道徳的な清さは若者の美しさ
「若者よ,あなたの若い時を歓べ。……そして,あなたの心の道に,あなたの目の見る物事のうちに歩め。しかし,それらすべてのことに関して,まことの神があなたを裁かれることを知れ」― 伝道の書 11:9。
1,2 (イ)エホバは若者たちに何を願っておられますか。(ロ)自分の心と目に訴えることを何でも追い求めるのは,なぜ愚かなことですか。
「若さ,熱意,優しさは,春の日々のようである。持続する期間が短いと……こぼす代わりに,その時期を楽しめ」。19世紀のドイツの詩人はそのように書きました。皆さんのような年若い人たちに対するこの助言の言葉は,数千年前に聖書の伝道の書に書き記された次の言葉とよく似ています。「若者よ,あなたの若い時を歓べ。若い成年の日にあなたの心があなたに良いことをするように。そして,あなたの心の道に,あなたの目の見る物事のうちに歩め」。(伝道の書 11:9前半)ですから,エホバ神は必ずしも,若者たちの心の欲求に訴える事柄について消極的な見方をしておられるのではありません。エホバは,あなたが若い時代の力と活気を十分に楽しむことを願っておられるのです。―箴言 20:29。
2 しかしこれは,あなたの心と目に訴えることなら何でも追い求めて構わない,という意味でしょうか。決してそうではありません。(民数記 15:39。ヨハネ第一 2:16)聖書はさらにこう述べています。「しかし,それらすべてのこと[あなたが自分の欲求を満足させるために選ぶ営み]に関して,まことの神があなたを裁かれることを知れ」。(伝道の書 11:9後半)そうです,自分の行動の結果を免れることはできないのです。若い人たちも年長の人たちと同様,エホバの裁きに従わなければなりません。―ローマ 14:12。
3,4 (イ)道徳的な清さの高い規準を保つのはなぜですか。(ロ)神のみ前におけるあなたの清い立場を失わせようとするどんな圧力が加えられていますか。どんな質問が提起されていますか。
3 エホバの好意的な裁きを受けるなら,永遠の命だけではなく,今も神との親しい関係を享受できるようになります。しかし,道徳的な清さの高い規準を保たなければなりません。詩編 24編3節から5節はそれをこのように述べています。「だれがエホバの山に上ってゆき,だれがその聖なる所に立ち上がれるだろうか。それは,手が潔白で,心の清い者,わたしの魂を全く無価値なものへ携えたことがなく,欺きの誓いを立てたことのない者である。その人はエホバから祝福と,その救いの神から義を携えて行く」。そうです,あなたは道徳的な清さを保つ時,エホバの目に美しいのです。
4 それでも,神のみ前におけるあなたの清い立場を失わせようとする圧力は絶えず加えられています。この終わりの日が最終部分に近づいている今,不道徳な行動や汚れた影響力が疫病のように広まっています。(テモテ第二 3:1-5)若者たちにとって,道徳的な清さを保つことがこれほどの挑戦になったことはかつてありませんでした。あなたはその挑戦に首尾よく立ち向かっていますか。これからもそれを続けますか。
あなたが直面する挑戦
5 神のみ前における清い立場を保つのを難しくさせているのは,汚れたどんな影響力ですか。
5 娯楽の媒体は,上品なものを押しのける事柄,また不道徳この上ないものを称揚する事柄を用いて若者たちを攻撃しています。例えば一人の映画評論家は,暴力とホラーを売り物にしたシリーズものの映画の一つが封切られた時,このように書きました。「性に関連したショック,殺人によるショック,わいせつな表現によるショックが代わる代わる,いやというほど出てくるのが,この映画のお決まりのパターンである。もしこの映画が入場者の最高を記録するとしたら,またしても映画の品が……ぐんと下がったことを記念する作品になるであろう」。そのような映画のほかに,性的に露骨な歌詞を含む歌や,不義の性を称揚するテレビ番組があります。あなたは『放とうの下劣なよどみ』を生々しく描いたそうしたものに自分をさらしながら,神のみ前における清い立場を保てますか。(ペテロ第一 4:4)箴言が述べるとおりです。「人はその懐に火をかき集めておいて,なおその衣を焼かれないようにすることができるだろうか」― 箴言 6:27。
6 若者たちは同じ年ごろの仲間たちからのどんな圧力に直面していますか。
