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そのとおりに実現した預言聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
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第9章
そのとおりに実現した預言
人間は,将来を確実に予告することができません。将来のことを予言しようとする人間の努力は繰り返しみじめな失敗に終わっています。ですから,実際にそのとおりになった数々の預言を収めた本があれば,それはわたしたちにとって興味深いものとなるはずです。聖書はそのような本です。
1 (前書き部分を含む)聖書が多くの預言を収めており,それらがそのとおりに実現している事実はどんなことの証拠ですか。
聖書の数多くの預言が非常に細かな点までそのとおりに実現しているために,それらは成就したとされる出来事の後に書かれたのだとする批評家たちがいます。しかし,そのような批判は当たっていません。神は全能者であられ,物事を預言する能力を完全に備えておられます。(イザヤ 41:21-26; 42:8,9; 46:8-10)そのとおりに実現した聖書の預言は,神による霊感の証拠であって,事後に書かれたことを示すものではありません。では今,そのとおりに実現した顕著な預言の幾つかを調べてみましょう。それは,聖書が神の言葉であり,単なる人間の言葉ではないことのいっそうの証しとなるでしょう。
バビロンへの流刑
2,3 どのような経緯でヒゼキヤ王はバビロンからの使節に自分の王家と領土のすべての財宝を見せましたか。
2 ヒゼキヤは王としてエルサレムで30年ほど治めました。西暦前740年,ヒゼキヤは,北方の隣国イスラエルがアッシリアの手で滅ぼされるのを目撃しました。そして西暦前732年には,神の救いの力を自ら体験しました。その年,エルサレムを征服しようとしてやって来たアッシリアの企てが失敗し,その侵略軍は壊滅的な打撃を被ったのです。―イザヤ 37:33-38。
3 さて今,ヒゼキヤは,バビロンの王メロダク・バラダンのもとから来た使節団を迎え入れています。表向き,それら使者たちは,ヒゼキヤが重病から快復したことを祝うために来ていました。しかし恐らくメロダク・バラダンとしては,ヒゼキヤを,世界強国アッシリアに対抗する同盟に加わらせることができると見ているのでしょう。ヒゼキヤのほうは,そうした考えを払いのけるようなことは何も行なわず,訪ねて来たバビロニア人に,自分の王家と領土のすべての富を見せて回ります。ヒゼキヤ自身としても,アッシリアによる再度の攻撃に備えて同盟を望んでいるのかもしれません。―イザヤ 39:1,2。
4 イザヤは,ヒゼキヤの過ちがどんな悲劇的結末になることを預言しましたか。
4 その時代の傑出した預言者であったイザヤは,ヒゼキヤの行動の軽率さをすぐに見てとります。ヒゼキヤにとって最も確実な守りとなるのはエホバであって,バビロンではないことを知っているのです。それでイザヤは,バビロニア人に自分の富を見せたその行為は悲劇的な結末になるであろうとヒゼキヤに告げます。イザヤはこう述べます。「日がやって来て,あなたの家の中にあるもの,あなたの父祖たちが今日に至るまで蓄えてきたものがすべて,実際にバビロンに運ばれるであろう」。エホバは,「何一つ残されないであろう」とも告げられました。―イザヤ 39:5,6。
5,6 (イ)エレミヤはイザヤの預言を確認してさらに何と述べましたか。(ロ)イザヤとエレミヤの預言はどのように成就しましたか。
5 西暦前8世紀当時,こうした預言は成就しそうもないように見えたかもしれません。しかし,その100年後に状況は変化していました。バビロンはアッシリアと入れ替わって支配的な世界強国となっていました。ユダのほうは宗教的に甚だしく退廃していて,神はもはや祝福を与えてはおられませんでした。そして今,別の預言者エレミヤが霊感を受けて,イザヤの語った警告を再び伝えることになりました。エレミヤはこうふれ告げました。『わたしは[バビロニア人]を来させ,この地とその住民を攻めさせる。……そして,この地はみな必ず荒れ廃れた所,驚きの的となり,これらの諸国の民は七十年の間バビロンの王に仕えなければならない』― エレミヤ 25:9,11。
6 エレミヤがこの預言を語ってから4年後,バビロニア人はユダを自分たちの帝国の一部としました。その3年後には,一部のユダヤ人を捕虜としてバビロンに連行し,エルサレム神殿の財宝の一部をも持ち去りました。それから8年後,ユダは反抗を企てましたが,再度バビロンの王ネブカドネザルによる侵略を受ける結果になりました。この時に,エルサレム市とその神殿は破壊されました。そこにあったすべての富は運び去られ,ユダヤの民そのものも遠く離れたバビロンに連れて行かれて,イザヤとエレミヤが予告したとおりになりました。―歴代第二 36:6,7,12,13,17-21。
7 エルサレムに関するイザヤとエレミヤの預言が成就したことを考古学はどのように確証していますか。
7 「聖地考古学百科事典」は,バビロニアの猛攻撃が終わった時の「[エルサレム]市はまさに徹底的な壊滅状態にあった」と記しています。1 考古学者のW・F・オールブライトはこう述べています。「ユダにおける発掘および地表踏査の結果は,ユダの諸都市が,二度にわたるカルデア人の侵略によって完全に破壊されただけでなく,何世代ものあいだ無人のままに放置されたことを示している。それ以後二度と人の住まなかった町も少なくない」。2 こうして考古学は,この点に関する預言が衝撃的なほど的確に成就したことを裏付けています。
ティルスの命運
8,9 エゼキエルはティルスに対してどんな預言を語りましたか。
8 神の霊感による預言を書き記した古代のもうひとりの人としてエゼキエルがいます。エゼキエルは,西暦前7世紀の終わりから同6世紀にかけて預言者として活動しました。それは,エルサレムの滅亡に至る数年,そしてユダヤ人のバビロン捕囚の初めの十数年の期間に当たります。現代の批評家の中にも,エゼキエル書がおおむねその時期に書かれたという点に同意している人たちがいます。
9 エゼキエルは,イスラエルの北側に隣接していたティルスの滅亡に関する目ざましい預言を記録しました。ティルスは,神の民の友という立場にありましたが,後にそれに敵対するようになった国です。(列王第一 5:1-9。詩編 83:2-8)エゼキエルはこう記しています。「主権者なる主エホバはこのように言われた。『ティルスよ,いまわたしはあなたを攻める。海が波を起こすように,わたしは多くの国々の民を起こしてあなたを攻めさせる。そして,彼らはティルスの城壁を必ず滅びに陥れ,その塔を打ち壊すであろう。わたしは彼女からその塵をこそげて,これを大岩の輝く,むき出しの表面とする。……またあなたの石や,木工物や,塵を水の中に置くであろう』」― エゼキエル 26:3,4,12。
