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神を見た人がいますかものみの塔 1988 | 5月15日
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出エジプト記 33章11節に述べられているように,モーセは,「顔と顔を向かい合わせて」神に語りかけた時,エホバと視覚による接触があったのではありません。その表現は,モーセが見たものを示唆しているのではなく,モーセが神と対話した方法を示唆しているのです。「顔と顔を向かい合わせて」神と話すということは,相互的な対話を示唆しており,人が相手を見なくても電話で他の人と会話できるのに似ています。
モーセが神と語り,神から様々な指図を受けた時,その対話は,他の預言者たちの場合によく行なわれたような,幻によるやり取りではありませんでした。そのことは民数記 12章6節から8節にこう述べられています。「さらにこう言われた。『どうか,わたしの言葉を聞くように。エホバのためのあなた方の預言者が出るとすれば,わたしは幻の中で自分をその者に知らせるであろう。夢の中でその者に語るであろう。わたしの僕モーセについてはそうではない! 彼はわたしの全家を託されている。わたしは口から口に語って彼に示し,なぞを用いたりはしない。そして,エホバの姿を彼は見る』」。どのような意味でモーセは「エホバの姿」を見たのでしょうか。
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神を見た人がいますかものみの塔 1988 | 5月15日
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実際にモーセが,神の個人的な代理であったみ使いと話をしたことは,使徒 7章38節でも示唆されており,「この人が,シナイ山で彼に話したみ使いやわたしたちの父祖と共に,荒野で会衆の中にいるようになった人で(す)」と述べられています。そのみ使いは,創造者なるエホバ神の個人的な代弁者でしたから,モーセに対し,あたかも神ご自身が話しておられるかのように話しました。
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