6 神のみ前におけるあなたの清い立場を失わせようとする圧力は,別のところからも来ます。それは同じ年ごろの仲間たちです。17歳になるこの世的な少女は悲嘆してこう述べました。「わたしが初めて性関係を持ったのは,本当によくない理由のためでした。ボーイフレンドがしつこく求めたんです。それに,みんなやっているんだから,と思いました」。笑われたいと思う人は一人もいません。他の人から好かれたいと思うのは自然なことです。しかし,あなたが聖書の道徳を擁護する立場を取るとき,他の若者たちはあなたをあざ笑うかもしれません。人に合わせたいとか,同じ年ごろの仲間たちに受け入れてもらいたいと思っていると,悪いと分かっている事柄を行なう圧力の下に置かれる場合があります。―箴言 13:20。
7 若者たちにとって,汚れた影響力と闘うことが特に難しいのはなぜですか。しかし,エホバの組織の中にいる幾千幾万という若い人たちは,自分たちがどんなものであることを示してきましたか。
7 性的な衝動の強い「若さの盛り」にそうした影響力と闘うことは特に難しいものです。(コリント第一 7:36)ある研究団体が,「19歳までに婚前交渉を持たない若者は例外的である」と結論したのも不思議ではありません。しかし,エホバの組織の中にいる皆さんのような幾千幾万という若い人たちは,自分が例外であることを示してきました。あなたは真正面からこの挑戦に立ち向かい,道徳的な清さを保っているのです。
8 クリスチャンの若者で,世の不道徳な態度に染まるのを許した人たちがいるのはなぜですか。それはどんな結果になりますか。
8 しかし,残念ながら,クリスチャンの若者で世の不道徳な態度に染まるのを許した人たちも少なくありません。彼らは,善を愛すると告白するかもしれませんが,悪を憎んではいません。少なくとも,悪を十分に憎んではいません。(詩編 97:10)悪を愛しているかに見える場合さえあるのです。詩編 52編3節が述べるとおりです。「お前は善いことよりも悪いことを,義を語ることよりも偽りを愛した」。中には,デート,娯楽,道徳などの問題に関してエホバの組織から出される指示を公然と退けることまでする人がいます。その結果,大抵は自分自身にも両親にも恥辱がもたらされます。さらに若者たちは,神の目に美しいものではなくなります。―ペテロ第二 2:21,22。
挑戦にこたえるための助け
9 道徳的な清さを保つという挑戦にこたえるために何が必要ですか。
9 どうすれば,道徳的な清さを保つという挑戦にこたえることができますか。詩編作者も,「どのようにして若い人はその道筋を清めるのでしょうか」と,同じことを問いかけてから,「み言葉にしたがって注意深くあることによってです」と答えています。(詩編 119:9)そうです,神の言葉からの導きが必要なのです。また,わたしたちの愛ある天の父は,ご自分の組織がそのような導きを備え,この世の汚れた圧力に抵抗する点であなたを助けるよう取り計らってこられました。
10,11 (イ)道徳的な清さを保つよう若い人たちを助けるために,どんな出版物が備えられてきましたか。(ロ)「若い人は尋ねる…」のシリーズから,若者たちはどのように助けられてきましたか。(ハ)あなたは「若い人は尋ねる…」のシリーズから,個人的にどのような益を得てきましたか。
10 過去何年もの間に,「あなたの若い時代,それから最善のものを得る」と題する書籍など,若い人たちを特に考慮した出版物が幾種類も準備されてきました。1982年以来,「目ざめよ!」誌に掲載されている「若い人は尋ねる…」のシリーズは,ポルノ,恋愛小説,求愛期間中の正しい振る舞いといった問題について,数多くの有益な諭しを与えてきました。このような情報は本当に若い人たちの助けになってきたでしょうか。一つの例を考えてみましょう。そのシリーズでは数号にわたりマスターベーションの習慣について論じ,その習慣が「性的欲情」をかき立て,容易に性の不道徳へと陥らせる可能性があることを示しました。a (コロサイ 3:5)その習慣と闘う方法,逆戻りした際の対処の仕方などに関する実際的な提案が与えられました。若者たちの中には,それらの記事に対する反応として,「わたしは12歳の時からマスターベーションの問題を抱えていました。今は18歳ですが,あの記事のおかげで少しずつ立ち直っています」と書いた人もいれば,「あの記事の助言を当てはめたので,精神状態もずっとよくなったような気がします。以前よりもはるかに清くなったと思います」と書いた人もいます。
11 そのような資料を読んで研究するには時間がかかりますが,そのようにすることは,道徳的な清さを保つための助けになります。あなたはここに挙げた資料を十分に活用していますか。「若い人は尋ねる…」の「婚前交渉 ― なぜいけないのか」b という記事を読んで,その当時聖書研究生であった一人の少女はこう書きました。「婚前交渉をした後は,不快感,罪悪感,嫉妬心などの生じることが分かりました。今は本当に後悔しています。エホバがわたしを受け入れてくださり,許してくださることに毎日感謝しています。他の人たちがわたしのような行動に走る前に『目ざめよ!』誌の記事が,助けになることを願っています。あれは深い傷を残します。『淫行を避ける』のがエホバ神のご意志である理由がよく理解できました」。―テサロニケ第一 4:3。
