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読者からの質問ものみの塔 1982 | 10月15日
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キリストはここで,ダビデとそのもとにいた人々が,殺害を企てるサウル王のもとから逃れて,ノブの大祭司アヒメレクの所に行ったときの出来事に言及しておられました。ダビデは,自分が王から秘密の使命を受けていることをほのめかし,パンを求めました。アヒメレクはダビデに次のように答えました。「普通のパンはわたしの手元にありませんが,聖なるパンがあります。ただし,若者たちが少なくとも女子から遠ざかっているならばです」。アヒメレクが言ったのは供えのパン(つまり,供え物のパン)のことでした。供えのパンというのは,幕屋の聖所にある食卓の上に週ごとに置かれる種入れぬパンのことで,12個ありました。安息日が来るごとに新しいパンが供えられたので,古いパンは取り下げられて『アロンとその子らのものとなり』,彼らはそれを聖なる場所で食べました。ダビデは,自分と共にいる人々が儀式上清い立場にあることを説明しました。ダビデはさらに,これらの人々がエホバに油そそがれた王による使命を帯びており,ある意味で聖なる状態にあることをほのめかしました。そこでアヒメレクは「彼に聖なるもの……エホバの前から取り下げられた供えのパン」を与えました。―サムエル第一 21:1-6。レビ記 24:5-9。
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読者からの質問ものみの塔 1982 | 10月15日
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例えば,これは,ダビデやイエスの弟子たちが『生きるか死ぬか』の状況にあったという前提を受け入れているという想定の下に行なわれる推論です。では,彼らはそのような状況にあったでしょうか。ダビデや共にいた人々が他の食べ物を見付けることができず,餓死寸前の状態にあったとは,聖書は述べていません。事実,地理学の権威者たちによれば,ノブはオリーブ山のすぐ北に位置しており,エルサレムや他の幾つもの町からほんの数キロの所にありました。この記録をそのまま解釈すれば,基本的に言って,ダビデや共にいた人々は空腹を覚え,だれか信頼できる人から食べ物を得ようとしていたという結論になります。聖書は同様に,イエスの弟子たちが安息日に「飢えを覚え」,畑に残されていた穂を集めて穀物を食べたことを述べています。弟子たちはその前の日に食事をしたに違いありません。また,安息日の翌日には,近隣の村々で食べ物を買うことができました。(ヨハネ 4:8。マタイ 14:15)ですから,神の律法を破ってもよい場合があることの裏付けとしてこれらの事例を持ち出そうとする人は,『飢えを覚える』ときにはいつでもエホバの命令を破ってよいと言っていることにもなるでしょう。それが正しくないのは明らかです。
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読者からの質問ものみの塔 1982 | 10月15日
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供えのパンは祭司たちのものであると律法に述べられていますから,厳密な法解釈の上からは,『ダビデがそれを食べるのは許されない』ことでした。それでも,エホバの大祭司はそのパンをダビデに与えました。どのような根拠に基づいてそうしたのでしょうか。供えのパンの食卓から取り下げられたパンは「聖なるもの」ですから,一般の労働者に与えたり行楽先で食べたりなどして,普通のパンのように取り扱うべきではありませんでした。それは祭司,つまり神の奉仕に携わっている人々のための食物として用いられるべきでした。ですから,ダビデが神に油そそがれた王から与えられた特別の使命と思われるものを帯びた者として現われ,同行の人々も儀式上清いことを大祭司が確認したのであれば,供えのパンを分け与えるのは間違ったことではありませんでした。それは神が意図された基本的な使用目的にかなうものでした。
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