々がそれぞれの道を進むままにしました。それでも,善いことを行って,ご自分のことを明らかにしていました。天からの雨と実りの季節を与え,食物を豊かに供給して人々の心を喜びで満たしたのです」。(使徒 14:15-17)
12 2人がした話からいろいろなことを学べます。1つ目に何を学べるでしょうか。2人は自分たちが相手よりも上だとは全く思っていませんでした。自分を大きく見せようとはしませんでした。みんなと同じく弱い人間であることを謙虚に認めました。もちろん,2人は聖なる力を受けていましたし,正しい教えを知っていました。キリストと一緒に王になる見込みもありました。それでも,ルステラの人たちもキリストの後に従えば,同じ良いものを受けられる,ということを分かっていました。
13 私たちはどうでしょうか。伝道するとき,相手と自分は同じ立場だと本当に思っているでしょうか。聖書から正しいことを教えるとき,パウロとバルナバのように自分が称賛を受けないようにしているでしょうか。チャールズ・テイズ・ラッセルは良い手本です。兄弟は教えるのが上手な人で,19世紀後半から20世紀前半にかけて熱心に良い知らせを広めました。こう書いています。「私たちは……自分自身や自分たちの著作に対する賛辞や崇敬を求めてはおらず,師あるいはラビと呼ばれることを望んでいない」。まさにパウロとバルナバと同じ姿勢です。私たちが伝道するのは自分が称賛を受けるためではありません。「生きている神」について知ってもらうためです。
14-16. パウロとバルナバがルステラの人たちにした話から学べる2つ目と3つ目のことは何ですか。
14 2つ目に,相手に合わせたアプローチの大切さを学べます。イコニオムのユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちとは違い,ルステラの人たちは聖書についてほとんど知りませんでした。神とイスラエル国民の歴史についても知りませんでした。一方,ルステラは温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ,農業が盛んでした。収穫の時期などに,神が造った物の素晴らしさを体験することができました。パウロとバルナバは,相手にとってなじみ深いものを題材にして,説明しました。(ロマ 1:19,20)
15 私たちも相手に合わせたアプローチをしましょう。農家の人は種をまくとき,畑の状態によって土壌の整え方を変えます。軟らかい土の畑はさほど耕さなくても種をまけますが,土が硬ければまず丁寧に耕します。伝道もそれに似ています。まくのはいつも同じ種,神の王国の良い知らせです。でも,パウロとバルナバに倣って,相手の文化や生い立ち,信じていることを知るようにします。そして,それに合わせたアプローチをして,良い知らせを伝えます。(ルカ 8:11,15)
16 3つ目に,この出来事から何が学べるでしょうか。たとえベストを尽くしたとしても,まいた種が取り去られてしまったり,岩地に落ちたりすることもあります。(マタ 13:18-21)そうなっても,がっかりし過ぎないようにしましょう。パウロはしばらく後にこう書いています。「私たち一人一人[私たちが伝道した相手も含まれる]は,神に責任を問われることになるのです」。(ロマ 14:12)
「彼らをエホバに委ねた」(使徒 14:20-28)
17. デルベの後,パウロとバルナバはどこに行きましたか。どうしてですか。
17 石打ちにされたパウロは,ルステラの町の外に引きずり出され,置き去りにされました。弟子たちが周りを囲んで見ているとパウロは起き上がり,町の中で一夜を過ごすことにします。次の日,パウロとバルナバはデルベに向けて100㌔ほどの旅に出ます。体を痛めつけられたばかりのパウロにとって,この旅はつらく苦しいものだったに違いありません。しかし,パウロもバルナバも頑張り抜き,デルベに着いてから,「かなり大勢の人々」を「弟子となるよう手助けし」ます。その後,どうしたでしょうか。本拠地のシリアのアンティオキアに真っすぐ帰るのではなく,遠回りをして「ルステラ,イコニオム,[ピシデアの]アンティオキアに戻り」ました。「弟子たちを力づけ,信仰を保つよう励ま」すためです。(使徒 14:20-22)私たちにとって素晴らしい手本です。楽をしたいという気持ちよりも,会衆のことを思う気持ちの方が強かったのです。現代の旅行する監督や宣教者たちも同じようにしています。
18. 長老はどのようにして任命されますか。
18 パウロとバルナバは,弟子たちに温かい言葉を掛けたり,一緒に働いたりしただけでなく,「会衆ごとに長老たちを任命」することもしました。2人は宣教者として「聖なる力によって送り出されて」いたものの,祈って断食をしてから,「彼ら[長老たち]をエホバに委ね」ました。(使徒 13:1-4; 14:23)現代でも,同じようにして長老たちが任命されます。長老団は誰かを推薦する時,まず祈ってから,その兄弟が聖書に書かれている資格にかなっているかを検討します。(テモ一 3:1-10,12,13。テト 1:5-9。ヤコ 3:17,18。ペテ一 5:2,3)クリスチャンとして何年奉仕しているかが重要なわけではありません。その兄弟がどれほど聖なる力に導かれた生活を送っているかが大切です。それは兄弟の話すことやすること,周りの人からの評判に表れます。聖書に書かれている監督の条件にかなっていれば,「神の羊の群れ」の牧者になる資格があります。(ガラ 5:22,23)こういう任命をする責任は,巡回監督が担っています。(テモ一 5:22と比較。)
19. 長老は,神に何と言えるようでなければいけませんか。パウロとバルナバにどのように倣えますか。
19 長老たちには,会衆の人たちを世話する責任があります。きちんと責任を果たしています,と神に言えるようでなければいけません。(ヘブ 13:17)パウロとバルナバのように,先頭に立って伝道します。兄弟姉妹に温かい言葉を掛けて,元気づけます。楽をしたい気持ちになるときも,会衆のことを思って一生懸命に働きます。(フィリ 2:3,4)
20. 1世紀の兄弟たちの奉仕について知ると,どんな気持ちになりますか。
20 やがてパウロとバルナバは,本拠地のシリアのアンティオキアに帰り着きます。そして会衆のみんなに,「神が自分たちを通して行った多くのこと,また,神が信仰への扉を異国の人々に対して開いたことを話し」ました。(使徒 14:27)1世紀の兄弟たちの頑張りが報われたことを知ると,私たちも「エホバの権威の下に大胆に語っ[て]」いこうという気持ちになります。
a 「イコニオム フリギアの町」という囲みを参照。