10-12 エゼキエルの預言は最終的にいつ,またどのように成就しましたか。
10 この事は実際に起きたでしょうか。エゼキエルがこの預言を語ってから数年後,バビロンの王ネブカドネザルはティルスを攻囲しました。(エゼキエル 29:17,18)しかし,その攻囲は決して容易ではありませんでした。ティルス市の一部は普通の陸上(ティルス旧市と呼ばれている部分)にありました。しかし市の別の部分は,岸から800メートルほど離れた島にありました。ネブカドネザルは,この島を13年間攻囲してようやく屈服させました。
11 しかし,エゼキエルの預言が細かな点までことごとく最終的に成就したのは,西暦前332年のことでした。その年,マケドニアからやって来た征服者アレクサンドロス大王は,アジアにまで侵略の歩みを進めていました。離れ小島にあって守りを堅くしていたティルスは,容易なことではアレクサンドロスに屈しませんでした。アレクサンドロスは潜在的な敵を背部に残すことを望まず,同時にまた,ネブカドネザルのようにティルスの攻囲に多年を費やすことも望みませんでした。
12 この軍事上の問題をどのように解決したのでしょうか。アレクサンドロスは,一種の土手橋もしくは半島堤を島に渡し,自分の兵士たちがそれを伝って進み,島にある都市に攻撃を仕かけられるようにしました。しかし,その半島堤を築くために何が用いられたのかに注意してください。アメリカーナ百科事典はこう述べています。「彼は332年に,自分が破壊しつくしたその都市の本土側の部分の残がいを用いて巨大な半島堤を構築して,島と本土とをつないだ」。比較的短期間の攻囲の後に島側の都市は滅ぼされました。しかも,エゼキエルの預言が細かな点までことごとく成就したのです。ティルス旧市の『石や木工物や塵』までが『水の中に置かれた』からです。
13 19世紀の一旅行者は古代ティルスの遺跡をどのように描写していますか。
13 19世紀の一旅行者は,古代ティルスの遺跡が当時どのようになっていたかについてこう述べています。「ソロモンやイスラエルの預言者たちに知られていた元々のティルスについては,山側の岩壁にくり抜いた墳墓や,城壁の基部を除けば何のおもかげも残っていない。……アレクサンドロス大王が,この都市に対する攻囲の際,島と本土との間を埋め立てて岬に変えてしまった島の部分にさえ,十字軍の時代以前のものとして見分けのつく遺物は何もない。現今の町は,その全体が比較的に新しいものであるが,かつて島であった部分の北半分を占めており,残る地表面のほとんど全域は全く識別できないがれきで覆われている」。3
次いでバビロンの滅び
14,15 イザヤとエレミヤはバビロンに対してどんな預言を記録しましたか。
14 西暦前8世紀に戻ると,ユダヤ人がバビロンに服従させられる日の来ることを警告した預言者イザヤは,驚がくすべきさらに別のこと,すなわち,バビロンそのものが完全な絶滅に至ることをも予告していました。イザヤはそれをまのあたりに見るかのように精細に予告しています。「いまわたしは彼らに対してメディア人を奮い起こさせる。……そして,もろもろの王国の飾り,カルデア人の誇りの美であるバビロンは,神がソドムとゴモラを覆されたときのようになるのである。彼女は決して人の住む所とはならず,また,彼女が代々にわたって住むこともない」― イザヤ 13:17-20。
15 預言者エレミヤも,バビロンの倒壊について予告しましたが,それはその時代より幾年もたってから起きる事柄でした。そしてエレミヤは,興味深い細かな点をそこに含めていました。「彼女の水の上には荒廃があり,それは必ず干上がる。……バビロンの力ある者たちは戦うことをやめた。彼らは強固な場所に座りつづけた。その力強さは枯れた」― エレミヤ 50:38; 51:30。
16 バビロンはいつ,だれによって征服されましたか。
16 西暦前539年,精力的なペルシャの支配者キュロスがメディアの軍勢を伴いつつバビロンに向けて軍を進め,ぬきんでた世界強国としてバビロンが支配権を行使する時代は終わりを迎えることになりました。しかしキュロスは,侮りがたいものをそこに見ました。バビロン市は高大な城壁に囲まれ,いかにも堅固に見えました。大河ユーフラテスがその都市の中を流れ,防備にいっそうの重みを添えていました。
17,18 (イ)どのような意味で『[バビロン]の水の上に荒廃』がありましたか。(ロ)バビロンの『力ある者たちが戦うことをやめた』のはなぜですか。
17 ギリシャの歴史家ヘロドトスは,キュロスがこの問題をどのように解決したかを記述しています。「彼は,自分の軍隊の一部を川が市内へ流れ込む地点に配置し,別の一隊をその場所の裏側,水が流れ出て来るところに配置して,水が引いて浅くなるや直ちに川床を伝って町の中へ進み入れ,との命令を与えておいた。……キュロスは,堀割りを使ってユーフラテスの流れをくぼ地[バビロンのそれ以前の支配者が掘った人工の湖]に導いた。そこは当時,沼地であった。こうして川の水位は下がって,自然の川床を歩いて渡れるほどになった。そこですぐ,その目的のためバビロン市の傍ら,川のそばで待機していたペルシャ人たちは流れの中に入った。それは人の股の半ば程度にまで引いていた。こうして彼らは町の中へ侵入した」。4
18 こうしてこの都市は,エレミヤやイザヤが警告していたとおりに陥落しました。しかし,預言が細かな点まで成就したことに注目してください。文字通り『彼女の水の上に荒廃があり,それは干上がり』ました。ユーフラテス川の水位を下げることによってキュロスはこの都市に接近することができたのです。エレミヤが予告していたとおり,「バビロンの力ある者たちは戦うことをやめた」でしょうか。聖書だけでなく,ギリシャの歴史家ヘロドトスやクセノフォンも,ペルシャ人が襲撃を仕かけた時,バビロニア人がまさに酒宴にふけっていたことを記録しています。5 楔形文字を刻んだ公文書であるナボニドス年代記は,キュロスの軍隊が「戦うことなく」バビロンに入ったと述べていますが,これは,大規模な組織的戦闘を交えなかった,という意味なのでしょう。6 明らかに,バビロンの力ある者たちは,都市の防衛のためにほとんど何も行ないませんでした。
19 バビロンが『人の住まない所となる』という預言は成就しましたか。説明してください。
19 バビロンが二度と『人の住まない所となる』という予告についてはどうでしょうか。この点は西暦前539年にすぐに成就したわけではありません。しかし,やはりこの預言もたがうことなくそのとおりになりました。バビロンは,倒れた後にも度々反抗の拠点となり,ついに西暦前478年,クセルクセスがこの都市を壊滅させました。4世紀の終わり,アレクサンドロス大王はバビロンの再建を企てましたが,その業がいくらも進まないうちに大王は死にました。以来,その都市は衰退の一途をたどりました。西暦1世紀になるまで人々はそこに住んではいましたが,古代バビロンから今日に残るものといえば,イラクにある廃虚の丘だけです。その廃虚が部分的に復元されることがあるとしても,バビロンは観光用の見せ物であるにすぎず,人のにぎわう生気ある都市となることはないでしょう。荒涼たるその遺跡は,バビロンに対する霊感の預言が最終的に成就したことの証しです。