12 エホバを喜ばせることを願うようわたしたちを動かすものは何ですか。
12 このことから,首尾よく挑戦にこたえるのに役立つ別の事柄が思い出されます。つまり,皆さんは,エホバが宇宙の主権者であられ,エホバに従順を示すべきことを認識しなければならないのです。(啓示 4:11)しかし,同時に,エホバは愛ある天の父であられ,わたしたちの最善の益を心にかけておられます。(箴言 2:20-22。イザヤ 48:17)エホバの律法には,不必要にわたしたちを制限するのではなく,わたしたちを保護する意図があります。ですから,それらの律法に従うのは知恵の道です。(申命記 4:5,6)エホバが道徳的な清さを強調される理由を明確に理解すれば,それに伴う真の美しさを知るようになり,エホバを喜ばせることを願うよう動かされるでしょう。―詩編 112:1。
13 淫行を禁じるエホバの律法が,わたしたちの最善の益を心にかけたものであることを,どのように説明できますか。
13 神が性を結婚の枠内のみに限定し,淫行を厳しく禁じておられる事実について考えてください。(ヘブライ 13:4)この律法に従うことによって,良いものが奪われるでしょうか。愛ある天の父は,生活の喜びを奪う律法を作られるでしょうか。もちろん,作られません。道徳に関連した神の律法を無視する,皆さんと同じ年ごろの仲間たちの生活に生じている事柄を見てください。望まれない妊娠から,しばしば中絶という結果が生じ,もしかすると年若くして結婚することにもなるでしょう。多くの場合,それは女手一つで子供を育てなければならないことを意味します。さらに,淫行を犯す若者たちは「自分の体に対して罪をおかし」,性行為感染症に自らをさらすことになります。(コリント第一 6:18)また,エホバに献身した若者が淫行を犯すとき,感情的な副作用は破壊的なものになりかねません。執拗な良心の呵責を抑えようとして疲労し,眠れぬ夜を過ごすこともあります。(詩編 32:3,4; 51:3)ですから,淫行を禁じるエホバの律法があなたを保護する意図を持ったものであるというのは,明らかではないでしょうか。道徳的な清さを保つことには確かな益があるのです。
14 十代の結婚は保護になるという主張に関して,わたしたちはコリント第一 7章9節と7章36節のパウロの言葉をどう見るべきか,説明してください。
14 当然ながら,道徳に関する神の厳格な律法を固守するのは,簡単ではありません。そのためにある若者たちは,最善の保護策は,まだ十代のうちに結婚することだと結論しました。『結局,コリント第一 7章9節は,「自制できないなら,その人たちは結婚しなさい。情欲に燃えるよりは結婚するほうが良いからです」と言っているではないか』と論じるのです。しかし,それは近視眼的な見方です。パウロの言葉は十代の人ではなく,『若さの盛りを過ぎた』人たちに対して語られました。(コリント第一 7:36)ほとんどの場合,まだ若さの盛りにある人たちは,感情的にも霊的にも,結婚に伴って生じる圧力や責任に取り組めるほどに成長してはいません。「結婚と家族」誌は,「早く結婚する人たちは,結婚における役割を遂行するための備えができていないので,結婚生活から得られる満足度は低い。役割を遂行する面が弱いと,満足度は減少し,ひいては結婚生活が不安定になる」と伝えています。それで,これが答えになります。つまり,若いうちに結婚するのではなく,結婚生活を成功させるのに必要な特質すべてを培えるまで,貞潔な独身の立場を保つのです。
自分を清く保ちなさい
15 道徳的な清さを保ちたいと思うなら,どんな強い処置が必要ですか。
15 使徒パウロは,「ですから,淫行,汚れ,性的欲情……に関して,地上にあるあなた方の肢体を死んだものとしなさい」と書きました。(コロサイ 3:5)そうです,強い処置が必要なのです。道徳的な清さを保つ決意を抱かなければなりません。「解説者の聖書注解」は,『死んだものにする』と訳されている動詞について注解し,こう述べています。「この語は,悪い行動や態度を抑えたり抑制したりするだけではなく,それ以上のことをすべきであることを示唆している。我々はそれらを拭い去り,古い生き方を完全に根絶しなければならない。『完全に殺す』と言ったほうが,その強さを示せるかもしれない。……その動詞の意味も,時制に示されている力も,個人的な決意に裏づけられた,精力的で骨の折れる行動を示唆している」。―マタイ 5:27-30と比較してください。
