26章
「誰も命を失いません」
船が難破しそうになる中,パウロは神が助けてくれることを信じ,みんなを勇気づけた
1,2. パウロはこれからどんな旅をしますか。どんなことが心配だったかもしれませんか。
「カエサルのもとに行くように」。パウロはフェストにそう言われてから,いろんなことを考えたはずです。この先どうなるのでしょうか。これまでの2年,ずっと拘禁されていたので,ローマへの長旅は大きな変化になります。(使徒 25:12)でも,今までの船旅で思い出すのは,爽やかな潮風やきれいな水平線だけではありません。海を越えてカエサルの所に行くまでにどんなことがあるか,心配になったかもしれません。
2 パウロは何度も「海での危険」に遭ったことがありました。3度難船したことがあり,海の上を一昼夜,漂ったこともあります。(コリ二 11:25,26)しかも,今回の旅はこれまでの宣教旅行とはだいぶ違います。捕らわれの身での旅になりますし,かなりの距離を移動します。カエサレアからローマまでは3000㌔以上あります。無事にたどり着けるでしょうか。たどり着いたとしても,待っているのは死刑判決なのでしょうか。ローマで,当時の世界の最高権力者に裁かれることになっています。
3. パウロはどんな決意でいましたか。この章ではどんなことを考えますか。
3 パウロは今後のことを考えて,絶望したり気力を失ったりするでしょうか。これまで私たちが読んできたパウロは,そういう人ではありません。試練が待ち受けていることを知っていましたが,具体的にどんな経験をするかは分かりませんでした。心配してもどうにもならないことを考えても,意味がありません。宣教が楽しめなくなるだけです。(マタ 6:27,34)エホバがパウロに願っているのは,行った先々で神の王国の良い知らせについて語ることでした。そうやって権力者たちにも良い知らせを伝えてほしい,とエホバは思っていました。(使徒 9:15)パウロはそれが分かっていたので,何があっても自分の使命を果たす気でした。私たちもそのつもりではないでしょうか。では,パウロにどのように倣えるかを考えながら,旅の様子を見てみましょう。
「向かい風だった」(使徒 27:1-7前半)
4. パウロはどんな船に乗りましたか。誰が一緒でしたか。
4 ユリウスというローマの士官が,パウロとほかの囚人たちを護送することになります。ユリウスは,カエサレアに来ていた商船に乗ることにします。小アジア西岸の港アドラミティオンから来ていた船です。アドラミティオンは,レスボス島の町ミテレネの向かい側にありました。船は北上してから西に向かい,途中の港に立ち寄って荷物の揚げ降ろしをしながら,進みます。旅行者が乗るのに適した船ではありませんでした。もちろん,囚人にとっても快適な船ではありません。(「船旅と通商航路」という囲みを参照。)幸い,乗っていたクリスチャンはパウロ1人ではありませんでした。仲間が少なくとも2人いました。アリスタルコと,旅の記録を書いたルカです。2人が自費で付いていくことを申し出たのか,パウロの付き添いとして同行することを許可されたのかは分かりません。(使徒 27:1,2)
5. パウロはシドンでどんなことを楽しめましたか。そこから,どんなことを学べますか。
5 船は1日かけて北に110㌔進み,シリア沿岸のシドンに停泊します。ユリウスはパウロを通常の犯罪者のようには扱わなかったようです。有罪とは決まっていないローマ市民だったからでしょう。(使徒 22:27,28; 26:31,32)ユリウスはパウロに,船を下りて仲間たちに会いに行くのを許可しました。兄弟姉妹は,長らく拘禁されていたパウロを喜んでもてなしたはずです。私たちも仲間を積極的にもてなしたいと思います。そうすれば,自分も元気をもらえます。(使徒 27:3)
6-8. シドンからクニドスまで旅はどのように進みましたか。その間パウロはどのように伝道したと考えられますか。