世界強国の行進
20,21 ダニエルは,世界強国の行進に関してどんな預言的な幻を見ましたか。それはどのように成就しましたか。
20 西暦前6世紀,ユダヤ人がバビロンに流刑になっていた時期に,別の預言者ダニエルは,霊感を受けて幾つかの注目すべき幻を記録し,世界の物事がそれ以後どのように展開してゆくかを予告しました。その一つの中でダニエルは,何頭かの象徴的な動物を描写し,それらが順次入れ替わって世界舞台に登場して来ることを示しています。そして,ひとりのみ使いの説明によると,それらの動物は,その時代以降の世界強国の行進のさまを予影していました。対決する二頭の獣についてみ使いはこう述べます。「あなたが見た二本の角のある雄羊はメディアとペルシャの王を表わしている。また,毛深い雄やぎはギリシャの王を表わしている。その目の間にあった大いなる角,それはその第一の王である。また,それが折れて,その代わりについに四本の角が立ち上がったが,彼の国から四つの王国が立つことになる。しかし,彼ほどの力はない」― ダニエル 8:20-22。
21 この預言的描写は的確に成就しました。バビロニア帝国はメディア-ペルシャによって覆され,そのメディア-ペルシャの勢力は200年後にギリシャ系の世界強国に道を譲りました。そのギリシャ系の帝国は,「大いなる角」たるアレクサンドロス大王をその先鋒としていました。しかしアレクサンドロスの死後,配下の将軍たちが権力を求めて戦い合い,やがてその広大な帝国は四つの小帝国,「四つの王国」に分割されました。
22 世界強国の行進に関する関連した預言の中で,どんな世界強国のことがさらに預言されましたか。
22 ダニエル書の7章にもこれとやや似た幻があり,それもずっと後の時代を見通していました。バビロニア世界強国はライオンとして描かれ,ペルシャは熊,ギリシャは四つの頭を持ち,背中に四つの翼のあるひょうとして描写されました。さらにダニエルはもう一つの野獣を見ます。それは「恐ろしく,すさまじく,際立って強いもの」で,「十本の角」がありました。(ダニエル 7:2-7)この四番目の野獣は,強力なローマ帝国を予表していましたが,そのローマが興隆してきたのは,ダニエルがこの預言を記してから3世紀ほど後のことでした。
23 ダニエルの預言に出て来る四番目の野獣は,どんな点で『他のすべての王国と異なって』いましたか。
23 み使いはローマに関してこう預言しました。「第四の獣について言えば,地に生じる四番目の王国がある。それは他のすべての王国とは異なっているであろう。それは全地をむさぼり食い,それを踏みにじり,打ち砕く」。(ダニエル 7:23)H・G・ウェルズはその著「世界小史」の中でこう述べています。「新しいローマの勢力が台頭して,西暦前2世紀から同1世紀にかけて西側の世界に君臨するようになったが,このローマは,幾つかの点で,それまでに文明世界を制覇したどの大帝国とも異なる存在であった」。7 ローマは共和制の国家として興り,帝王制の国家としてずっと存続しました。それ以前の帝国とは異なり,ローマはだれか特定の征服者によって創建されたのではなく,数世紀をかけたたゆみない発展の結果として成立しました。ローマは,それに先行したどの帝国よりもはるかに長い期間存続し,はるかに広大な領土を配下に置きました。
24,25 (イ)野獣の十本の角はどのようなかたちで登場しましたか。(ロ)野獣の角どうしの間のどんな抗争をダニエルは予見しましたか。
24 しかし,この強大な獣の十本の角についてはどうでしょうか。み使いはこう述べました。「また,十本の角について言えば,その王国から起こり立つ十人の王がいる。そして,それらの後にさらに別の者が起こるが,その者は初めの者たちとは異なっており,また三人の王を辱める」。(ダニエル 7:24)この点についてはどうでしたか。
25 西暦5世紀にローマ帝国は衰退しはじめましたが,別の世界強国がすぐそれに取って代わったわけではありません。ローマは幾つもの王国,いわば「十人の王」に分解したのです。最終的には大英帝国が,それと張り合ったスペイン,フランス,オランダの三つの帝国を打ち負かして主要な世界強国となりました。こうして,後から登場した『角』が「三人の王」を辱めました。
ダニエルの預言は事後に書かれたものか
26 批評家たちは,ダニエル書がいつごろ書かれたと唱えていますか。それはどんな理由によりますか。
26 聖書は,ダニエル書が西暦前6世紀に書かれたことを示しています。しかし,ダニエル書の預言があまりにも厳密に成就しているために,この書は西暦前165年ごろ,つまり,そこに預言として述べられている幾つかの事柄が起きた後に書かれたものであると批評家たちは主張しています。8 そのような主張をする現実の理由は,ダニエルの預言がそのとおりに実現しているからということ以外にはないのに,多くの研究用書物の中では,ダニエル書をこのような後代の作とする見方が既定の事実のようにして提出されています。
27,28 ダニエル書が西暦前165年ごろに書かれたものではない証拠としてどんな事実がありますか。
27 しかし,そのような説については,次の幾つかの事実と比較考量してみることが必要です。まず,この書は,第一マカベア書など,西暦前2世紀のユダヤ教の著作の中で暗に言及されています。またこの書は,西暦前3世紀に翻訳の始まったギリシャ語セプトゥアギンタ訳の中に含められています。9 第三に,ダニエル書の写本断片は,死海写本群の中でもとりわけ多く見つかる文書の中に入っており,それら写本断片は西暦前100年ごろのものと信じられています。10 これは,ダニエル書が書かれたと唱えられている年代からそれほどたっていない時期であり,そのころすでにダニエル書が明らかに広く知られ,重んじられていたということは,それが,批評家たちの主張するよりずっと早い時代に書き終えられていたことの強力な証拠です。
28 さらに,ダニエル書は,西暦前2世紀の筆者には知り得なかったであろう歴史の細部を幾つも含んでいます。その好例はベルシャザル,つまり西暦前539年にバビロンが陥落したさい殺されたバビロンの支配者についてです。バビロンの陥落に関する聖書以外のおもな情報源といえば,ヘロドトス(西暦前5世紀),クセノフォン(西暦前5世紀から4世紀),ベロッソス(西暦前3世紀)の3人です。これら3人のうちのだれもベルシャザルについては知りませんでした。11 これら早い時代の著述家たちが入手し得なかった情報を,西暦前2世紀の筆者が知っていたというのはいかにも考えにくいことです。ダニエル書の5章にある,ベルシャザルに関する記録は,これら他の著作家たちがそれぞれ自分の書を書いた時よりも早い時期に,ダニエルがその書を記したという強力な論拠になります。a
