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ヤハ,エホバに依り頼めものみの塔 1988 | 1月15日
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1,2 イザヤ 26章1節から6節には,歓喜にあふれたどんな賛美の歌がありますか。なぜですか。
「圧制的な諸国民の町」が卑しめられる時には勝利の歌が必要です。(イザヤ 25:3)ですから,イザヤ 26章1節から6節の預言は適切にも,主権者なる主エホバへの歓喜にあふれた賛美の歌になっています。その歌は今もなお「ユダの地で」歌われています。ユダには「ほめたたえられた」という意味があります。ジェームズ王欽定訳の聖書はここでもやはり,神のみ名が2回繰り返される箇所で,「主エホバ」という表現を用いています。しかし,新世界訳聖書に出てくるその歌の歌詞は,それよりもずっと感動的です。その部分にも,神のみ名が出てくるほかのすべての箇所にも,み名が正確に訳出されているのです。
2 では,高らかな調子のその歌に耳を傾けてください。「わたしたちは強固な都市を持っている。神[エホバ]は城壁と塁壁のために救いを据えられる。あなた方は門を開けて,忠実な行ないを保っている義なる国民を入って来させよ。あなたは,しっかりと支えられた意向を,長く続く平和のうちに守られます。人はあなたに依り頼むようになるからです。あなた方はいつまでもエホバに依り頼め。ヤハ,エホバに,定めのない時に至る岩があるからだ。神は高みに住んでいる者たち,高められた町を低くされた。それを卑しめ,地に卑しめ,塵に触れさせる。足がそれを踏みつけるであろう。苦しむ者たちの足,立場の低い者たちの歩みが」。エホバに依り頼み,今この歌を歌うことに参加している人たち,すなわちエホバの証人として数えられるのは,何という喜びでしょう。
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ヤハ,エホバに依り頼めものみの塔 1988 | 1月15日
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4,5 (イ)「高められた町」とは何ですか。エホバの民は比喩的な仕方で,どのようにそれを踏みつけますか。(ロ)イザヤ 26章10節の預言が大規模な成就を見るのは,いつですか。なぜそう言えますか。(ハ)この預言には,ほかにどんな適用がありますか。
4 これからエホバが,「高められた町」,つまり「大いなるバビロン」を低くされるという警告を鳴り響かせるわたしたちは,地上の苦しむ者たちと立場の低い者たちが王国の良いたよりを受け入れるのを見て,勇気づけられます。(啓示 18:2,4,5)比喩的な意味で,彼らもその「高められた町」を踏みつけます。滅ぼす業にあずかることによってではなく,その腐敗した体制に臨むエホバの復しゅうの日を宣明する業の一端を担うことによってそうするのです。(イザヤ 61:1,2)エホバの証人はこれまで幾十年もの間,邪悪な人々にさえ親切を示してきました。命を救う王国の音信を携えてそのような人たちの家を訪問することによってそうしてきたのです。しかし,その結果はイザヤ 26章10節に記されているとおりでした。「邪悪な者は恵みを示されることがあっても,全く義を学びません。彼は正直の地で不正の行ないをし,エホバの卓逸性を[見]ません」。[英文新世界訳 see]。
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