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「あなた方の心を騒がせてはなりません」ものみの塔 1988 | 2月15日
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パウロは次のような重要な忠告をフィリピの人たちに与えました。「何事も思い煩ってはなりません。ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい。そうすれば,一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守ってくださるのです」― フィリピ 4:6,7。
6,7 (イ)ストレスを軽減させる一つの方法は何ですか。(ロ)どうすれば,エホバとの親密な絆を培えますか。
6 種々の問題や重い責任ゆえに不安や心配が生じ,時に自分の精神や健康がその影響を受ける場合もあります。しかし,一人の医学専門家は「うろたえてはならない」という本の中で,「自分が尊敬するだれかに自分の抱える問題を打ち明けることができるなら,……おおむねストレスの度合いは非常に軽減される」と述べています。他の人とのやり取りに関してそれが事実であるとすれば,神に話すことから得られる助けはそれをはるかに上回ります。わたしたちはエホバに対して抱く敬意よりも深い敬意をだれに示せるでしょうか。
7 今日のクリスチャンにとってエホバとの親密で個人的な関係が非常に肝要なのはそのためです。エホバの円熟した僕たちはその点を十分わきまえているので,そうした関係を弱めかねない世の人々との交わりや気晴らしを避けるため十分注意します。(コリント第一 15:33)また,日に一,二回ではなく,頻繁に祈りによってエホバに語りかけることの重要性を認識しています。特に,若い,あるいは新しいクリスチャンは,み言葉の定期的な研究と黙想によって,またクリスチャンとしての交わりと奉仕によって,エホバとのこの親密な絆を培う必要があります。「神に近づきなさい。そうすれば,神はあなた方に近づいてくださいます」という勧めもあります。―ヤコブ 4:8。
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「あなた方の心を騒がせてはなりません」ものみの塔 1988 | 2月15日
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11,12 あるクリスチャンたちは,エホバが助けを与え,自分たちの祈りに答えてくださったことをどのように実感しましたか。
11 ところが,大抵の人は,特に物事がうまくゆかないときなど,将来のことを心配する傾向があります。しかし,クリスチャンは信仰をもってエホバに頼ることができ,また頼らなければなりません。エリナの例について考えてください。この女性の夫は重病にかかり,1年間は働けませんでした。エリナには二人の小さな子供と,世話の必要な老齢の父親がいたので,その上全時間の仕事を持つことはできませんでした。彼らはエホバに助けを祈り求めました。そのすぐ後のある朝のこと,彼らはドアの下にあった一つの封筒を見つけました。そこには,夫がまた働けるようになるまで十分に生活してゆけるだけの多額のお金が入っていたのです。この時宜にかなった助けに彼らは深く感謝しました。同じようなことが,困窮しているすべてのクリスチャンに生じると期待できる聖書的な根拠はありませんが,エホバがわたしたちの叫びをお聞きになることと,エホバには種々の方法でわたしたちを援助する力があることは確信できます。
12 南アフリカに住む一人のクリスチャンのやもめは,二人の幼い子供たちに必要物をあてがうため仕事を探さなければなりませんでした。しかし,子供たちと共に時間を過ごせるよう,働くのは半日だけにしたいという強い願いを抱いていました。仕事は見つかったものの,必要なのは全時間勤務の秘書だという経営者の意向がはっきりしたので,そこをやめざるを得なくなりました。またもや失業してしまったこの姉妹は,真剣にエホバに助けを祈り求めました。3週間後,以前の経営者から,半日の勤務でよいから戻ってほしいという依頼がありました。姉妹は本当に喜びました! エホバが自分の祈りを聞き届けてくださったのだと思いました。
エホバに祈願してください
13 (イ)「祈願」にはどのような意味がありますか。(ロ)祈願について,聖書にはどんな実例がありますか。
13 パウロが,「何事も思い煩ってはなりません」と忠告した後に,「ただ,事ごとに祈りと祈願をし,感謝をささげつつあなた方の請願を神に知っていただくようにしなさい」と付け加えていることにぜひ注目してください。(フィリピ 4:6)なぜ「祈願」のことが述べられているのでしょうか。この語には「真剣な懇願」あるいは「嘆願するような祈り」という意味があります。多大の圧力や重大な危機に面した場合のように,極めて真剣に神に哀願するという意味があるのです。パウロは囚人だったころ,『鎖につながれた大使として良いたより』を恐れずに宣べ伝えることができるよう,自分のために祈願をしてほしいと仲間のクリスチャンに頼みました。(エフェソス 6:18-20)ローマの士官であったコルネリオも「絶えず神に祈願をささげて」いました。「あなたの祈りと憐れみの施しとは記念として神のみ前に上りました」というみ使いの言葉を聞いて,コルネリオは大きな感動を覚えたに違いありません。加えてコルネリオは,聖霊によって油そそがれた最初の異邦人の一人になるという非常な特権に恵まれました。―使徒 10:1-4,24,44-48。
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