29 ダニエル書はそこに預言として述べられている事柄が起きた後に書かれたというようなことはなぜあり得ませんか。
29 最後の点として,ダニエル書には,西暦前165年よりずっと後に成就した預言も数多く収められています。その一つはさきに述べたローマ帝国に関するものですが,別の預言として,メシアであるイエスの到来を予告した特筆すべき預言があります。
油そそがれた者の到来
30,31 (イ)ダニエルのどんな預言はメシアの出現する時期をあらかじめ告げていましたか。(ロ)メシアの出現するはずの年をダニエルの預言からどのように算定できますか。
30 その預言はダニエル書の9章に記されており,このように述べられています。「七十週[7年を1週とする; すなわち490年]があなたの民とあなたの聖なる都市に関して定められている」。b (ダニエル 9:24,詳訳聖書)この490年の期間に何が起きることになっていましたか。さらにこう述べられています。「エルサレムを修復して建て直せとの命令の出る時から,油そそがれた者,君たる者の[到来の]時までは,七週[7年を1週],そして六十二週[7年を1週]であろう」。(ダニエル 9:25,詳訳聖書)ですからこれは,「油そそがれた者」であるメシアが到来する時期に関する預言です。それはどのように成就したでしょうか。
31 エルサレムを修復して建て直せという命令は,ペルシャの「王アルタクセルクセスの第二十年」,つまり西暦前455年に『出され』ました。(ネヘミヤ 2:1-9)それから49年(7年を1週として7週)がたった時までにエルサレムの栄光はかなり回復されていました。そして,西暦前455年から483年(7週たす62週)を数えると,西暦29年になります。ちょうどこれは,「ティベリウス・カエサルの治世の第十五年」であり,イエスが,バプテスマを施す人ヨハネからバプテスマを受けた年になります。(ルカ 3:1)その時イエスは公に神の子とされ,ユダヤ国民に良いたよりを宣べ伝える宣教活動を開始しました。(マタイ 3:13-17; 4:23)イエスは「油そそがれた者」すなわちメシアとなったのです。
32 ダニエルの預言によると,イエスの地上での宣教活動はどれほどの期間続きますか。その終わりにどんな事が起きますか。
32 預言はさらにこう述べていました。「そして六十二週[7年を1週]の後に,油そそがれた者は断たれるであろう」。またこう述べています。「また彼は一週[7年]の間,多くの者との強固で揺るぎない契約に入るであろう。そして,その週の半ばに,彼は犠牲と捧げものを終わらせる」。(ダニエル 9:26,27,詳訳聖書)まさにこの言葉のとおり,イエスはもっぱら,生来のユダヤ人である「多くの者」のところへのみ行きました。イエスはときにサマリア人にも宣べ伝えましたが,それは,聖書の一部を信じながらも,ユダヤ教の主流とは別個の派を構成していた人々でした。その後,「週の半ばに」,つまり3年半の伝道の後に,イエスは自分の命を犠牲として与え,こうしてイエスは「断たれ」ました。これは,犠牲と供え物とを伴うモーセの律法の終了を意味しました。(ガラテア 3:13,24,25)こうしてイエスは,自らの死によって,「犠牲と捧げものを終わらせ」たのです。
33 エホバはいつまで,もっぱらユダヤ人とのみ接触を持たれますか。この期間の終わりとしてどんな出来事がありましたか。
33 しかしながら,新しく誕生したクリスチャン会衆は,その後もさらに3年半の間,もっぱらユダヤ人に,次いで,自分たちとゆかりのあるサマリア人に証言しました。しかし西暦36年,1週を7年とする70週が終わった時に,使徒ペテロは導きを受けて異邦人のコルネリオに伝道しました。(使徒 10:1-48)『多くの者との契約』はもはやユダヤ人だけに限られてはいませんでした。救いは無割礼の異邦人にも宣べ伝えられるようになりました。
34 生来のイスラエルがメシアを退けた結果,ダニエルの預言のとおりにどんな事が起きましたか。
34 ユダヤ国民はイエスを退け,しかも陰謀を巡らしてイエスを処刑に至らせたので,西暦70年,ローマ人がやって来てエルサレムを壊滅させた時,エホバはこの国民を保護されませんでした。こうして,ダニエルの言葉の次の部分がさらに成就しました。「また,やって来る別の君の民がこの都市と聖所とを滅ぼすであろう。その終わりは洪水と共にやって来て,終わりにいたるまで戦争があるであろう」。(ダニエル 9:26,後半,詳訳聖書)この二番目の「君」とは,西暦70年にエルサレムを壊滅させた,ローマの将軍ティツスでした。
霊感による預言
35 イエスに関するほかのどんな預言がそのとおりに実現しましたか。
35 このように,ダニエルの70週の預言は驚くほど正確に成就しました。実際のところ,ヘブライ語聖書に記録された預言の多くは1世紀に成就し,その多くはイエスと関連がありました。イエスの誕生する場所,神の家に対するイエスの熱心さ,その伝道活動,裏切られて銀30枚で売り渡されること,イエスの死の様子,その衣を分けるためにくじが投げられたこと ― このような細かな点すべてがヘブライ語聖書の中で預言されていました。それが成就したことは,イエスが間違いなくメシアであることの証明であり,さらにそれは,聖書の預言が霊感によるものであることを重ねて実証するものとなりました。―ミカ 5:2。ルカ 2:1-7。ゼカリヤ 11:12; 12:10。マタイ 26:15; 27:35。詩編 22:18; 34:20。ヨハネ 19:33-37。
36,37 聖書の預言がそのとおりに実現した事実からどんなことを学べますか。この点を知ると,どんなことを確信できますか。
36 確かに,成就するはずであった聖書の預言はことごとく実現しました。多くの事は,聖書が予告していたまさにそのとおりに起きました。これは,聖書が神の言葉である強力な証拠です。それほどまでに正確であったことから考えると,それら預言的なことばの背後には,人間の知恵以上のものが存在していたに違いありません。
37 しかし聖書の中には,これら過去の時代には成就しなかった他の予言のことばもあります。なぜ成就しなかったのでしょうか。それらは,このわたしたちの時代に,さらには,これから将来に成就することになっていたからです。昔の時代に関する預言の信頼性は,これら他の予言のことばも必ずそのとおりに実現することを確信させます。まさしくそのとおりであることを,次の章で学びましょう。
[脚注]
a 第4章,「『旧約聖書』はどれほど信じられますか」の16,17節をご覧ください。
b この翻訳の角かっこ内の語句は,意味を明確にするためその翻訳者によって加えられたものです。
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あなたが見た聖書預言の成就聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?
