第5章
群れを世話する監督たち
イエスは地上での宣教期間中,自分が「立派な羊飼い」であることを示しました。(ヨハ 10:11)すがるようにして付いてくる群衆を見て,「かわいそうに思」いました。彼らが「羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,放り出されていたから」です。(マタ 9:36)イエスの優しい気遣いは,ペテロや他の使徒たちの心に深く刻まれました。イスラエルの偽の牧者たちとは全く違っていたからです。その牧者たちは群れを世話しなかったので,羊は散り散りになり,神からの教えに飢えていました。(エゼ 34:7,8)一方イエスは,羊を教えて世話し,羊のために自分の命を犠牲にすることさえしました。その優れた手本を見た使徒たちは,信仰を持つ人々が「命を守る牧者であり監督である」エホバのもとに帰れるよう,どのように助けたらよいかを学びました。(ペテ一 2:25)
2 イエスは,ある時ペテロと話をし,羊を養って世話することの大切さを強調しました。(ヨハ 21:15-17)そのことはペテロに忘れ難い印象を与えたに違いありません。ペテロは後に,初期クリスチャン会衆の長老たちにこう勧めました。「皆さんに委ねられた神の羊の群れを世話してください。強いられてではなく,神の前で進んで監督として奉仕し,不当な利益を得ようとしてではなく,真剣な態度で世話しましょう。神の財産である人たちに対して威張ったりせず,群れの模範となりましょう」。(ペテ一 5:1-3)ペテロのこの言葉は,現代の会衆の監督たちにも当てはまります。長老たちはイエスに倣い,群れの模範となって進んで真剣な態度で仕え,エホバへの奉仕に率先します。(ヘブ 13:7)
長老たちはイエスに倣い,群れの模範となって進んで真剣な態度で仕え,エホバへの奉仕に率先する。
3 私たちは,聖なる力によって任命された監督たちが会衆にいることを感謝できます。私たちのために多くのことを行ってくれるからです。例えば,監督たちは会衆の皆を励まし,一人一人に関心を払います。毎週,会衆の集会で監督の務めを勤勉に果たし,信仰を持つ人全てが養われるようにします。(ロマ 12:8)悪い人たちなどの有害な影響から群れを守ろうと努力するので,私たちは安心できます。(イザ 32:2。テト 1:9-11)監督たちは宣教においても率先するので,私たちは良い知らせを毎月活発に伝えるよう励まされます。(ヘブ 13:15-17)エホバはそれらの「人々という贈り物」によって,会衆を力づけてくださっているのです。(エフェ 4:8,11,12)
監督の資格
4 会衆がきちんと世話されるためには,監督として任命される人たちが,神の言葉の中に示されている資格を満たしていなければなりません。そうであって初めて,聖なる力によって任命されたと言えます。(使徒 20:28)クリスチャンの監督は重い責任を担うので,聖書は監督について高い基準を定めています。とはいえ,エホバを本当に愛していて,エホバに用いていただきたいと思うクリスチャン男子にとって,高すぎる基準ではありません。監督たちは,聖書の助言を日々の生活に当てはめていることが誰の目にも明らかな人たちです。
会衆がきちんと世話されるためには,監督として任命される人たちが,神の言葉の中に示されている資格を満たしていなければならない。
5 使徒パウロは,テモテへの最初の手紙とテトスへの手紙の中で,監督が満たしているべき基本的な条件を挙げました。テモテ第一 3章1-7節にはこう記されています。「監督になろうと努めている人は,立派な仕事を望んでいます。ですから,監督は,とがめられるところがなく,1人の妻の夫で,節度をわきまえ,健全な考え方をし,秩序正しく行動し,人をよくもてなし,教える資格がなければなりません。また,酩酊せず,暴力を振るわず,分別があり,争いを好まず,お金を愛さず,家庭を立派に治め,子供をよくしつけて従わせているべきです。(自分の家庭を治められないのであれば,神の会衆を世話することなどできるでしょうか。)クリスチャンになって間もない人であってはなりません。思い上がって,悪魔と同じように断罪されるようなことにならないためです。さらに,会衆外の人からも良い評判を得ているべきです。人々から非難され,悪魔のわなに陥る,ということがないようにするためです」。
