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考古学聖書に対する洞察,第1巻
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ナイル河畔のカルナック(古代テーベ)にあるエジプト人の広大な神殿の南壁には,列王第一 14章25,26節と歴代第二 12章1-9節に述べられているエジプト王シシャク(シェションク1世)のパレスチナにおける軍事行動を確証する碑文があります。シシャクの勝利を描いたその巨大な浮き彫りには,手かせをはめられた,パレスチナからの156人の囚人が描かれています。それら囚人は各々都市や村を表わしており,その名称が聖刻文字で記されています。それらの名称の中で同定できるのは,ラビト(ヨシュ 19:20),タアナク,ベト・シェアン,およびメギド(そこではシシャクの石柱,つまり碑文を刻んだ柱の一部が発掘されている)(ヨシュ 17:11),シュネム(ヨシュ 19:18),レホブ(ヨシュ 19:28),ハファライム(ヨシュ 19:19),ギベオン(ヨシュ 18:25),ベト・ホロン(ヨシュ 21:22),アヤロン(ヨシュ 21:24),ソコ(ヨシュ 15:35),アラド(ヨシュ 12:14)などです。シシャクは自分が攻略した場所の一つとして「アブラムの野」という地名さえ挙げています。これはエジプト人の記録の中でアブラハムに言及している最古のものです。また,ラムセス2世の子メルネプタハの記念碑もこの地域で見つかりました。その記念碑に含まれている賛歌には,古代エジプトのテキストに一度しか出ていないイスラエルという名前が出ています。
ラムセス2世の子メルネプタハがイスラエルを征服したことで悦に入っている様子を示した石碑。古代エジプトのテキストの中でイスラエルに言及していることで知られている唯一のテキスト
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エジプト,エジプト人聖書に対する洞察,第1巻
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シシャク(エジプトの記録ではシェションク1世として知られている)は,東部デルタ地帯のブバスティスに首都を持つ,リビア人のファラオの王朝(「第22王朝」)を創設していました。ソロモンの子レハベアムの治世の第5年(西暦前993年)に,シシャクは,リビア人やエチオピア人を含め,兵車や騎兵隊や歩兵から成る強力な軍勢を率いてユダに侵入しました。多くの都市を攻略し,エルサレムを脅かすことさえしました。エルサレムはエホバの憐れみによって荒廃を免れましたが,同市のばく大な富がシシャクの手に渡されました。(王一 14:25,26; 代二 12:2-9)カルナックの神殿の壁にある浮き彫りにはシシャクの遠征の様子が描写されており,イスラエルとユダの多くの都市の名称が攻略された都市として列挙されています。
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