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第10章
あなたが見た聖書預言の成就
今日の世界の様相は100年前と比べてどうしてこれほど違っているのだろうか,と考えたことがありますか。ある面では進歩と改善が見られます。多くの土地で,以前には人々を死に至らせていた病気が,今では日常普通に治療されています。何世代か昔の人々が夢にさえ見なかったような生活水準が実現し,今日ではごく普通の人々でもその恩恵に浴することができます。ところがその一方で,今世紀には,史上最悪の戦争が,そして最も甚だしい残虐行為の幾つかが行なわれてきました。人類の繁栄,いや,人類の生存そのものが,人口爆発,汚染の問題,核兵器・生物兵器・化学兵器の全世界にわたる大々的な備蓄などによって脅かされています。どうしてこの20世紀は,それ以前の時代とこのように異なっているのでしょうか。
1 (前書き部分を含む)(イ)この20世紀はそれまでの時代とどのように異なっていますか。(ロ)わたしたちの時代がどうしてこれほど違っているのかを理解する点で何が助けになりますか。
この疑問に対する答えは,あなたが成就を見てこられた聖書の目ざましい預言と関係があります。それはイエス自ら語られた預言であり,また,聖書が霊感によるものである証拠となるだけでなく,世界の状況が劇的な大変化を見る日の近いことを示す預言でもあります。それはどんな預言でしょうか。それがどのように成就しているかを知ることができますか。
イエスの重要な預言
2,3 弟子たちはイエスにどんな質問をしましたか。イエスの答えはどこに見いだせますか。
2 聖書が記している点ですが,イエスの死なれる少し前,弟子たちはエルサレムにある神殿の建物の壮大さについて話し合っていました。弟子たちは,その大きさと,いかにもしっかりした造りに感銘を受けていたのです。しかしイエスはこう言われました。「あなた方はこれらのすべてのものを眺めないのですか。あなた方に真実に言いますが,石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してないでしょう」― マタイ 24:1,2。
3 弟子たちはイエスのこの言葉に驚きを感じていたに違いありません。それで,後にイエスのところにやって来て,そのことについてさらに知ろうとしてこう尋ねました。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)これに対するイエスの答えは,マタイ 24章のこれ以降の部分と25章にあります。またこの時のイエスの言葉は,マルコ 13章とルカ 21章にも記録されています。明らかにこれは,イエスが地上にいた間に語られた最も重要な預言です。
4 イエスの弟子たちはどんな異なった点について尋ねていましたか。
4 実際のところ,イエスの弟子たちが尋ねていたのはただ一つの点だけではありません。まず,「そのようなことはいつあるのでしょうか」と,つまり,エルサレムとその神殿が滅ぼされるというのはいつのことなのだろうか,と質問しています。さらに,神の天の王国の王としてのイエスの臨在が始まったこと,そしてこの事物の体制の終わりが近いことを示すしるしについても尋ねていました。
5 (イ)イエスの預言にはどのような最初の成就がありましたか。しかしイエスの言葉はいつ全面的な成就を見ますか。(ロ)イエスは弟子たちの質問にまずどのように答えましたか。
5 答えの中で,イエスはこの双方を念頭に入れていました。イエスの言葉の多くの点は,第1世紀に,つまり西暦70年のエルサレムの悲惨な滅びにいたるまでの期間にまさしく成就しました。(マタイ 24:4-22)しかしイエスの預言は,後の時代に,事実,このわたしたちの時代に,より重要な意味を持つことになっていました。では,イエスはどのようなことを語られたのでしょうか。7節と8節に記されている次の言葉を最初に語られました。『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと食糧不足や地震があります。これらすべては苦しみの劇痛の始まりです』。
6 マタイ 24章7,8節のイエスの言葉は並行するどの預言を想起させますか。
6 明らかに,天の王としてのイエスの臨在の始まりは,地上における非常な騒乱を特色とする時代となります。この点は,啓示の書にある並行する預言,すなわち,黙示録の四騎手の幻によっても裏書きされます。(啓示 6:1-8)それら騎手たちのうち第一の者は,征服を進める王としてのイエスご自身を表わしています。乗用馬にまたがる他の騎手たちは,イエスの統治の開始をしるしづける地上の幾つかの事柄,すなわち戦争や飢きん,また,種々の要因による多くの人々の不慮の死を表わしています。これら二つの預言が今日成就しているのをわたしたちは見ているでしょうか。
戦争!