6 パウロはテトスに宛ててこう書きました。「私があなたをクレタに残したのは,私の指示通りに問題を正し,それぞれの町に長老たちを任命してもらうためです。任命される人は,非難されるところがなく,1人の妻の夫でなければなりません。その人の子供も信仰を持っているべきで,堕落しているとか反抗的だと非難されていてはなりません。監督は,神の家の管理人ですから,非難されるところがあってはならず,意地を張らず,すぐに怒らず,酩酊せず,暴力を振るわず,貪欲に不当な利益を得ようとすべきではありません。人をよくもてなし,善いことを愛し,健全な考え方をし,正しいことを行い,神に尽くし,自制心があり,神の信頼できる言葉にしっかり従った教え方をしなければなりません。そうすれば,健全な教えによって励ますことも,逆らう人を戒めることもできるでしょう」。(テト 1:5-9)
7 聖書の条件を満たして監督になるのは,一見とても無理そうに思えるかもしれません。しかし,クリスチャンの男子は,監督になろうと努めるのをためらうべきではありません。監督に求められている,クリスチャンの良い性質を表すなら,会衆の人たちも同じようにしたいと思うことでしょう。パウロによれば,「人々という贈り物」である監督たちは,「聖なる人たちを正し,奉仕し,キリストの体を力づけます。そのおかげで私たちは皆,信仰の一致と,神の子についての正確な知識の一致に達し,十分に成長した人となり,キリストの背丈に達するようになります」。(エフェ 4:8,12,13)
8 監督は,少年でも,クリスチャンになって間もない人でもありません。クリスチャンとして経験を積んでおり,聖書に関する広い知識と深い理解があり,会衆を本当に愛している人です。会衆の中に悪いことを行う人がいたら率直に話して正す勇気があり,人を食い物にする者たちから羊を守ります。(イザ 32:2)クリスチャンとして十分に成長していることが会衆内の誰の目にも明らかで,神の羊の群れを心から気遣います。
9 監督の資格がある人の生活には,聖書に基づく知恵が表れています。妻がいるなら,その人は結婚に関するクリスチャンの基準をしっかり守っていて,1人の妻の夫であり,家庭を立派に治めているはずです。信仰を持つ子供がいる場合,その子がよくしつけられていて親に従っており,堕落しているとか反抗的だと非難されていないなら,会衆の人たちは親であるその監督を信頼し,家族やクリスチャンの生活に関してアドバイスを求めることができるでしょう。監督はまた,とがめられるところも非難されるところもなく,会衆外の人からも良い評判を得ている人です。ですから,不適切な行いを非難されて会衆の評判が損なわれる,ということはないはずです。重大な過ちのために最近戒めを受けた人はふさわしくありません。会衆の人たちは,監督の資格がある人の良い手本に倣うよう動かされ,クリスチャンの牧者としてその人に心から頼れると思うことでしょう。(コリ一 11:1; 16:15,16)
10 そのような資格ある男子は,イスラエルの「賢くて,思慮深く,経験のある」長老たちと同じような役割を担い,クリスチャン会衆に仕えることができます。(申 1:13)クリスチャンの長老は,全く罪がないというわけではありませんが,会衆内でも地域社会でも,神を畏れる正直な人として知られています。神が定めた原則に従って生活していることを,ある期間にわたって実証してきた人です。非難されるところがないので,会衆の前で気後れせずに語ることができます。(ロマ 3:23)
11 監督の資格がある人は,他の人との接し方や習慣の面で節度をわきまえていることを示します。物事に熱狂するような人ではなく,生活全般にバランスや自制が表れています。飲食,レクリエーション,趣味,エンターテインメントなどの面で節度をわきまえています。アルコール飲料を飲み過ぎることもないので,酩酊しているとか酔っぱらいだとか非難されたりはしません。酒類により感覚が鈍った人は,すぐに自制できなくなるので,牧者として会衆を見守ることはできません。
12 会衆を監督する人には,秩序正しく行動することが求められます。良い習慣を持っていることが,身なりや,家の様子や,日常の活動に表れているべきです。その人は物事をぐずぐずと遅らせたりせず,何が求められているかを理解して,それに応じた計画を立てます。そして,神が定めた原則にしっかり従います。