6 船はシドンを出て沿岸をさらに進み,キリキア地方のそばを通り過ぎます。パウロの故郷タルソスの近くです。ルカはその間どこかに停泊したとは記録しておらず,「向かい風だった」とだけ書いています。うまく航行できるか少し心配になったかもしれません。(使徒 27:4,5)それでも,きっとパウロはいつでも良い知らせについて話していたことでしょう。船の中で囚人や乗組員たち,兵士たちに話し,停泊した港の人たちにも伝道したはずです。私たちも,出会ういろんな人たちに神の王国について語りたいと思います。
7 やがて,船は小アジア南岸の港ミラに着きます。パウロたちはそこで,目的地のローマに向かう船に乗り換えます。(使徒 27:6)当時,ローマにはエジプトから穀物が多く運ばれてきていて,エジプトの穀物船がミラに寄港しました。ユリウスはその船を見つけ,兵士と囚人たちを乗せました。最初の船よりもずっと大きい船だったと思われます。小麦を多く積み,乗組員,兵士,囚人,ほかの乗客など276人が乗っています。船を乗り換えたことで,また新たな人たちに良い知らせを伝えられるようになりました。パウロはできるだけ多くの人と話したはずです。
8 次に寄港したのは,小アジアの南西の端にあるクニドスです。追い風であれば,そこまで1日ほどで行けます。でも,「船は何日もの間ゆっくりと進み,やっとのことでクニドスに着いた」と,ルカは書いています。(使徒 27:7前半)天候が悪くなってきていました。(「地中海の向かい風」という囲みを参照。)船は,激しい風と荒波にもまれながら進んでいきます。
「船が嵐にひどくもまれていた」(使徒 27:7後半-26)
9,10. クレタ島の近くでどんなことがありましたか。
9 船はクニドスからさらに西に向かう予定でしたが,「風のせいで進路を阻まれた」と,船に乗っていたルカは書いています。(使徒 27:7後半)船は本土から離れ,沿岸流を利用できなくなり,北西からの強烈な向かい風を受けて,南へ押し流されます。きっとすごい速さだったでしょう。以前にはキプロス島を風よけにして進んだことがありましたが,今回はクレタ島を風よけにすることにします。クレタ島の東端のサルモネ岬を過ぎると,風が少し穏やかになります。船が島の南側に回り,島で風がいくらか遮られたからです。みんなほっとしたことでしょう。でも,いつまでも安心してはいられません。冬が近づいていました。冬の海は非常に危険です。
10 ルカは,「やっとのことで[クレタ島の]沿岸を進み,良い港と呼ばれる場所に着いた」と書いています。島を風よけにしていても操縦に苦労したことが分かります。でも,ようやく小さな入り江に停泊場所を見つけました。海岸線が北に折れる少し手前だと思われます。ここにいつまでいるのでしょうか。「かなりの時が過ぎ」た,とルカは書いています。でも,待てば待つほど冬に近づき,航海が困難になります。9月や10月の船旅には危険が伴いました。(使徒 27:8,9)
11. パウロはどんなことを勧めましたか。しかし,どうすることになりましたか。
11 パウロは地中海を旅した経験があったので,意見を尋ねられたかもしれません。航海を続けないことを勧めます。もし続ければ,「危険な目に遭い,多くが失われます」。人の命も失われかねません。でも,船長や船主は行きたがり,ユリウスを説得します。冬の滞在に適した場所を早く見つけなければいけない,と思ったのかもしれません。大多数の人が,沿岸を進んだ所にあるフォイニクスを目指してみるべきだと考えます。そこは,冬を過ごせそうな,いくらか大きい港町だったのかもしれません。穏やかな南風が吹いてきて,一見,安全そうに思えた時に船を出発させました。(使徒 27:10-13)
12. 出港後,どんなことが起きましたか。乗組員たちはどのように切り抜けようとしましたか。