7 黙示録の二番目の騎手が乗り進むさまによってどのようなことが預言的に表わされましたか
7 これらの預言をもう少し細かに調べてみましょう。イエスはまず,『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』と言われました。これは戦争に関する預言です。黙示録の四騎手のうちの第二の者も,同じように戦争を表わしていました。このように述べられています。「別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」。(啓示 6:4)さて,人類はこれまで幾千年ものあいだ戦争を行なってきました。それで,なぜこれらの言葉がわたしたちの時代に特別の意味を持つことになるのでしょうか。
8 どのような意味で戦争はしるしの際立った特色となるはずですか。
8 銘記しておくべき点として,戦争それだけでイエスの臨在のしるしとなるわけではありません。そのしるしは,イエスの預言の詳細な点すべてが同じ時代に起きることによって成り立っています。ですが,最初の特色として挙げられているのは戦争ですから,この面が,わたしたちの注意をとらえるような際立ったかたちで成就すると考えられます。そして,この20世紀に起きた戦争がそれ以前の全歴史を通じてまったく類例のないものであることは,だれもが認めなければならないでしょう。
9,10 戦争に関する預言はどのようなかたちで成就しはじめましたか。
9 例えば,以前に起きた戦争の多くも残忍で破壊的なものであったとはいえ,そのどれも,破壊のすさまじさの点で,20世紀に起きた二つの世界大戦とは比べようもありません。最初の世界大戦は合計で1,400万人もの死者を出しました。これは,多くの国においてその総人口を上回る数字です。確かに,「人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された」という言葉のとおりになりました。
10 その預言によると,黙示録の騎手のうちその好戦的な二番目の者に『大きな剣が与えられ』ました。この点はどのように当てはまるでしょうか。次のこと,すなわち,戦争のための兵器がはるかに破壊的になったことです。戦車・飛行機・致死性の毒ガス・潜水艦,また数キロ以上も離れたところで弾頭をさく裂させる特殊火器類などを装備した人間は,自分の隣人たちを殺傷する点でいっそう巧みになりました。そして最初の世界大戦以後,この「大きな剣」はますます破壊的になりました。無線通信器・レーダー・高性能ライフル・細菌兵器および化学兵器・火炎放射器・焼夷<ナパーム>弾・種々の新型爆弾・大陸間弾道弾・原子力潜水艦・高性能航空機・巨大戦艦などを用いるようになったからです。
「苦しみの劇痛の始まり」
11,12 どのような意味で最初の世界大戦は「苦しみの劇痛の始まり」にすぎませんでしたか。
11 イエスの預言の初めの部分は,「これらすべては苦しみの劇痛の始まりです」という言葉で結ばれています。この点は,第一次世界大戦に関してまさにそのとおりになりました。その大戦は1918年に終わりましたが,永続する平和をもたらすことにはなりませんでした。その後まもなく,限定的なものとはいえ,し烈な軍事行動が,エチオピア,リビア,スペイン,ロシア,インド,その他の地で相次ぎました。そして,さらにそれに続いたのがあの忌まわしい二番目の世界大戦です。それは,将兵と一般市民を合わせて5,000万人もの命を奪いました。
12 さらに,平和のための合意や戦闘の小康も時おりあるとはいえ,人類は今なお戦闘状態にあります。1987年に伝えられたところによると,1960年以来合計81の主立った戦争が行なわれ,1,255万5,000人もの男女子供が殺りくされました。1987年には,記録に残る歴史の上でそれまでのどの年よりも多い数の戦争が行なわれました。1 その上,軍備のための支出は現在のところ毎年合計1兆ドル(約130兆円)にも達し,世界の経済をゆがめさせています。2『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がる』というイエスの預言は今まさしく成就しつつあります。戦争を象徴する赤い馬は全地にわたってその猛烈な疾駆を続けています。しかし,しるしの第二の面についてはどうでしょうか。
食糧不足!
13 イエスはどんな痛ましい状況を予告しましたか。黙示録の三番目の騎手の幻はイエスの預言をどのように裏書きしていますか。
13 『そこからここへと食糧不足がある』とイエスは予告しました。この点が,黙示録の四騎手のうちの第三の乗り手の進む様といかに合致しているかに注意してください。その乗り手についてこう記されています。「そして,見ると,見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手にはかりを持っていた。そしてわたしは,四つの生き物の真ん中から出るかのような声が,『小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損なうな』と言うのを聞いた」。(啓示 6:5,6)そうです,深刻な食糧不足です。
14 1914年以来のどんな大飢きんはイエスの預言の成就となりましたか。
14 幾つかの国で非常に高度な生活水準が達成されている今日の時代に,このような預言が成就しているということがあり得るでしょうか。世界全体を見渡してみると,この点の疑問はなくなるでしょう。歴史的に見ても,飢きんは,戦争や自然の災害によって引き起こされてきました。ですから,災害や戦争が普通以上に多かった今世紀が,幾たびも飢きんに見舞われてきたというのも驚くべきことではありません。地上の幾多の場所が1914年以来そのような災害を被ってきました。ある報告は,1914年以来の大規模な飢きん60以上を数え挙げていますが,それは,ギリシャ,オランダ,ソ連,ナイジェリア,チャド,チリ,ペルー,バングラデシュ,ベンガル,カンボジア,エチオピア,そして日本など,広く世界各地に及んでいます。3 これらの飢きんの中には何年も続いて,幾百万もの死者を出したものもあります。
15,16 今日,別のどんな食糧不足が現実に惨害をもたらしていますか。
15 深刻な飢きんについては多くの場合広く報道されますが,しばらくするとそれはおさまり,生き残った人々はやがて比較的普通の生活に戻ってゆきます。しかしこの20世紀に,別の,さらに不気味なかたちの食糧不足が進展してきました。これはそれほど劇的なものではないために,とかく見過ごされていますが,年々続いています。それは,栄養不良という深刻な災いで,地球人口の5分の1の範囲にまで及び,毎年1,300万から1,800万もの人々を死に至らせています。4