13 監督は分別がある人でなければなりません。会衆の他の長老たちと一致して働き,協力し合える人であるべきです。自分を過大評価したり,他の人を過度に厳しい目で見たりしません。分別がある監督は,自分の意見に固執せず,自分の見方の方が仲間の長老たちの見方よりも優れているとは考えません。ある性質や能力の面で他の人たちの方がずっと勝っていることもあります。長老は,物事を聖書に基づいて判断し,イエス・キリストの手本に倣うよう努めることによって,分別があることを示します。(フィリ 2:2-8)また,争いを好んだり暴力を振るったりせず,人に敬意を払い,自分より他の人の方が上だと考えます。意地を張らず,いつも自分のやり方や見方を押し通そうとはしません。すぐに怒らず,他の人との平和な関係を保つようにします。
14 さらに,会衆で監督として奉仕する資格がある人は,健全な考え方をします。つまり,良識があり,性急な判断を下しません。エホバの種々の原則と,その当てはめ方について,よく理解しています。健全な考え方をする人は,助言や指導を受け入れ,偽善的ではありません。
15 パウロがテトスに思い起こさせたように,監督は善いことを愛し,正しいことを行い,神に尽くしているべきです。そのことは,他の人との接し方や,正しくて善い事柄をしっかり行おうとする姿勢に表れます。エホバへの専心が揺らぐことはなく,常に正しい原則に従います。また,内密の事柄を漏らしません。心から人をよくもてなし,自分自身や持ち物を他の人のために惜しみなく差し出します。(使徒 20:33-35)
16 監督は,務めを十分に果たす上で,教える資格がなければなりません。テトスへのパウロの言葉によれば,「神の信頼できる言葉にしっかり従った教え方をしなければなりません。そうすれば,健全な教えによって励ますことも,逆らう人を戒めることもできる」からです。(テト 1:9)監督は,他の人が納得して信仰を強めることができるように,筋道立てて話し,証拠を示し,反論に答え,聖句を適用します。順調な時にも困難な時にもそのような教え方をします。(テモ二 4:2)また,辛抱強さも身に付けているので,正しくない考え方をしている人を温和な態度で戒めたり,疑念を持つ人を納得させて信仰に基づく良い行いを促したりできます。聴衆の前で,あるいは一対一で上手に教えることができる人は,監督に求められる重要な条件を満たしていると言えます。
17 長老が宣教を熱心に行うことは大切です。その点でもイエスに倣おうと努力していることが明らかであるべきです。イエスは,良い知らせを伝えることをいつも優先しました。また,弟子たちに関心を払い,福音伝道者としての務めを上手に果たせるよう助けました。(マル 1:38。ルカ 8:1)長老が忙しい中でも宣教に時間を費やすように努めるなら,会衆全体も同様の熱意を抱くようになります。また,自分の家族や会衆の人たちと一緒に伝道すれば,「励まし合う」ことができます。(ロマ 1:11,12)
18 以上の事柄からすると,監督として奉仕する人には非常に多くのことが求められているように思えるかもしれません。確かに,聖書に示されている高い基準を完全に満たせる人はいません。しかし,会衆の長老として任命される人は誰も,上記のいずれかの点で著しい不足があってそれが重大な欠点と見なされるようであってはなりません。何かの点で際立っている長老もいれば,別の面で優れている長老もいるでしょう。ですから,長老団は全体として,神の会衆を正しく監督するのに必要な良いものを全て持っていることになります。
19 長老団は,誰かを監督として推薦する際,使徒パウロの次の言葉を心に留めます。「皆さんに言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。各自が神から与えられた信仰に応じて,健全な考え方をしましょう」。(ロマ 12:3)各長老は,自分のことをより小さな者と考えるべきです。他の人の資格を検討する際,誰も「正しさにあまりにこだわっては」なりません。(伝 7:16)長老団は,聖書が示す監督の条件をよく考え,候補に挙がっている兄弟が妥当な範囲で基準を満たしているかどうか判断します。人間の不完全さを考慮に入れ,偏った見方や偽善を避け,エホバの正しい基準を重んじ,会衆のためになるように,推薦を行います。どの兄弟についても祈りつつ熟考し,神の聖なる力の導きに従います。これは長老たちが担う重い責任の1つであり,パウロが助言している通り「誰にも性急に手を置いてはなりません」。(テモ一 5:21,22)
聖なる力が生み出すもの
