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天聖書に対する洞察,第2巻
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ですから,多くの聖句において,「天」は神ご自身とその主権者としての地位を表わしています。神の王座は天に,つまり霊の領域にあり,神はこの領域をも支配しておられます。(詩 103:19-21; 代二 20:6; マタ 23:22; 使徒 7:49)エホバはご自身の至上の地位,もしくは究極の地位から物質の天と地を事実上『見下ろして』おられ(詩 14:2; 102:19; 113:6),さらにはその高大な地位から話し,請願に答え,裁きを下されます。(王一 8:49; 詩 2:4-6; 76:8; マタ 3:17)ですから,ヒゼキヤとイザヤは重大な脅威に直面した時に「祈り続け,天に援助を叫び求めた」と記されています。(代二 32:20。代二 30:27と比較。)イエスも神を表わす語として天を用い,宗教指導者たちに,ヨハネのバプテスマは『天からのものか,人からのものか』とお尋ねになりました。(マタ 21:25。ヨハ 3:27と比較。)放とう息子は,自分自身の父に対しても「天に対して」も罪をおかしたと告白しました。(ルカ 15:18,21)ですから,「天の王国」とは,その王国が霊的な天を基盤とし,霊的な天から支配を行なうということだけでなく,それが「神の王国」であることをも意味しています。―ダニ 2:44; マタ 4:17; 21:43; テモ二 4:18。
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謙遜聖書に対する洞察,第1巻
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神の特質 エホバ神ご自身,ご自分の特質の中に謙遜さを有しておられます。これはエホバの側に何らかの劣った点や他の者に服従する部分があるためではありません。むしろ,エホバは,立場の低い罪人に憐れみと大きな同情を示す点で謙遜さを示されるのです。そもそも罪人と交渉を持たれ,人類の罪のためにご自分のみ子を犠牲として備えられたことは,エホバの謙遜さの表明です。エホバ神は,人類の父祖アダムが罪を犯したにもかかわらず,およそ6,000年間悪を許して,人類が生まれ出るようにされました。そのために,憐れみが過分のご親切を通してアダムの子孫に示され,永遠の命を得る機会が差し伸べられました。(ロマ 8:20,21)このすべては,神の他の優れた特質と並んで,その謙遜さを表わすものです。
ダビデ王は自分に対する神の過分の親切の中にこの特質を認め,それに感謝しました。エホバがダビデをそのすべての敵の手から救い出された後,ダビデは次のように歌いました。「あなたはその救いの盾をわたしに下さいます。あなたの謙遜さがわたしを大いなる者とします」。(サム二 22:36; 詩 18:35)エホバは大いなる尊厳のうちに最高の天の高められた場所に座しておられますが,それにもかかわらず,エホバに関しては次のように言うことができます。「だれがわたしたちの神エホバのようであろうか。神はその住まいを高くしておられる。神はご自分を低くして天と地をご覧になり,立場の低い者をまさしく塵の中から立ち上がらせておられる。神は貧しい者をまさしく灰溜めから高められる。これを高貴な者たちと共に,ご自分の民の高貴な者たちと共に座らせるためである」― 詩 113:5-8。
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