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高いところから注ぎ出された霊の活動ものみの塔 1977 | 2月1日
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6 霊的復活はどのように生じましたか。それを見守っていた諸国民は,自分の見たことに驚いて何と言いましたか。
6 この預言にたがわず,バビロンはユダヤ民族の墓ではなくなりました。霊的な復活が生じました。西暦前537年,流刑になっていた一団のイスラエル人とその従者たちは,奇跡でも起こったかのように,バビロンからさっさと出て行って,彼らの郷土であるユダの地に落ち着きました。そしてエルサレムとその神殿を再建することと,また長く荒廃していた彼らの郷土をパラダイスのようにすることに取りかかりました。西暦前607年に征服者のバビロニア人が荒廃させてしまっていた『良き田のため実りゆたかなぶどうの樹のため』に胸を打つ理由はもはやなくなりました。それは,聖霊が活動していることの明白なしるしではありませんか。それを見守る異教の諸国民は驚きに打たれました。詩篇 126篇2節は,『エホバかれらのために大いなることをなしたまへり』という彼らの言葉を伝えています。
7 この20世紀においては,詩篇 126篇2節の言葉はだれに関して言われたものですか。なぜですか。
7 これとまさに同じことがこの20世紀にも語られています。だれに関してですか。第一次大戦後パレスチナに定住し,1948年,イスラエル共和国設立のために「軍隊」をもって戦った生来のユダヤ人に関してではありません。詩篇 126篇2節の預言は,国際的に敵意と迫害を受けた聖書研究者たち,大戦後の1919年に大いなるバビロンの束縛から解放された人々に関して言われたものです。それら霊的イスラエル人であった復帰したクリスチャンたちの上に,上から霊が注がれました。そのことは聖書研究者たちに,西暦33年のペンテコステを思い起こさせました。もっともそれは,弟子たちの頭の上にとまって彼らが別の,学んだこともない異国語を奇跡的に語れるようにした,目に見える「火のような舌」は伴っていませんでした。―使徒 2:1-4。ヨエル 2:28,29。イザヤ 32:15。
8 戦後のどんな業のために霊的イスラエルの残りの者は保存されましたか。なぜ彼らは「エホバの証人」という名前を正しく取り上げることができましたか。
8 結果として,これら霊的に活気づいたクリスチャンたちはエホバへの奉仕においてかつてなく活発な者となりました。樹立された神の王国を全世界に証しし,証しし,証しすること,これが彼らの高鳴る叫びとなりました。それが今,彼らの生きる主要な目的ともなったのです。聖書によると,神がこれらの人々を第一次世界大戦後にまで生き長らえさせ,大いなるバビロンから解放したのは,このことが目的でした。(マタイ 24:9-14)そこで彼らは散らばっていた成員を再び集め,王国に関する世界的証言を終わりに至るまで遂行するために再組織しました。次いで1931年が来ました。それまでには彼らは,幾億枚の無料の冊子,幾千万冊の書籍,世界的な聖書講演運動,また幾百の放送局の連携によって,エホバの名とそのメシア王国に関して全世界的な証しを行なっていました。彼らはこのすべてを「憶病の霊」を持たずに行ないました。(テモテ第二 1:7)そこで今やこれら,エホバとキリストによるその王国の闘士たちは,イザヤ書 43章10節の言葉をその耳に響かせつつ,聖書に基づく,「エホバの証人」という名称を採用しました。
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高いところから注ぎ出された霊の活動ものみの塔 1977 | 2月1日
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10 全地にわたって「大群衆」をなす神を恐れる民も,自らは霊的イスラエルを構成する者ではないながら,この名を生き続けさせ,意義あるものとして保つことを決意しています。彼らは,エホバという名を持つ神がそのみ名のための民,すなわち霊的イスラエルの残りの者に対して行なった事柄に注目しました。どの人々の上に神の霊が注がれているかを看破しました。それで今日,「大群衆」を成す人々が,『もろもろの国民のなか』にあって,『エホバかれらのために大いなることをなしたまへり』と語る者たちとなっています。(詩 126:2)霊的イスラエルのごく少数の残りの者のためにそれほどの事を行なわれた神,「大群衆」はそのような神を崇拝し,それに仕えたいと願っています。国際的な敵意や迫害を恐れることなく,彼らもこの同じ神にキリストを通して献身し,エホバのクリスチャン証人の油そそがれた残りの者の側に立っています。彼らも,エホバの証し人としての責任を,恥じらうことなく引き受けました。―啓示 7:9-17。ゼカリヤ 8:23。
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