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命と平和のため,霊にしたがって歩みなさいものみの塔 2011 | 11月15日
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(ローマ 8:1,2を読む。)エホバは聖霊により彼らを養子とされ,「キリストと共同の相続人」と呼んでおられます。(ロマ 8:14-17)彼らは,神の霊と,キリストの贖いの犠牲に対する信仰により,パウロが述べた葛藤に勝利を収めることができるので,彼らに対して「有罪宣告はありません」。「罪と死の律法から」自由にされています。
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命と平和のため,霊にしたがって歩みなさいものみの塔 2011 | 11月15日
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9. ローマ 8章2節で使われている「律法」という語には,どんな意味がありますか。
9 パウロはモーセの律法のことだけを述べたのではありません。「霊の律法」と「罪と死の律法」にも言及しています。(ロマ 8:2)それらはどんな律法でしょうか。「律法」という語はこの場合,モーセの律法のような特定の規則集のことではありません。ある参考文献はこう述べています。「律法に相当するギリシャ語はこの場合,良いものであれ悪いものであれ,行動の内的な原則を意味し,律法のような規則性を伴って機能する。この語はまた,人の生き方に関係した基準を指している」。
10. わたしたちは罪と死の律法につながれているとどうして言えますか。
10 使徒パウロはこう書きました。「一人の人を通して罪が世に入り,罪を通して死が入り,こうして死が,すべての人が罪をおかしたがゆえにすべての人に広がった」。(ロマ 5:12)わたしたちは皆アダムの子孫として,罪と死の律法につながれています。罪深い肉は,神にとって不快な事柄を行なうよう絶えずわたしたちを促します。その結果は死です。パウロはガラテア人への手紙の中で,そうした行動と特性を「肉の業」と呼び,「そのような事柄を習わしにする者が神の王国を受け継ぐことはありません」と述べました。(ガラ 5:19-21)そのような人たちは,肉にしたがって歩む人たちと同じです。(ロマ 8:4)彼らの「行動の内的な原則」と,「生き方に関係した基準」は全く肉的だからです。しかし,肉にしたがって歩んでいるのは,淫行,偶像礼拝,心霊術などの甚だしい罪を犯す人だけでしょうか。そうではありません。肉の業には,ねたみ,激発的な怒り,口論,そねみなど,時に単なる人格上の欠点と見られるような事柄も含まれているからです。そのような人が肉にしたがって歩んでいないなどと,どうして言えるでしょうか。
11,12. エホバは,罪と死の律法を克服するよう助けるため,どんな備えを設けてくださいましたか。神の好意を得るには何をすべきですか。
11 エホバが,罪と死の律法を克服できるようにしてくださったのは,本当にうれしいことです。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされた」と,イエスは述べました。神の愛を受け入れ,イエス・キリストの贖いの犠牲に信仰を働かせるなら,受け継いだ罪ゆえの有罪宣告から解放されるのです。(ヨハ 3:16-18)ですから,わたしたちもパウロのように,「わたしたちの主イエス・キリストを通してただ神に感謝すべきです!」と感嘆の声を上げたくなるでしょう。
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