20 責任ある立場で奉仕する資格がある人は,聖なる力に導かれていることを実証しており,その力が生み出すものが生活に表れています。パウロは聖なる力が生み出すものの9つの面として,「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制」を挙げています。(ガラ 5:22,23)そうした性質を表す監督たちは,仲間のクリスチャンを爽やかにし,会衆が一致して神聖な奉仕を行うのを助けます。監督たちの振る舞いや働きは,彼らが聖なる力によって任命されていることを示します。(使徒 20:28)
一致に貢献する人たち
21 会衆をいっそう一致させる上で,長老たちが協力することはとても大切です。性格や考え方が大いに異なるとしても,互いに敬意を払って意見に耳を傾けることにより,長老団としての一致を保ちます。もっとも,いつでもあらゆる点で合意できるとは限りません。長老団の最終的な決定が聖書の原則に反していない限り,各長老は進んで譲歩し,その決定を支持するべきです。譲歩する態度は,「天からの知恵」に導かれていることの表れです。その知恵を持つ人は,「平和を求め,分別があり」ます。(ヤコ 3:17,18)どの長老も,自分は他の長老たちよりも上であると考えてはならず,他の長老たちを従わせようとすべきでもありません。長老たちは,会衆のために一団として共に働く時,エホバと共に働いていることになるのです。(コリ一 12章。コロ 2:19)
監督になろうと努める
22 十分に成長したクリスチャン男子は,監督になることが期待されています。(テモ一 3:1)長老として奉仕するには,努力と自己犠牲が求められます。仲間のクリスチャンを助け,エホバに仕えるのをサポートするために,自分を差し出す必要があるからです。監督になろうと努めるとは,聖書に示されている資格を満たすように努力するということです。
人の状況は変わることがある
23 長年にわたって忠実に奉仕してきた兄弟が,病気になったりけがを負ったりするかもしれません。高齢ゆえに監督としての責任を果たせなくなることもあります。それでもその兄弟は,長老である限り,その立場にある人として敬意を払われるべきです。限界があるとしても,辞任する必要はありません。全力を尽くして群れを世話している勤勉な長老として,深い敬意を受けるに値します。
24 とはいえ,もしある兄弟が,自分の状況が変化して十分に奉仕できなくなったため,辞任するのが最善だと思うのであれば,そうすることができます。(ペテ一 5:2)その人は引き続き敬意を払われるべきです。長老に与えられる割り当てや務めはないとしても,会衆内で多くの良いことを行えるでしょう。
会衆内でのさまざまな責任
25 長老たちは,会衆内でさまざまな責任を果たします。長老団の調整者,書記,奉仕監督,「ものみの塔」研究の司会者,生活と奉仕の集会の監督などです。グループ監督として仕える長老も多くいます。そうした立場で奉仕する期間は特に定められていません。もちろん,ある長老が移転したり,健康上の理由で責任を果たせなくなったり,聖書に示されている条件を満たせなくなって資格を失ったりした場合は,別の長老がその務めを果たすように選ばれます。監督の数が少ない会衆では,他の兄弟たちが資格を得て長老として任命されるまで,1人の長老が2つ以上の務めを果たす必要があるかもしれません。
26 長老団の調整者は,長老団の会合の際に司会を務めます。謙遜に他の長老たちと一緒に働き,神の羊の群れを世話します。(ロマ 12:10。ペテ一 5:2,3)物事をよく組織し,勤勉に監督できる人であるべきです。(ロマ 12:8)
27 書記は,会衆の記録類を扱い,重要な通信物について長老たちに知らせます。必要に応じて,長老団から指名された別の長老か有能な援助奉仕者が書記をサポートすることもできます。
28 奉仕監督は,野外奉仕のための取り決めなど,奉仕に関連した事柄を監督します。全ての野外奉仕グループを定期的に訪問する予定を立て,月に1度,週末に1つのグループを訪問します。小さな会衆でグループの数が少ない場合は,各グループを年に2回訪問することもできます。訪問の際には,野外奉仕のための集まりを司会し,グループの人たちと一緒に宣教を行い,再訪問や聖書研究に同行して援助します。
グループ監督
29 グループ監督として奉仕することは,会衆内で果たせる素晴らしい務めの1つです。グループ監督には次の責任があります。(1)野外奉仕グループの一人一人の,エホバとの関係に深い関心を払う。(2)グループの一人一人が宣教に定期的に参加し,有意義に楽しく奉仕できるように助ける。(3)グループにいる援助奉仕者が会衆内でさらに責任を担うことを目指して資格を身に付けられるよう,援助し訓練する。長老団は,グループ監督の務めを果たすのに最も適格なのはどの兄弟たちかを見定めます。