16 言い換えると,この種の食糧不足のため,二日ごとに,原子爆弾によって広島で死んだのとほぼ同じ数の人々が絶えず死んでいることになります。実際,第一次世界大戦と第二次世界大戦で死んだ将兵の数を合わせたよりも多くの人々が,飢餓のため二年ごとに死んでいるのです。1914年以来『そこからここへと食糧不足があった』と言えるでしょうか。まさしくそのとおりです。
地震
17 1914年の後まもなくどんな破壊的な地震が起きましたか。
17 1915年1月13日,最初の世界大戦が始まってまだ数か月のころ,大きな地震がイタリアのアブルッツィ地方を襲い,3万2,610人もの命を奪いました。この大災害は,イエスの臨在の時代に起きる戦争や食糧不足にはさらにほかのものが伴うはずであったという点を思い起こさせます。すなわち,「そこからここへと……地震がある」とも述べられていました。戦争や食糧不足の場合と同様,アブルッツィの地震も「苦しみの劇痛の始まり」であったにすぎません。a
18 地震に関するイエスの預言はどのように成就してきましたか。
18 20世紀は地震の世紀であったと言えます。広報手段の発達により,世界中の人々は,地震による被害の状況についてよく知るようになっています。幾つか例を挙げれば,1920年には中国の一つの地震で20万人が死にました。1923年,日本では一つの地震で9万9,300人ほどが死に,1935年には,別の地震のために現在のパキスタンの地域で2万5,000人,さらに1939年にトルコで3万2,700人が死にました。1970年のペルー地震の死者は6万6,800人に上り,1976年の中国,唐山<タンシャン>の地震では24万人(ある資料では80万人)もの死者が出ました。さらに最近のこととして,1988年にアルメニア地方を襲った強力な地震では,2万5,000人が犠牲になりました。b 確かに,『そこからここへと地震があり』ました。6
「死の災厄」
19 しるしのさらにどんな面がイエスによって予告され,黙示録の第四の騎手によって予示されましたか。
19 イエスの預言のもう一つの面は病気に関することでした。福音書記者ルカは,その記述の中で,イエスが『そこからここへと疫病がある』とも予告されたことを記録しています。(ルカ 21:11)この点も,黙示録の四騎手に関する預言的な幻と合致します。四番目の騎手には“死”という名が付けられています。その者は,『死の災厄や地の野獣』などさまざまな原因で人々に臨む時ならぬ死を象徴しています。―啓示 6:8。
20 どんな目立った流行病は,疫病に関するイエスの預言の成就の一面となりましたか。
20 1918年から1919年にかけて,10億人もの人がスペイン風邪にかかり,2,000万人以上が死にました。この病気が奪った人命の数は,その時の世界大戦による死者の数をさえ上回っています。7 そして,「死の災厄」すなわち『疫病』は,医学上の多くの目ざましい進歩にもかかわらず,今日の世代を悩まし続けています。これはなぜでしょうか。一つには,貧しい国々が科学の進歩の恩恵に必ずしもあずかれないためです。貧しい人々は,もっとお金があれば良い治療を受けられるような病気のために苦しみ,また死んでゆきます。
21,22 富んだ国の人も貧しい国の人も「死の災厄」によってどのように苦しめられてきましたか。
21 例えば,世界中で約1億5,000万人もの人々がマラリアにかかっています。およそ2億人が住血吸虫症に冒されています。シャガス病のために1,000万人ほどの人が苦しみ,約4,000万人が糸状虫症を患い,急性の下痢を伴う種々の疾病のために毎年何百万人もの子供たちが命を失っています。8 結核とらい病は依然,容易ならぬ保健上の問題となっています。はっきり言える点として,この世界の貧しい人々は『そこからここへと見られる疫病』のために苦しめられています。
22 しかし,豊かな人々が免れているわけではありません。例えば,インフルエンザは富んだ人も貧しい人も襲います。1957年に猛威を奮ったインフルエンザは,米国だけでも7万人の人々を死に至らせました。ドイツでは,6人に一人がやがてガンにかかるようになると推定されています。9 性行為を通して感染する種々の疾病も貧富の別なく打撃を与えています。淋病は米国で最も多く報告されている伝染病ですが,その同じ病気が,アフリカの幾つかの地域で人口の18.9パーセントまでを悩ませています。10 梅毒,クラミジア感染症,陰部ヘルペスなども,性行為によって感染する流行性の「疫病」の中に挙げられます。
23 どんな「死の災厄」のことが近年しきりに報道されるようになりましたか。
23 近年では,「死の災厄」であるエイズが「疫病」のリストにさらに加わりました。エイズは恐ろしい病気です。今この本の編集の時点で有効な治療法はまだ見いだされていませんし,その犠牲となる人は増え続けています。WHO(世界保健機関)のエイズ対策特別計画の主事ジョナサン・マン博士はこう述べました。「我々はまた,今日の世界には,ヒト免疫不全ウイルス(HIV)の感染者が500万人から1,000万人いると推定している」。11 公表された一推計によると,エイズウイルスは毎分一人の割合で新しい犠牲者を生み出しています。まさしく「死の災厄」です。では,野獣による死に関する預言についてはどうでしょうか。
「地の野獣」
24,25 (イ)預言者エゼキエルはどのような『野獣』について述べましたか。(ロ)イエスは自分の臨在の始まった時代に地上で「野獣」が動き回ることについて何と言われましたか。
24 実際のところ,野獣のことが近ごろ新聞などに取り上げられるとすれば,それは,ある動物種族の生存が脅かされているとか,絶滅にひんしているという場合です。人間が脅かされているというよりは,「地の野獣」のほうが人間からはるかに大きな脅威を受けています。とはいえ,例えばインドのトラなど,ある土地では野生の動物が今なお人間の命を確実に犠牲にしています。
25 しかし聖書は,近年現実の脅威となってきた別の種類の野獣に注意を促しています。預言者エゼキエルは,凶暴な人間を野獣になぞらえてこのように述べました。「彼女の中の君たちは,獲物を引き裂くおおかみのようであり,不当な利得を得るために血を流し,魂を滅ぼす」。(エゼキエル 22:27)「不法が増す」ことについて預言した際,イエスは事実上,ご自分の臨在の期間に,地上でそのような「野獣」が動き回ることを述べておられました。(マタイ 24:12)さらに聖書の筆者パウロは,「終わりの日に」人々が「金を愛する者,……自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者」となることをも述べています。(テモテ第二 3:1-3)1914年以来の状況はこのとおりになってきましたか。
26-28 世界中から寄せられるどんな報道は,「野獣」のような犯罪者たちが地上をうろつき回っていることを示していますか。
