覚えていますか
最近号の「ものみの塔」誌の記事はあなたにとって実際的な価値のあるものでしたか。では,以下の点を覚えているかどうか,試してみてください。
□ なぜテモテは若者たちが見倣うべき立派な模範であると言えますか。
テモテはパウロにとって非常に信頼できる忠実な仲間となるために,自分の家でのいわゆる普通の生活を犠牲にしました。テモテはどんなことがあってもパウロに堅く付き,宣べ伝える業においてパウロを支え,どこに遣わされても喜んで仕えました。(フィリピ 2:19,20)―8月15日号,14ページ。
□ バプテスマを受けるための資格はどのようなものですか。
バプテスマ希望者はバプテスマに関連した事柄を理解していなければなりません。エホバを愛するゆえに,エホバに仕えたいと心から願わなければなりません。これは,神の道徳上のご要求を固守し,自分の信仰を他の人々に伝えることによって示されます。加えて,祈りの中で,エホバに個人的に献身する必要もあります。―8月15日号,16ページ。
□ 心霊術を研究するのは,なぜ間違っていますか。
心霊術を研究するのは,エホバが嫌っておられる事柄を好むのと同じことになります。(箴言 6:16-19)事実それは,エホバを退けて,神の最大の敵およびその後援者の側に付くようなものです。―9月1日号,5ページ。
□ マラキ 3章16節で言及されている,「覚えの書」とは何ですか。
神はアベルの時からずっと,永遠の命に関して記憶されるべき,請け戻し可能な人類の世の人々を,書に書き込むかのように注意深く観察してこられたと言えるでしょう。この「覚えの書」は,「命の書」や「命の巻き物」と同じものです。(啓示 3:5; 17:8。マタイ 23:35)―9月1日号,29ページ。
□ 真の友はなぜ非常に貴重なものですか。
その友にはいつでも助けや,助言や,慰め,親交を求めることができます。―9月15日号,3ページ。
□ 死を招くこの世の『空気』とは何ですか。
それは,神から疎外された人々が示す利己心と不従順という全般的な精神,つまり支配的な態度のことです。(エフェソス 2:2。コリント第一 2:12)―9月15日号,11ページ。
□ 宗教が実際的な価値を持つものであるためには,その宗教は何をしなければなりませんか。
その宗教は良い実を結ばなくてはなりません。そして,良い人たちを生み出さなければなりません。また,地上がなぜ今日のような状態になってしまったのか,その理由を説明できなければなりません。そして,将来に対する確かな希望を人々の思いと心に植え付けなければなりません。(マタイ 7:17-20)―10月1日号,7ページ。
□ 宗教改革は何を成し遂げることに失敗しましたか。
初期の改革者たちの中には,聖書の規準に,つまり純粋のキリスト教に戻ることを夢見ていた人がいましたが,この夢は実現しませんでした。時たつうちに,プロテスタント諸教会の基本的な教理は,国教会であってもなくても,ローマ・カトリック教会の教理とほとんど変わらなくなりました。―10月1日号,25ページ。
□ カデシュ・バルネアで起きた事件の際,エホバがモーセとアロンに不利な裁きを下された理由は何でしたか。
詩編 106編32,33節を読むと,その点を洞察することができますが,その聖句はモーセが苦々しい霊に動かされて行動したこと,また『その唇で性急に話した』ことを明らかにしています。モーセは怒りを口に出し,実際に奇跡を起こして水を供給できる方であるエホバにではなく,かえって自分自身とアロンのほうに注意を向けました。このようにしてモーセは,『民の目の前で神を神聖なものとする』のを怠りました。(民数記 27:12-14)―10月15日号,31ページ。
□ イスラエルに与えられた律法には,どのような高潔な目的がありましたか。
イスラエルに与えられた律法は,国民を身体的にも,霊的にも,精神的にも,道徳的にも清くするためのものでした。―11月1日号,12ページ。
□ 結婚しないでいる間,貞潔を保つために何が助けになりますか。
霊の実を示せるよう,神の霊と助けを定期的に祈り求めることができます。神のみ言葉の助言を熟考し,それをいつも自分に当てはめます。ポルノと不道徳な娯楽を避け,自分の交わりに用心します。あらゆる汚れた話や卑わいな冗談を退けます。―11月15日号,20ページ。
□ 聖書の中で言われている治療と,今日の信仰治療者が言う治療とには,どんな決定的な違いがありますか。
イエスとその弟子たちは,治療に対して料金を課すようなことは決してしませんでした。聖書時代には,癒しは即座になされるか,あるいは短時間で成し遂げられました。―12月1日号,4,5ページ。
□ 真の崇拝において,大きな声で歌うことにはどのような益がありますか。
公の崇拝への参加は,それによって一層熱心なものになります。歌うことは集会に初めて出席した人々へのよい証言になります。一番大切なこととして,エホバに一層の賛美を帰することになります。―12月1日号,27ページ。