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ききんにあえぐ幾百万という人々を養う「国民」ものみの塔 1985 | 10月15日
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3 今世紀において,イザヤ 27章4節に述べられている神の「激怒」を経験したのはだれですか。
3 すでに幾十年もの歳月が経過したとはいえ,第一次世界大戦中の年月に生じた特定の出来事の展開を大まかに調べてみるのはよいことです。当時エホバ神は,キリスト教世界の諸国民がその流血紛争に携わっていたので,彼らに対して「激怒」を感ずる正当な理由を持っておられました。(イザヤ 27:4と比較してください。)それら諸国民は,1914年に神の王国が,栄光を受けたみ子イエス・キリストの手中に与えられ,天に立てられた時,至高の神に自らの国家主権を譲り渡すのではなく,そのような紛争に携わったのです。それら諸国民は,献身的なクリスチャンである聖書研究者たちが,設立された王国を自由にふれ告げるのを故意に妨げ,霊的イスラエルの残りの者を迫害することにより,神の激怒に油を注ぎました。しかし,霊的イスラエルの残りの者の中には,実際には世の圧力に屈してしまい,この世の事物の体制から取り出された選ばれた民としての責任を果たさなかった人たちが大勢いました。彼らは当時,この世の紛争に対する厳正中立の問題を理解していなかったので,流血の罪を幾らか負うようになり,しばらくのあいだ神のある程度の「激怒」をも受けるに値しました。
4 神の「激怒」はクリスチャンである僕たちにどのような影響を与えましたか。わたしたちはこのことからどんな教訓を学べますか。
4 あなたがその当時生きていたとしたら,そのような戦時の圧力にどのように反応したと思いますか。そうした事柄を考慮しなければなりません。その点を考慮することによって,将来に生じる何らかの圧迫に面した時に自分がどうするかについて決意を固めることができるからです。当時は,王国をふれ告げる業を思いとどまり,じっと形勢をうかがうべき時であると思えたのかもしれません。多くの人は,早い時期に栄光を受け,即位されたイエス・キリストと共になることをただ待つべきであると感じ,そうした方向に傾いていました。(ルカ 22:28-30)しかし,エホバの「激怒」を幾らか受けたことはその時期の真のクリスチャンにとって効き目のある懲らしめだったので,実りのないものではありませんでした。その経験は,預言者イザヤがイザヤ 27章1節で「レビヤタン」と呼ぶ者に抵抗して,わたしたちの神の復しゅうの日をふれ告げる来たるべき業に備えて彼らを強めました。イザヤ 27章1節は次のとおりです。
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ききんにあえぐ幾百万という人々を養う「国民」ものみの塔 1985 | 10月15日
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6,7 (イ)現代において,何が「いばらの茂みと雑草」のようになりましたか。(ロ)その茂みと雑草に関し,わたしたちは将来に何を予期できますか。
6 1919年に霊的イスラエルの残りの者が王国を宣べ伝える業を熱心な態度で再開した時,それはエホバが次のように言われる時でした。
「わたしの抱く激怒はない。だれが戦闘でわたしにいばらの茂みと雑草を与えるであろうか。わたしはそのようなものを踏みつける。わたしはそれらに同時に火をつける」― イザヤ 27:4。
7 第一次世界大戦の終了後,キリストによる神の王国を退けるものとして国際連盟が設立されました。これを,エホバ神の通り道の障害物もしくは抑止物として置かれた「いばらの茂みと雑草」になぞらえることができます。今や国際連合機構が国際連盟に取って代わりました。国際連合のさまざまな加盟国は同連合を通して,ふれ告げられているキリストの王国に敵対する立場を堅持する決意と,自らの世界主権を維持するという目的を露呈します。神はハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」ですべての「いばらの茂みと雑草」を比喩的に踏みつけ,それらを粉々にして最後にはいわばそれに火をつけ,ただの灰に変えてしまいます。神はこのようにして,だれが真に宇宙主権者であるかを実証されます。あなたは第一次世界大戦前後の時期に油そそがれたクリスチャンの間で生活してはいなかったかもしれません。それでも今度は,イザヤ 27章1節に対応するさまざまな出来事の最終的な結果から,良かれ悪しかれ影響を受けることになります。―啓示 16:14-16; 17:1-18:4。
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