16 道徳的な清さを保つために,精神的な清さを保つよう懸命に努力すべきなのはなぜですか。どうすれば,それに成功しますか。
16 しかし,どうすれば,道徳的に汚れた行動や態度を『完全に殺したり』,『拭い去ったり』できるのでしょうか。イエスは問題の根を指摘し,「内側から,つまり人の心から,害になる推論が出て来るのです。すなわち,淫行……姦淫・貪り……です」と言われました。(マルコ 7:21,22)比喩的な心臓には,思考力が含まれます。心が「推論」と結びつけられているのはそのためです。では,道徳的な清さを保つために,あなたは,精神的な清さを保つよう努力しなければなりません。どのようにするのでしょうか。思いは感覚を通して養われるので,自分の目で見る事柄に用心し,性の不道徳を描写したり許容したりする本,テレビ番組,映画などを避ける必要があります。また,自分の耳で聴く事柄にもよく注意し,性的に露骨な歌詞を含む歌を避ける必要があります。特に同じ年ごろの仲間たちの前でそのような立場を取るには勇気がいりますが,そうすれば,道徳的な清さと自尊心を保つための助けが得られます。
17 あなた方の間で,道徳的な汚れが口に上ることさえあってはならないのはなぜですか。
17 使徒パウロは次のような諭しも与えています。「聖なる民にふさわしく,あなた方の間では,淫行やあらゆる汚れまた貪欲が口に上ることさえあってはなりません」。(エフェソス 5:3。12節もご覧ください。)ですから,道徳的な汚れは口に上ることさえあってはなりません。つまり,それについて考え続けたり,それを冗談の種として用いたりしてはなりません。なぜでしょうか。その点について,聖書学者のウィリアム・バークレーはこう述べています。「あることについて話し,そのことを冗談の種にし,それを頻繁に会話の中で取り上げるなら,それを思いの中に取り入れることになる。また,それを実際に行ないやすくなる」。(ヤコブ 1:14,15)『自分の口にくつこを守りとしてはめる』には,心からの決意が必要になります。他の若者たちが不潔な冗談を言ったり,下品な言葉を使って性活動を描写したりするときは特にそう言えます。(詩編 39:1)しかし,廉直さと清さを保つなら,エホバの心を喜ばせることになるのです。―詩編 11:7。箴言 27:11。
18 (イ)道徳的な汚れと闘って勝利を得るには,汚れた考えや話を退けるだけでは十分でないのはなぜですか。(ロ)あなたはパウロがフィリピ人に与えた諭しから,どのように益を得ることができますか。
18 道徳的な汚れと闘って勝利を得るには,汚れた考えや話を退けるだけでは十分ではありません。「頭が空になると,どんな提言も受け入れやすくなる」という中国のことわざがあります。(マタイ 12:43-45と比較してください。)パウロは,健全で清い考えによって思いを満たす必要性を認識していました。それで,フィリピの人たちにこのように勧めました。「兄弟たち,何であれ真実なこと,何であれまじめなこと,何であれ義にかなっていること,何であれ貞潔なこと,何であれ愛すべきこと,何であれよく言われること,また何であれ徳とされることや称賛すべきことがあれば,そうしたことを考え続けなさい[『それらを注意深い考察の対象としなさい』c]」― フィリピ 4:8。
19 神の言葉を勤勉に研究するのはなぜですか。それは,道徳的な清さを保つ上でどのようにあなたの助けになりますか。
19 それは,神の言葉を勤勉に研究することを意味しています。(ヨシュア 1:8。詩編 1:2)そうすれば,あなたの思いと心は強化され,エホバとの親密な個人的な関係を培うよう助けられます。そのようにしてあなたは,道徳的に汚れた振る舞いに携わらせようとする誘惑に抵抗する上ではるかに有利な立場に立つのです。エホバのみ名を辱め,家族や会衆に恥辱をもたらす危険を冒すようなことは全くなくなるでしょう。むしろ,後悔することのないような方法で若い時の力と活力を用いることになるでしょう。そうです,あなたは道徳的に清い道を歩むことになります。その道は,エホバに奉仕する若者たちの本当の美しさなのです。―箴言 3:1-4。
[脚注]
c 「解説者のギリシャ語新約聖書」
若者たち ― あなたはどのように答えますか
□ 道徳的な清さの高い規準を保つべきなのはなぜですか
□ どんな圧力ゆえに,神のみ前における清い立場を保つことは挑戦になりますか
□ 道徳的な清さを保つという挑戦にこたえるために,何が助けになりますか
□ 自分自身の清さを保ちたいなら,どんな強い処置が必要ですか
[13ページの図版]
まだ若さの盛りにある人々の大半は,親としての責任を果たすには若過ぎる