30 グループ監督は,その務めの性質からして,可能なら長老であるべきです。務めを果たせる長老がいない場合,有能な援助奉仕者に委ねることもできます。その立場で仕える援助奉仕者は,グループ援助者と呼ばれます。会衆内で監督として働くわけではないからです。長老たちの指示の下で責務を果たします。
31 グループ監督の大切な務めの1つは,宣教において率先することです。監督が定期的に,熱意や意欲をもって奉仕する様子は,グループの人たちに励みを与えます。伝道者たちは仲間と一緒に働くと励まされ,助け合えるので,グループ伝道は大半の人にとって都合の良い予定で行うのが望ましいでしょう。(ルカ 10:1-16)グループ監督は奉仕区域がいつでも十分にあるようにしなければなりません。通常,野外奉仕のための集まりを司会し,その日の伝道者の組み合わせを決めたり区域を渡したりします。自分がその場にいることができない場合には,別の長老か援助奉仕者に,あるいはそのどちらもいないなら適任の伝道者に頼んで,伝道者たちが必要な指示を受けられるようにします。
32 グループ監督は,奉仕監督の訪問のために前もって予定を立てます。グループの人たちに訪問について知らせ,期待を高めるようにします。グループの全員は,取り決めについて十分に知らされていれば,訪問を楽しみにして予定に含めることができます。
33 野外奉仕グループは,少人数にとどめます。そうすれば監督はグループの全員をよく知ることができます。監督は愛情深い牧者として,一人一人に深い関心を払い,宣教や会衆の集会に参加する面で援助や励ましを与えます。個々の人が神との強い関係を保てるよう,できることは何でもします。病気になった人や気落ちした人を訪問すれば,力づけることができるでしょう。兄弟たちに励みとなる提案や助言を少し与えれば,兄弟たちは努力して会衆内でさらに責任を担い,仲間をいっそう助けられるようになるかもしれません。グループ監督は必然的に自分のグループの人たちを主に助けますが,長老また牧者として会衆の全員を愛情深く気遣い,助けを必要とする人を進んで助けます。(使徒 20:17,28)
34 グループ監督は,野外奉仕報告を集める仕事を手伝います。グループの人たちから報告を受け取ったなら書記に渡します。伝道者は各自,野外奉仕報告を速やかに提出することによって,グループ監督に協力できます。毎月の終わりに,報告をグループ監督に直接渡すか,王国会館にある野外奉仕報告用の箱に入れます。
会衆の奉仕委員会
35 会衆の奉仕委員会は,長老団の調整者,書記,奉仕監督から成り,種々の務めを果たします。例えば,結婚式や葬式(または追悼式)のために王国会館を使用することを承認したり,伝道者たちをどの野外奉仕グループに入れるかを決めたりします。また,正規開拓奉仕や補助開拓奉仕その他の申し込みを承認します。奉仕委員会は長老団の指示の下で働きます。
36 これらの兄弟たちや,「ものみの塔」研究の司会者,生活と奉仕の集会の監督,また長老団を構成する他の長老たちが具体的にどんな務めを果たすかについては,支部から情報が与えられます。
37 各会衆の長老団は,会衆の進歩に関連した事柄を話し合うため,周期的に会合を持ちます。巡回監督の訪問の際に会合が開かれ,訪問の約3カ月後にも行われます。もちろん,長老たちは必要な時にはいつでも会合を持つことができます。
進んで応じる
38 監督たちは不完全な人間です。それでも,会衆の全ての人は監督たちに進んで応じるようにと言われています。それはエホバの取り決めだからです。エホバは監督たちに行動の責任を問います。監督はエホバとその統治を代表しているのです。ヘブライ 13章17節にこう記されています。「皆さんを教え導いている人たちに従い,進んで応じてください。その人たちは皆さんを見守っており,そのことに関して責任を問われることになります。それで,その人たちが喜んで働けるようにしてください。もし嘆きながら働くことになれば,それは皆さんのためになりません」。エホバは聖なる力によって監督を任命しますが,任命された人が聖なる力によって生み出される性質を示さず,聖書に示されている条件に合わない生き方をするようになった場合,エホバはやはり聖なる力によってその人を監督の立場から除きます。