12 ところが出港して間もなく,北東から「暴風」が吹いてきます。それで,「良い港」から65㌔ほど離れた「カウダという小さな島」の近くに行って風をよけようとします。それでも,南に流されてアフリカ沖の砂州に乗り上げる危険があります。そうならないよう,乗組員たちは必死で策を講じます。まず,後ろにつながれていた小舟を引き上げます。小舟に水がたくさん入っているので,大変です。それから,船がばらばらにならないよう綱か鎖を船の下に回し,船体を縛ります。そして,索具類,帆や帆綱を降ろし,力を振り絞って船首を風に向け,嵐を切り抜けようとします。本当に恐ろしかったはずです。どんなに対策をしても,船は「嵐にひどくもまれ」続けます。3日目には,用具を海に投げ捨てます。浮力を得るためにそうしたと思われます。(使徒 27:14-19)
13. 嵐の間,船の中はどんな様子だったはずですか。
13 みんな恐怖におびえていたはずです。でもパウロたちは動じていません。パウロはイエスから,ローマで伝道することになるとはっきり言われていました。(使徒 19:21; 23:11)その後,天使も同じことを言いました。猛烈な嵐が2週間,昼も夜も続きます。雨が降り続き,厚い雲に遮られて太陽も星も見えないため,船の位置も方向も確認できません。まともな食事もできません。寒さ,雨,船酔い,恐怖のあまり,何も食べる気になりません。
14,15. (ア)パウロが,前にしたアドバイスに触れたのはどうしてですか。(イ)命が救われることをパウロがみんなに伝えたことから,私たちはどんなことを学べますか。
14 パウロは立ち上がって話し始め,出発前に航海を続けないよう勧めたことに触れます。でも,「だから言っただろ」というふうにみんなを責めているわけではありません。とはいえこうなった今,パウロのアドバイスが正しかったことは確かです。パウロが言うことには耳を傾けた方がよいのです。パウロはこう続けます。「勇気を出してください。誰も命を失いません。失われるのは船だけです」。(使徒 27:21,22)そう聞いて,みんなほっとしたことでしょう。パウロは,みんなの命が救われることをエホバから知らされていました。そのことを伝えられてうれしかったはずです。エホバが一人一人の命を大切に見ていることが分かります。「エホバは……一人も滅ぼされることなく,全ての人が悔い改めることを望んでいる」と,使徒ペテロも書いています。(ペテ二 3:9)命が救われるという希望について,私たちができるだけ多くの人に伝えることは本当に大切です。一人一人の大切な命が懸かっているからです。
15 パウロはこれまで,「神[の]約束の実現を待っている」ことについて,船の中で話してきたはずです。(使徒 26:6。コロ 1:5)船が難破しかけた今,パウロは,命が助かることを神が約束していると話します。「私が崇拝し……ている神から天使が遣わされ,昨夜,私のそばに立って,こう言いました。『パウロ,恐れることはありません。あなたはカエサルの前に立たなければなりません。神はあなたのために,船に乗っている人を皆,救ってくださいます』」。そして,こう勧めます。「それで皆さん,勇気を出してください。神がその通りにしてくださる,と私は信じています。とはいえ,私たちはどこかの島に流れ着くことでしょう」。(使徒 27:23-26)
「全員が無事に陸にたどり着いた」(使徒 27:27-44)
16,17. (ア)パウロはいつどんな場面で祈りましたか。祈りを聞いて,みんなどう感じましたか。(イ)どのようにして,パウロが言った通りになりましたか。
16 恐怖におびえた2週間が過ぎ,船が870㌔ほど流された頃,船乗りたちは,陸地に近づいているのではないかと感じます。岸に打ち付ける波の音が聞こえたのかもしれません。それで,船尾からいかりを投じます。漂流を避け,船首を陸の方に向けておくためです。そうすれば,浜辺に着岸するときに備えられます。船乗りたちはそれから,小舟でこっそり逃げようとしますが,兵士たちに阻まれます。パウロが士官と兵士たちに,「あの人たちが船にいなければ,皆さんは助かりません」と言ったからです。船がいくらか安定したので,パウロはみんなに食事を取るよう勧めます。命が助かることをもう一度伝えてから,祈って「皆の前で神に感謝し」ます。(使徒 27:31,35)パウロの心からの祈りを聞いて,ルカとアリスタルコは自分もそういう祈りをしようと思ったはずです。私たちも考えさせられます。代表して祈るとき,心が温かくなるような祈りを捧げているでしょうか。
