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二つの救いについての絵ものみの塔 1962 | 4月1日
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16 (イ)アブラハムのすえに関し,小さな群れはイエスとどのような関係にありますか,(ロ)このことは特別な救いを大きな絵にむすびつけることに,どう役立ちますか。
16 それで神の御言葉は,特に選ばれた会衆,「小さな群れ」を明白に指摘しています。彼らは,人類の他の者よりも先にキリストのあがないの犠牲の益をいただきます。すでに述べたごとく,イエスご自身は神の主要な初子です。しかし,彼のかしらの下に他の者たちも彼と密接にむすびつき,「初子の会衆」をつくりあげています。また,同様に,キリスト・イエスご自身はアブラハムの約束されたすえです。しかし,エホバの過分のご親切により,これらの初子たちは,「キリストにつく洗礼をうけて」「キリストに属している」ため,「真実にアブラハムのすえ」でもあります。このすえにより,「地の全国民は」神の御国を通し,ハルマゲドンで現代のエジプトからの偉大な救いを受けて後,「自らを祝福する」のです。それで,初子級の特別な救いについての小さな絵がまず示されて,大きな絵に先行しなければならぬということが,十分なっとくできます。その大きな絵が成就するとき,エホバに向かって「彼は高くあがめられた」という勝利のさんびの歌が歌われるでしょう。そのわけで,象徴的に言うと,彼は先ずエジプトにくだり,「御名を取られた」のです。―ガラテヤ 3:16,27,29。創世 22:18。出エジプト 15:21。サムエル後 7:23。
17 ヨハネ第一書 2章2節をどのように理解するべきですか。
17 それで,これらの初子たちに手紙を書いたヨハネの言葉の意味が分かります。イエスはまず「わたしたちの罪のための,あがないの供え物である。ただ,わたしたちの罪のためばかりではなく,全世界の罪のためである」。―ヨハネ第一 2:2,新口。
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親密で貴重な関係ものみの塔 1962 | 4月1日
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親密で貴重な関係
1,2 (イ)どんな面でイエスは彼の「兄弟たち」と親密な関係を持つようになりましたか。(ロ)このことは,主の夕食とどのようにむすびついていますか。
イスラエルの初子についての絵の成就を考慮するとき,ひとつの事柄がはっきり大うつしに示されます。それは,エホバによりイエスと初子の霊的な会衆のあいだにもたらされる,極めて親密な関係です。初子はアブラハムのすえの一部として彼とともにあずかります。ヘブル人に宛てたパウロの手紙をふたたび見ると,彼はヘブル書 2章10-18節(新世)でこのことを強調して,次のように説明しています,「多くの子らを(天的な)栄光に導くのに,彼らの救の君〔イエス・キリスト〕を,苦難をとおして全うされたのは」,ふさわしいことでした。これら多数の子たちは「血と肉とにあずかっているので,イエスも同様に同じものを備えておられる。それは死をもたらす手段を持つ者,すなわち悪魔をご自分の死によってほろぼし,……たしかにイエスは御使たちを助けられず,アブラハムのすえを助けておられる。そこで,イエスは,神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって,民の罪をあがなうために,あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身,試練を受けて苦しまれたからこそ,試練の中にある者たちを助けることができるのである」。
2 たしかにこれらの子たちは,約束されたすえの一部としてイエスと親密な関係を持っています。しかし,いま別の親密な類似点に注意をひきたいと思います。すなわち,イエスと彼の「兄弟たち」の両方とも「血と肉とにあずかる者」であることです。このことによって,主の夕食とそのときイエスの論じた真理は密接にむすびつけられます。その点を研究することは,前に約束しておきました。
3 イエスは弟子たちと共にこの最後の過越にどのように近づきましたか。
3 忠実なユダヤ人イエスは,ニサン14日の恒例の過越の祝いをいつも守ってきました。しかし,彼は自分の宣教を終え,真実の「過越の犠牲」として,正しい時に犠牲のコースを全うすることをよく知っていたので,弟子たちと共に,この最後の過越に臨むに際し,それをもっとも重要なときと見なしました。その祝いをする家を選ぶこと自体,常とことなっていました。このことは,ペテロとヨハネもあかししていますが,「イエスが言われたとおり」詳細にわたって物事を先見した興味深い例です。それから「時間になった」ので,イエスは弟子たちと共に食卓につかれ,彼らに,「あなたがたとこの過越の食事をしようと,切に望んでいた」と言われました。―ルカ 22:7-16,新口。
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