26 まさしくそのとおりです。ほとんどどこでも地上の大都市に住んでおられるなら,すでにその点に気づいておられるでしょう。しかし,もし疑問をお持ちなら,次に挙げる最近の新聞からの引用文について考えてください。コロンビア発: 「昨年,警察当局は,約1万件の殺人と2万5,000件の武装強盗事件を記録した」。オーストラリアのビクトリア州発: 「重大犯罪の飛躍的増加」。米国発: 「ニューヨークにおける殺人件数はいつも新記録に向かっている」; 「昨年,デトロイトは,[アメリカ]全国で殺人事件発生率の最も高い都市としてインディアナ州ゲーリーを追い抜いた ― 住民10万人に対して58人である」。
27 ジンバブエ発: 「幼児殺人は危機的な比率を示すようになった」。ブラジル発: 「ここでは犯罪があまりに多く,武器の携帯もあまりに普通のことであるため,暴力事件のニュースはもはや人々の興味を全く引かなくなっている」。ニュージーランド発: 「性的暴行や暴力犯罪は警察にとって引き続き主要な関心となっている」; 「ニュージーランド人相互の間の暴力的傾向は野蛮としか言いようがない」。スペイン発: 「スペインは増大する犯罪の問題と取り組む」。イタリア発: 「シチリアのマフィアはしばらくの後退ののち再び殺人の波を高まらせている」。
28 これらは,本書の発行の少し前に新聞に伝えられていた点のほんの数例にすぎません。確かに,「野獣」が地上をさまよい,人々の安全を脅かしています。
良いたよりを宣べ伝える業
29,30 イエスの預言の成就として,キリスト教世界の宗教的な状況はどのようになっていますか。
29 イエスの臨在の始まった苦難に満ちた時代に,宗教面ではどのような状況が見られるでしょうか。一方においてイエスは,宗教的な活動が増大することをこう預言しました。「多くの偽預言者が起こって,多くの者を惑わすでしょう」。(マタイ 24:11)他方においては,キリスト教世界全体にわたって神への関心が低くなることを予告して,「大半の者の愛が冷えるでしょう」と言われました。―マタイ 24:12。
30 これは,今日のキリスト教世界で起きている事柄を的確に描写しています。一方において,主流諸教会はどこでも,十分な支持が得られないために衰退しています。かつてはプロテスタントの強い土地であった北ヨーロッパや英国で,宗教はまさに死んだも同然です。それと同時に,カトリック教会も,僧職者の不足に,また支持者の減少に悩んでいます。他方においては,主流ではない種々の宗教グループの波が押し寄せてもいます。東洋的宗教に根ざす新しい宗教熱が高まりを見せる中で,貪欲なテレビ福音伝道師たちは何百万ドルもの資金を強要しています。
31 この時代に真のクリスチャンを見分けるための助けとなるどんな事柄をイエスは予告されましたか。
31 しかし,真のキリスト教,すなわちイエスが人々に知らせ,その使徒たちが宣べ伝えた宗教についてはどうでしょうか。それはイエスの臨在の時代にも存在するはずですが,どのようにしてそれを見分けられるのでしょうか。どれが真のキリスト教かを明らかにする点は数多くありますが,そのうちの一つがイエスの重大な預言の中で言及されています。すなわち,真のクリスチャンは全世界的な宣べ伝える業に携わっているはずです。イエスはこう預言しました。「そして,王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」― マタイ 24:14。
32 マタイ 24章14節に記されるイエスの預言を成就してきたのはどのグループだけですか。
32 現在,この宣べ伝える業は,大々的な規模で進められています! 今日,エホバの証人と呼ばれる宗教グループは,キリスト教の歴史上最も徹底的な伝道活動を行なっています。(イザヤ 43:10,12)1919年にさかのぼりますが,政治に関与するキリスト教世界の主要宗教が,はかない前途しかない国際連盟を擁護していた中にあって,エホバの証人はこの全地球的な伝道運動のための備えをしていました。
33,34 王国の良いたよりは全世界にどの程度まで宣べ伝えられてきましたか。
33 その当時エホバの証人はわずかに1万人ほどしかいませんでした。しかしその人々は,どんな仕事がなされなければならないかを知っていました。そして,その宣べ伝える任務に勇敢に取りかかりました。これらの人々はまた,僧職者と平信徒の区別を設けることが,聖書の命令にも使徒たちの手本にも反していることを悟りました。ですからエホバの証人は,ひとり残らずすべての人が,それぞれ自分の隣人に神の王国について話す方法を学び,こうして彼らは,宣べ伝える人々の組織を成すにいたりました。
34 時の経過とともに,これら宣べ伝える人々は激しい反対にも耐えなければなりませんでした。ヨーロッパでは,幾つかのタイプの全体主義体制のもとで圧迫を受けました。米国やカナダでも,法律上の挑戦や暴徒の行動に立ち向かいました。他の国では,宗教的熱狂者からの偏見や,専制的独裁者たちによる残虐な迫害を乗り越えなければなりませんでした。近年では,浸透する懐疑主義の風潮や放縦な生き方にも対抗しなければなりません。それでも証人たちは業を続け,今日,全世界212の土地で,350万人以上を数えるまでになりました。神の王国の良いたよりがこれほど広範囲に宣べ伝えられたことはかつてありません。まさしく,しるしのこの面の目ざましい成就です。
このすべては何を意味するか
35 (イ)今日における預言の成就は,どのように,聖書が神の霊感によるものであることの論証となりますか。(ロ)イエスが語られたしるしの成就は,わたしたちの時代についてどんなことを意味していますか。
35 疑いなく,わたしたちは,イエスが語られた重要なしるしの成就を目撃しています。この事実は,聖書が本当に神の霊感によるものであることの一層の証拠です。この20世紀に起きるはずの事柄をこれほど早くから予告できた人間はだれもいません。さらに,こうしたしるしの成就は,わたしたちがイエスの臨在している時代に,そして,この事物の体制の終結の時代に生きていることを意味しています。(マタイ 24:3)このことにはどのような深い意味がさらにあるのでしょうか。イエスの臨在にはどのような事柄が含まれているのでしょうか。こうした問いに答えるために,聖書が霊感の書であることを示す別の強力な証拠,すなわち,その驚くほどの内面的調和について知ることが必要です。その点を次に取り上げ,聖書の中心的テーマが今,畏怖を抱かせるほどの最高潮に向かっていかに展開しているかを調べましょう。
[脚注]
a 1914年から1918年までの間に,マグニチュード8あるいはそれを上回る地震 ― アブルッツィを襲った地震より強力なもの ― は少なくとも五つありました。しかしそれらは人口の少ない地域で起きたために,イタリアの地震ほどに人々の注意を引くことはありませんでした。5
b これらの災害のあるものについて犠牲者数の報道に多少の相違がありますが,それでも,これらはいずれもきわめて破壊的なものでした。
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