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「胤」を生み出す人間の家系をたどる人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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メルキゼデク
17 アブラハムはその生涯中カナンの地で王たちと接触しましたが,なかでも最も際だった接触となったのは,どんな出会いでしたか。アブラハムはどうして彼に十分の一を払いましたか。
17 それ以前に,アブラハムは地上の王たちと接触していましたが,なかでも最も重要な接触となったのは,カナンの地の傑出した王との出会いでした。それは,カナンの地を侵略して,その地の五人の王を打ち破り,ロトを含めて捕虜を連れ去って行った四人の王たちの手から,アブラハムがおいのロトを救い出さざるを得なかった直後のことでした。略奪者であるそれら四人の王たちを打ち破って帰る途中,アブラハムは死海西方の山地の都市サレムに近づきました。「また,サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を持って来た。彼はいと高き神の祭司であった。次いで,彼はアブラムを祝福して言った,『天と地を作り出した方なる,いと高き神のアブラムが,祝福されますように。圧迫者たちをあなたの手に渡されたいと高き神が,ほめたたえられますように!』。そこで,アブラムはすべてのものの十分の一を彼に与えた」。(創世 14:18-20,新)メルキゼデクがアブラハムに告げたように,いと高き神がアブラハムの圧迫者たちを彼の手に渡されたのですから,アブラハムが分取り品の十分の一を,いと高き神の祭司メルキゼデクに与えたのは,まさしく適切なことでした。
18 アブラハムに対するメルキゼデクの祝福の言葉は,どうしてむなしい言辞ではありませんでしたか。ダビデは,神の目的におけるその人物の重要性をどのように示しましたか。
18 アブラハムに対するメルキゼデクの祝福の言葉は,むなしい言辞ではありませんでした。それはかなり重大な言葉であって,アブラハムが地のすべての族にとって祝福となる,つまりすべての民族は彼によって祝福を得るというエホバの約束と調和するものでした。(創世 12:3)この神秘的な王なる祭司メルキゼデクは,歴史上ほとんど触れられていないとはいえ,忘れられた訳ではありませんでした。九百年後のこと,いと高き神はサレムのもう一人の王,つまりエルサレムのダビデ王に霊感を与えて預言を行なわせ,いと高き神の目的のなかでメルキゼデクがいかに重要な人物であったかを示させました。それによれば,メルキゼデクは,さらに偉大な王,つまりダビデよりもなお一層偉大な王,ダビデさえ「わたしの主」と呼ばざるを得ない方を予示する人物でした。こうして予示されたこの王こそ,ほかならぬメシア,つまり神の「女」の「胤」でした。ゆえに,神の聖霊の力を受けたダビデは,詩篇 110篇1-4節(新)にこう書き記しました。
「これはエホバがわたしの主に語られたことばである。『わたしがあなたの敵をあなたの両足の台として置くまでは,わたしの右に座していなさい』。エホバは,あなたの力の杖をシオンから出して,こう言われるであろう。『あなたの敵のただ中に行って従えなさい』。あなたの民は,あなたの軍勢の日に,喜んで自らをささげる。あなたは,暁の胎内からの聖なる輝きを持つ,露の玉のような若者たちの仲間を持っておられる。エホバはこう誓われた(ので,遺憾に思われることはない)。『あなたはメルキゼデクのさまにしたがって定めのない時まで祭司である!』」
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「胤」を生み出す人間の家系をたどる人間の益のために今や勝ち誇る,神の「とこしえの目的」
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20 預言されたこの支配者は,ダビデの子であるにもかかわらず,どうしてダビの「主」となるのでしょうか。
20 とはいえ,その約束の支配者がダビデ王の「子」となるのに,どうしてダビデはその人のことを「わたしの主」と言ったのでしょうか。それは,「ダビデの子」と呼ばれる,この傑出した支配者は,ダビデよりもはるかに位の高い王になるからです。ダビデは地上のシオンの山の「エホバの王座」に座したとは言え,決して,それも亡くなった時でさえ,天に昇ってエホバの「右」に座したりはしませんでした。しかし,ダビデの「主」となる方は,そうするのです。天のエホバの右で占める,王としてのその位置は,天のシオンの山と言えるでしょう。なぜなら,それは,今日はそうではありませんが,かつてはエルサレムの城壁内に囲まれていた,地上のシオンの山で表わされていたからです。詩篇 89篇27節(新)で,メシアについてエホバが自ら言われたとおりです。「わたしもまた,彼を初子として,地の王たちのうちのいと高き者として置こう」。彼はダビデより位の高い立派な王になるだけでなく,昔のサレムの王メルキゼデクのように,永久に,いと高き神の「祭司」となるのです。―詩 76:2; 110:4。
21 では,どうしてアブラハムの名は大いなるものとなるのでしょうか。
21 西暦前二十世紀の昔,族長アブラハムは,自分と妻サラがその先祖となる「王たち」の中に,彼が戦利品すべての十分の一を払ったメルキゼデクによって予表される,メシアなる王が含まれていようとは知るよしもありませんでした。それで,アブラハムの名が,そのような王なる祭司との関連ゆえに大いなるものとされるのも何ら不思議ではありません! メルキゼデクのような,この祭司なる王を通して,地のすべての族がアブラハムによって自らを祝福する,つまり祝福を得るのも,少しも不思議ではありません!―創世 12:3。
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