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    聖書に対する洞察,第2巻
    • “羊の門” “羊の門”は大祭司エルヤシブと仲間の祭司たちによって再建されました。(ネヘ 3:1,32; 12:39)このことはその門が神殿域の近くにあったことを示唆しています。それがあった場所は恐らく第二地区の城壁のマナセによって築かれた部分で(下記「“魚の門”」を参照),市の北東の隅かその近辺であったと思われます。この門がそのように名付けられたのは,犠牲用の,または,もしかしたら付近の市場のための羊ややぎが,そこを通って連れて来られたためかもしれません。ヨハネ 5章2節で言及されている「羊門」は,恐らくこの“羊の門”か,それに相当する後代の門のことでしょう。なぜなら,その門は同じその近辺,つまりベツザタの池の近くにあったからです。

      “魚の門” ヒゼキヤは第二地区を囲む城壁の,“魚の門”までの部分を築いたようです。(代二 32:5; 33:14)再建と行列に関するネヘミヤの記述の中で,“魚の門”は“羊の門”の西に位置づけられており,テュロペオンの谷の北の端付近にあったのではないかと思われます。(ネヘ 3:3; 12:39)ゼパニヤ 1章10節では,この門が第二地区に関連して言及されています。その名称は,ティルス人が魚を売った魚市場の近くにこの門があったことによるのかもしれません。―ネヘ 13:16。

      “旧市の門” “旧市の門”は市の北西の,“魚の門”と“エフライムの門”の間にありました。(ネヘ 3:6; 12:39)ヘブライ語ではこの門はただ“旧の門”という呼び方をされており,「市」という言葉は一部の翻訳者たちによって加えられたものです。この名称はその門が旧市街の北の主要な入口であったことに由来しているのではないかと考えられています。それは“広い城壁”(旧市街の北の境界となっていた)と第二地区の西の城壁の南端との接合部にあったのかもしれません。この門はゼカリヤの述べた「“第一の門”」と同じものであると考える人たちもいます。ゼカリヤはどうやら市の東西の範囲に言及して,「[1]“ベニヤミンの門”から[2]“第一の門”のところまで,[3]“隅の門”に至るまで」と述べ,南北の範囲に言及して,「“ハナヌエルの塔”から王の搾りおけに至るまで」と述べているようです。(ゼカ 14:10)ほかにも“旧市の門”を,エレミヤ 39章3節で言及されている「“中央の門”」と結び付けようとする人たちもいます。この“旧市の門”を「“ミシュネーの門”」と呼んで,第二地区の西側の城壁に位置づける人たちもいます。

  • 門,門口
    聖書に対する洞察,第2巻
    • “馬の門” “馬の門”の上の方では祭司たちによって修復作業が行なわれましたが,このことはその位置が神殿の近くであったことを暗示しています。(ネヘ 3:28)“馬の門”は神殿と王宮の二つの部分の連絡の場を供していた門であると考える人たちもいます。その人たちはアタリヤの処刑に関する記述からこの結論に達しています。そこでは,兵士たちによって神殿の外に連れ出された際,『彼女は王の家の馬の門の入り口に来た』と伝えられています。(代二 23:15; 王二 11:16)しかし,これは恐らく単なる王宮の邸内への入り口のことで,馬が都市そのものに出入りする際に通った“馬の門”のことではないと思われます。ネヘミヤは再建に関する説明の中に“馬の門”を明確に含めており,この門が市の城壁にあった門であることを示しています。その門は多分,神殿域の南東に位置していたと思われます。(ネヘ 3:28; エレ 31:40)奉献式の行列に関する記述の中で“馬の門”は省かれていますが,これは二組の行列がそれぞれ“水の門”と“監視の門”のところで城壁を離れ,城壁の“馬の門”と“検分の門”がある,神殿の東側の部分は歩かなかったためと思われます。―ネヘ 12:37-40。

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