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    聖書に対する洞察,第2巻
    • 十の言葉(出 34:28),もしくは十のおきて,つまり十戒は律法の基本的な部分ですが,600ほどの他の律法と結び付いており,それらはすべて,イスラエル人に対して同等の効力と拘束力を持っていました。(ヤコ 2:10)十戒の最初の四つのおきては,人間の,神に対する関係を定めており,5番目のおきては神と親とに対する関係を,また後の五つのおきては仲間の者に対する関係を定めています。これら後の五つのおきては,仲間の者に加えられる害が大きいと思われるものから順に,すなわち殺人,姦淫,盗み,偽りの証言,および強欲つまり利己的な欲望の順に挙げられています。この10番目のおきては利己的な欲望を抱くことを禁じており,その点で,この律法は他のどの国民の法律とも異なる独特なものとなっています。そのおきては実際,神にしか施行できない禁止命令です。事実,それは他のすべてのおきての違犯の原因に触れるものでした。―出 20:2-17; 申 5:6-21。エフェ 5:5; コロ 3:5; ヤコ 1:14,15; ヨハ一 2:15-17と比較。

  • 十の言葉
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 第十のおきて(出 20:17)は強欲を禁じるという点で類例のないものでした。強欲とは,仲間の者に属する,妻をも含めた財産や所有物に対する間違った欲望のことです。人間の立法者でそのような法律を作った人はいません。実際,人間の力で可能な施行方法がないからです。一方,エホバはこの第十のおきてによって,人の心の隠れた考えすべてを見て知る方であるご自身に,各人が直接責任を負うようにされました。―サム一 16:7; 箴 21:2; エレ 17:10。

      これらの律法の別の挙げ方 上記の分け方が,出エジプト記 20章2-17節の十の言葉の分け方としては自然です。これは,西暦1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフス(ユダヤ古代誌,III,91,92 [v,5])が挙げているものや,同じく西暦1世紀のユダヤ人の哲学者であるフィロンが「デカローグ」(XII,51)で挙げているものと同じです。しかし,アウグスティヌスを含む他の人々は,異国の神々と像を禁じる二つの律法(出 20:3-6; 申 5:7-10)を一つのおきてにまとめ,それから,第十のおきてを埋め合わせるものとして出エジプト記 20章17節(申 5:21)を二つのおきてに分け,第九を人の妻を貪ることを禁じるおきて,第十を人の家などを貪ることを禁じるおきてとしました。アウグスティヌスは自分の理論上の分け方の根拠を,これより後の申命記 5章6-21節に十戒の並行記述として挙げられているものに求めました。その箇所の21節には二つの異なったヘブライ語(「あなたは……欲し[ヘ語ハーマドの変化形]てもならない。また,……利己的に慕い求め[ヘ語アーワーの変化形]てはならない」)が出て来ます。一方,前出の聖句,出エジプト記 20章17節ではただ一つの動詞(欲する)が2回出て来ます。

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