人生の導きをどこに求めますか 宗教は助けになりますか
聖書の答え
聖書は充実した人生を送るために,神の導きを求めることが大切だと教えています。神の導きを求める人は,神に喜ばれたいと強く願い,神の考え方に進んで合わせます。また,神の基準に従い,聖なる力の導きに沿って生きるよう努力します。(ローマ 8:5。エフェソス 5:1)
聖書はそれとは対照的な人についても述べています。例えば,「罪深い欲望に従う人は,神の聖なる力による事柄を受け入れません」。神の教えにも従いません。(コリント第一 2:14-16)また,罪深い考え方をする人はおおらかでも穏やかでもなく,「嫉妬[したり]争[ったり]」します。(コリント第一 3:1-3)また,中傷して親友たちを引き離す人は,「動物的な人で,神に導かれていません」。(ユダ 19。格言 16:28)a
この記事では次の点を取り上げます。
人間にはどんな能力があるか
神の導きに従うことが大切なのはなぜか
どうすれば神との絆を強められるか
神が求めていることを学び,それに従う。聖書を読めば,神の考えが分かります。聖書を書いた人たちは「聖なる力に導かれて」いたからです。(ペテロ第二 1:21)聖書を学べば,「聖なる力と真理に導かれて」神を崇拝できます。神に喜ばれる方法で崇拝できるのです。(ヨハネ 4:24)
神に祈り,助けを求める。(ルカ 11:13)神はご自分に似た性質を示せるよう私たちを助けてくれます。(ガラテア 5:22,23)生活上のさまざまな問題に対処する知恵も与えてくれます。(ヤコブ 1:5)
神の導きを求める人と交友を持つ。そうすれば,神との絆を強められます。(ローマ 1:11,12)それとは逆に,神と違う考え方をする人たちと交友を持つと,神との絆が次第に弱まってしまいます。(ヤコブ 4:4)
宗教団体に入る必要があるか
宗教団体に入っていれば神との絆が強まる,というわけではありません。聖書はこう言っています。「自分は信心深いと思っていても,舌を制御していないなら,その人は自分の心を欺いています。その人の崇拝は無意味です」。(ヤコブ 1:26,脚注)
聖書によれば,神の導きに従う人は神が望む方法で神を崇拝します。神の「聖なる力[が]1つ」であることを知っています。その聖なる力によって,1つの体として神を崇拝できます。つまり「平和という絆で結ばれ,聖なる力による一致」を保つグループとして神を崇拝できるのです。(エフェソス 4:1-4)
幸せになるために
こう思う人もいる 大切なのは,自己を実現し,自分の可能性を最大限発揮することだ。
事実 聖書によれば,大切なのは,神の考えに沿って生きることです。神の助けを得ずに自己を実現しようとすることではありません。エホバ神の導きに従う人は,創造者であるエホバに喜ばれること,またエホバの望む生き方をすることで達成感を味わいます。(詩編 100:3)
こう思う人もいる 自分に極端な制限を課したり,苦痛を与えたりする必要がある。
事実 自分の体を厳しく扱うことは,「自分勝手な崇拝の仕方」であり,罪深い考え方です。(コロサイ 2:18,23)聖書は神の導きに従う人の生き方を,痛みではなく喜びと結び付けています。(格言 10:22)
こう思う人もいる 心霊術などを行い,霊の世界とコンタクトを取ることが助けになる。
事実 心霊術の1つに,生きている人が死んだ人と交信するというものがあります。しかし,聖書は死んだ人が無意識だと教えています。(伝道の書 9:5)心霊術を行う人は,実際には,神に敵対する邪悪な天使と交信しています。神の怒りを買い,神との友情が損なわれます。(レビ記 20:6。申命記 18:11,12)
こう思う人もいる 生き物は全て神の導きを受けている。
事実 神が造ったものは全て,神の誉れとなります。(詩編 145:10。ローマ 1:20)しかし,知性を持つ者だけが神の導きを求める能力を持っています。それに対し,動物は本能で行動し,神との友情を持つことはできません。動物はほとんどの場合,欲求に基づいて行動します。(ペテロ第二 2:12)それで聖書は,神の導きを求める人の考え方や行動の仕方を動物的な考え方や行動の仕方と対比しています。(ヤコブ 3:15。ユダ 19)