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  • エジプト,エジプト人
    聖書に対する洞察,第1巻
    • イスラエルの隷従状態 聖書はイスラエル人を虐げるようになったファラオの名前も(出 1:8-22),モーセとアロンがその面前に出頭し,次いでエジプト脱出が行なわれたその当時のファラオの名前も挙げていないため(出 2:23; 5:1),また,これらの出来事がエジプトの記録から故意に省かれたため,あるいはその記録が破棄されたため,それらの出来事をどれか特定の王朝に当てはめることも,一般の歴史のだれか特定のファラオの治世に当てはめることもできません。イスラエル人の労働者によりピトムやラアムセスという都市が建てられたことに言及した箇所を根拠にして,圧制を行なったファラオはラムセス(ラメセス)2世(「第19王朝」のファラオ)ではなかろうかとよく言われています。(出 1:11)それらの都市はラムセス2世の治世中に建てられたとされています。メリル・ウンガーは「考古学と旧約聖書」(149ページ)の中でこう注解しています。「しかし,前任者たちの成し遂げた偉業を自分の功績とするラアムセス2世の悪名高い習慣に照らして見るとき,これらの場所は単に彼が再建した,あるいは拡張したに過ぎないと考えて,まず間違いない」。実際,「ラメセス」という名称は,すでにヨセフの時代には,ある地域全体を指して用いられていたように思われます。―創 47:11。

      [312ページの図版]

      すべてラムセス2世をたたえるために造られたアブ・シンベルの巨大な彫像

  • 出エジプト(エジプト脱出)
    聖書に対する洞察,第1巻
    • イスラエル人がラメセスから紅海へ進んだとおりの経路を今日,正確にたどることはできません。その記述の中で言及されている場所をはっきりと突き止めることができないからです。大抵の参考文献は,エジプトのデルタ地域のワディ・トゥミラートとして知られる所を横断したとする説を好んで挙げています。とはいえ,この経路はおもに,デルタ地帯の北東の隅のある場所をラメセスと同定する考え方に基づいています。しかし,エジプト学の教授ジョン・A・ウィルソンはこう述べています。「残念なことに,学者たちはラメセスの正確な位置に関して意見の一致を見ていない。ラムセスと名づけられたファラオたち,とりわけラムセス2世は,気前よく自分の名を町々に付けた。さらに,この都市に言及している参考文献がデルタの町々で発掘されてきたが,その場所であると本気で主張できる町はない」―「注釈者の聖書辞典」,G・バトリク編,1962年,第4巻,9ページ。

      様々な場所が提案されて一時有力視されましたが,その後,退けられて,別の可能性のほうが支持されてきました。地中海の沿岸都市ポート・サイドの56㌔南西にあるタニス(現在のサーン・エル・ハガル)の遺跡が有力と見られていますが,さらに20㌔ほど南のカンティールもやはり有力視されています。最初の遺跡タニスについて言えば,エジプトのあるテキストにタニスと(ペル・)ラメセスが同一ではなく,別々の場所として挙げられており,タニスで出土した資料の少なくとも一部は他の場所から来た証拠を示していると言えるかもしれません。したがって,ジョン・A・ウィルソンはさらに,「ラメセスという名の記されている碑文が,元々そこにあったという保証はない」と述べています。タニスとカンティールの両方に関しては,これらの場所で見つかったラムセス2世に関係する碑文は,単にそのファラオとの関連を示すものではあっても,どちらかの場所がモーセの誕生前にイスラエル人によって貯蔵所として建てられた,聖書のラアムセスであることを証明するものではないと言えるでしょう。(出 1:11)「ラアムセス,ラメセス」の項で示されているように,ラムセス2世がエジプト脱出当時のファラオであるという見方を支持する証拠はほとんどありません。

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