17 パウロの祈りが終わると,「皆は勇気づけられ,食べだし」ます。(使徒 27:36)その後,積み荷の小麦を投げ捨て,船をさらに軽くします。岸に近づいた時に,できるだけ浅い所まで行けるようにするためです。夜が明けると,乗組員たちはいかりを断ち切り,船尾のかじの綱をほどき,前方の小さな帆を揚げて,浜辺に近づく時に少しでも操縦できるようにします。やがて,船の前部がおそらく砂州か泥にめり込み,船尾が波に打たれて壊れ始めます。兵士たちは,囚人たちが逃げてしまわないよう殺そうとしますが,ユリウスが止めます。ユリウスはみんなに,泳ぐか何かにつかまるかして岸に向かうよう命じます。こうして,パウロが言った通り,276人全員が生き延びました。「全員が無事に陸にたどり着いた」とあります。でも,どこに着いたのでしょうか。(使徒 27:44)
「非常に親切にしてくれた」(使徒 28:1-10)
18-20. マルタ島の人たちはどんなことをしてくれましたか。神はどんな奇跡を起こしましたか。
18 漂着したのは,シチリアの南にあるマルタ島でした。(「マルタ どの島のことか」という囲みを参照。)外国語を話す島の人たちが「非常に親切にしてくれ」ます。(使徒 28:2)ずぶぬれで震えている見知らぬ人たちのために,浜辺でたき火をしてくれます。雨が降る寒い中でしたが,たき火のおかげで温まることができました。その後,奇跡も起こります。
19 パウロはみんなのために自分も何かしようとして,小枝を集めて火にくべます。すると,毒蛇が出てきて,パウロの手にかみつきます。それを見たマルタ島の人たちは,神罰だと考えます。a
20 パウロがかまれたので,「腕が腫れ上がる」だろうと島の人たちは思いました。ある文献によれば,ここで使われているギリシャ語は「医学用語」です。「医者ルカ」らしい表現です。(使徒 28:6。コロ 4:14)結局,パウロは毒蛇を振り払い,全く無事でした。
21. (ア)ルカの記録が正確であることが,どんな表現から分かりますか。(イ)パウロはどんな奇跡を起こしましたか。奇跡を見て,島の人たちはどうしましたか。
21 ポプリオという裕福な地主が近くに住んでいました。ポプリオはマルタ島でローマの役人を務めていたのかもしれません。「島の主立った人」とルカは書いています。これは,マルタ島で見つかった2つの碑文にも出てくる称号です。ポプリオはパウロたちを3日間もてなします。あいにくポプリオの父親は病気でした。「熱と赤痢に苦しんで横になっていた」とルカは書き,ここでも病状を詳しく記録しています。パウロが祈ってから手を置くと,父親は癒やされます。島の人たちはいたく感激し,病気の人たちを連れてきて癒やしてもらおうとしました。そして,パウロたちのために必要な物をいろいろと持ってきて,贈り物をしました。(使徒 28:7-10)
22. (ア)ある教授は,ルカの記録についてどんなことを言っていますか。(イ)次の章ではどんなことを調べますか。
22 こうして見てきたパウロの船旅についての記録は,とても正確です。「ルカの記述は,聖書全体の中でも特に描写的で生き生きとしている。1世紀の操船術についての詳細はとても的確である上,地中海東部の様子の描写はとても正確なので,……日誌に基づいていると思われる」とある教授は言っています。ルカはパウロと旅をしながら,きっとそういうメモを取っていたのでしょう。旅の続きについて,ルカはどんなことを書いているでしょうか。ローマに着いたパウロはどうなったでしょうか。見てみましょう。
a マルタ島の人たちがその毒蛇について知っていたことから,当時,島に毒蛇が生息していたことが分かります。現在,マルタ島に毒蛇はいないようです。時の経過により環境が変わったのかもしれませんし,人口が増えたことによりいなくなったのかもしれません。