39 私たちは,会衆の監督たちが一生懸命に働き,良い手本を示していることに,本当に感謝しているのではないでしょうか。パウロは,テサロニケの会衆に宛てた手紙の中で,クリスチャンたちにこう勧めました。「兄弟たち,次のことをお願いします。皆さんの中で一生懸命に働き,主に仕えつつ皆さんを監督し助言を与えている人たちに,敬意を払ってください。そして,よく働いているその人たちに愛と深い思いやりを示してください」。(テサ一 5:12,13)会衆の監督たちが一生懸命に働いているおかげで,私たちは神への奉仕を行いやすくなり,もっと楽しむことができます。パウロはテモテに宛てた最初の手紙の中でも,会衆の人たちが監督に示すべき態度についてこう述べています。「立派に監督している長老たち,とりわけ一生懸命に話したり教えたりしている人たちは,深い敬意を受けるに値します」。(テモ一 5:17)
組織内での他の責任ある立場
40 長老たちの中には,患者訪問グループの一員として奉仕するよう任命される人もいます。また,医療機関連絡委員会で奉仕し,病院や医師を訪問して,エホバの証人への無輸血治療が今後も広く行われるように働き掛ける人もいます。さらに,王国会館や大会ホールの建設やメンテナンスの手助けをしたり,大会委員会の一員として奉仕したりして,王国の活動を支援する監督たちもいます。これらの兄弟たちが力を尽くして一生懸命に働いていることに,組織内の全ての人は深く感謝しています。私たちはそのような人たちを「いつも敬」います。(フィリ 2:29)
巡回監督
41 統治体は,適任の長老たちが巡回監督として任命されるようにします。巡回監督は,担当する巡回区を支部から割り当てられ,巡回区を構成する会衆を通常は年に2回訪問します。また,孤立した区域にいる開拓者たちを周期的に訪問します。巡回区をどういう順序で回るか計画し,各会衆に十分前もって通知して,皆が訪問から最大限に学んで励みを得られるようにします。
42 長老団の調整者は,巡回訪問を通して皆が爽やかにされ力づけられるよう,率先して物事を組織します。(ロマ 1:11,12)訪問の通知を受け,巡回監督と妻(結婚している場合)の要望について知らされたなら,兄弟たちの協力を得て,宿舎や他の必要な事柄を取り決めます。そして,巡回監督と会衆の皆に取り決めについて知らせます。
43 巡回監督は,集会や野外奉仕のための集まりなどの予定について,長老団の調整者と連絡を取ります。それらの集会や集まりは,巡回監督の提案や支部からの指示に沿って取り決められます。皆が前もって,会衆の集会,開拓者との会合,長老や援助奉仕者との会合,また野外奉仕のための集まりの時間と場所を知っている必要があります。
44 巡回監督は火曜日の午後に,「会衆の伝道者記録」,集会出席者数の記録,区域の記録,会計関係の書類を調べます。それによって,会衆がどんなことを必要としているか,またそれらの記録を付ける担当者たちをどのように援助できるかについて,ある程度のことが分かります。長老団の調整者は,巡回監督がそれらの記録類を予定の時間までに受け取れるよう手配しておきます。
45 巡回監督は訪問中,集会や野外奉仕や食事その他の機会に,できる限り時間を取って兄弟姉妹一人一人と話します。また,長老や援助奉仕者たちと会合を持ち,群れを世話する責任を果たすのに役立つ適切な助言や提案や励ましを聖書から与えます。(格 27:23。使徒 20:26-32。テモ一 4:11-16)さらに,開拓者たちとも会合を持って励まし,宣教の面で困っていることがあるなら個々に援助を与えます。
46 注意を向けるべき事柄がほかにもあれば,巡回監督は週の間に可能な限り援助します。訪問中に解決しなかった場合,聖書の指針を調べるよう長老や関係する人たちを助けます。支部のサポートが必要なら,巡回監督と長老たちはその件に関する詳しい報告を支部に送ります。
47 巡回監督は訪問中,会衆の集会に出席します。それらの集会は時折,支部からの指示によって調整されることがあります。巡回監督は,会衆を教え,励まし,強くし,意欲を高めるための話を行います。そして,エホバとイエス・キリストと組織に対する皆の愛が深まるように努めます。
48 巡回監督による訪問の目的の1つは,宣教を熱心に行うよう励まし,役立つ提案を与えることです。会衆の多くの人は,その週の野外奉仕に十分参加するために自分の予定を調整できるでしょう。その月に補助開拓奉仕を行えるかもしれません。巡回監督やその妻と一緒に働きたいと思う人は,その希望を伝えることができます。聖書研究や再訪問に一緒に行ってもらうなら,そうして良かったと思うに違いありません。1週間の訪問中,できる限り奉仕に参加するために特別の努力を払うのは,本当に良いことです。(格 27:17)
