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耳が聞こえない聖書に対する洞察,第2巻
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詩編作者は,導きに聴き従うことを拒む邪悪な者を,蛇使いの声に対して自らを耳の聞こえないものとするコブラに例えています。(詩 58:3-5)同様に,イザヤの時代のイスラエル人は耳があったにもかかわらず,エホバの言葉を聴いて,それにこたえ応じるのに遅かったので,あたかも耳が聞こえないかのようでした。(イザ 42:18-20; 43:8)とはいえ,予告通り流刑状態から回復させられた後,神の民は霊的に耳の聞こえない者ではなくなりました。彼らはエホバの言葉を聞く,つまりそれに注意を払いました。(イザ 29:18; 35:5)イエス・キリストは地上におられた間,多くの理解の耳を開かれ,いやされた者たちが聞いたことに基づいて行動できるようにされました。―マタ 13:16,23。
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耳聖書に対する洞察,第2巻
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『目覚めさせられた耳』とは,注意深く聴こうとする耳のことです。(イザ 50:4)「[文字通りの]耳を持っているのに[霊的に]耳の聞こえない」者の一人であった人の耳が,そのようになるかもしれません。(イザ 43:8)聖書では,義にかなった人は神の言われることには耳を傾け,邪悪なことには耳をふさぐ人として描かれています。(イザ 33:15)同様に,ギリシャ語の「聴く」に相当する言葉も,『注意を払い,理解し,[それに]基づいて行動する』という意味を持つ場合があります。イエス・キリストが,『わたしの羊はわたしの声を聴きます』,また「よその者には決して付いて行かず,むしろその者からは逃げるのです。よその者たちの声を知らないからです」と言われたのはその例です。―ヨハ 10:27,5。
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