49 巡回区ごとに,巡回大会が年に2回開かれます。大会組織の運営に責任を持つのは,巡回監督です。巡回監督は,大会監督と大会監督補佐を任命します。この人たちは巡回監督と緊密に働き,大会組織が正しく機能するように見届けます。これにより巡回監督は主に大会のプログラムに注意を払うことができます。巡回監督はほかにも有能な男子を指名して,さまざまな部門の仕事を割り当てます。また,毎回の大会の終了後に,巡回区の会計監査が行われるようにします。a 毎年の巡回大会のうち1回は,支部の代表者が訪問講演者として話を行います。巡回区によっては,広い範囲にまたがっているため,あるいは大会施設が小さいために,巡回区を幾つかに分けて別々に大会を開く場合もあります。
50 巡回監督は,毎月の終わりに自分の野外奉仕報告を支部に直接提出します。もし,交通費,食費,宿泊費その他,奉仕を行うのに必要な少額の出費が生じ,訪問した会衆によって賄われなかったなら,支部にその払い戻しを依頼できます。旅行する代表者たちは,エホバの王国の活動を第一にしているなら,イエスの約束通り必要な物を与えられる,と確信できます。(ルカ 12:31)各会衆には,自分たちのために奉仕してくれているこれらの献身的な長老たちをもてなす素晴らしい機会があります。そのことを忘れないようにしましょう。(ヨハ三 5-8)
支部委員会
51 世界各地にあるエホバの証人の支部では,クリスチャンとして十分に経験を積んだ3人以上の兄弟たちが支部委員会として奉仕します。支部委員会は,担当する国もしくは国々での伝道活動を監督します。委員の1人が,支部委員会の調整者として奉仕します。
52 支部委員会を構成する兄弟たちは,支部の担当地域内の全ての会衆に関係する事柄を扱います。担当地域の全域で王国の良い知らせが伝えられるように活動を監督し,会衆や巡回区を組織して地域内の人々の必要が満たされるようにします。また,宣教者の奉仕や,特別開拓者,正規開拓者,補助開拓者の活動にも注意を払います。さらに,大会のために取り決めを設けたり種々の務めを割り当てたりして,「全てのこと[が]適正に,取り決めに沿って行」われるようにします。(コリ一 14:40)
53 支部委員会の担当地域内の国に,国内委員会が任命されることもあります。それにより,該当する地域での活動をより十分に監督できます。国内委員会は,ベテル・ホームや事務所に関係する物事を管理し,通信物や報告を取り扱い,地域内での活動全般を見守ります。そのようにして,支部委員会と協力して王国の活動を推し進めます。
54 支部委員会や国内委員会で奉仕する人たちは皆,統治体によって任命されます。
本部代表
55 統治体の取り決めにより,適任の兄弟たちが世界各地の支部を周期的に訪問します。このような立場で奉仕する兄弟は,本部代表と呼ばれます。その主な仕事は,ベテル家族を励ますこと,また伝道して弟子を作る活動を行っていく上で生じる問題や疑問に関して支部委員会を助けることです。ほかにも,幾人かの巡回監督と会合したり,周期的に野外の宣教者たちと集まりを持ったりします。その際には,彼らが直面している問題や必要としている事柄について話し合い,王国について伝えて弟子を作るという最も重要な活動を続けるための励ましを与えます。
56 本部代表は,王国について伝える活動や会衆の他の活動の面で,支部の担当地域内で成し遂げられている事柄に深い関心を抱いています。時間が許せば,遠隔翻訳事務所も訪問します。支部を訪問する際には,伝道にも可能な限り参加します。
私たちは,群れを世話する監督たちに従い続けるなら,会衆の頭であるキリスト・イエスといっそう強く結び付く。
愛情深い監督たち
57 経験を積んだクリスチャン男子たちが一生懸命に働き,愛情深く世話してくれているおかげで,私たちは大いに助けられています。群れを世話するために任命された監督たちに従い続けるなら,私たちは会衆の頭であるキリスト・イエスといっそう強く結び付きます。(コリ一 16:15-18。エフェ 1:22,23)その結果,神の聖なる力が世界中の会衆に行き渡り,神の言葉に導かれて全世界で活動が行われていくのです。(詩 119:105)
a 日本の場合,巡回区の会計というものはありません。