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その2ものみの塔 1964 | 6月1日
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31 (イ)イザヤ書 43章10節の正しい理解を述べなさい。(ロ)しかしご自身の独り子のために何をするとエホバは述べられていますか。
31 そこでイザヤ書 43章10節に話を戻すと,異邦人の国民はエホバより先に存在していませんでした。従って偶像崇拝の諸国民が造った神は,永遠から神であるエホバより先に存在していたのではありません。(詩 90:2)また4300年前のノア時代の洪水後に存在するようになった諸国民が,真実の預言をし得る実在の生ける神を造り出したこともありません。従ってエホバの後にも,エホバのような神はかつて存在したことがないのです。しかしキリスト前8世紀にしるされたイザヤ書 9章6節の預言によって,エホバはご自身のひとり子を「奇妙,また議士,また大能の神,とこしへのちち,平和の君」とするお目的を明らかにされました。(文語)エホバはイザヤの時代すなわちイザヤ書 43章10,11節のことばが述べられた時代に,この預言を成就させませんでした。ではイザヤ書 9章6,7節の預言はいつ成就しましたか。西暦1世紀にエホバはそのひとり子に対してこの事をされました。神のひとり子はイエス・キリストとなりました。
32 従ってエホバ神に関する私たちの結論は何ですか。
32 では主イエス・キリストの父であるエホバのような神がありますか。そのような神はひとつもないことを,私たちは証言できます。真実の預言をし得る全能の神としてエホバは始めであり終りであって,天にも地にもエホバのような神を造り得る被造物はありません。また自分を神にしてエホバにくらべることのできるものもいません。この事は今日に至るまで真実です。イザヤ書 44章6,7節は次のように述べています。「エホバ イスラエルの王イスラエルをあがなふもの万軍のエホバかくいひたまふ,われは始なりわれは終なり,われの外に神あることなし 我いにしへの民をまうけしより以来たれか我の如く後事を示し又つげ又わが前にいひつらねんや,試みに成らんとすること来らんとすることを告げよ」。
33 (イ)神であることについてのエホバの挑戦に答え得た神がありましたか。(ロ)従って私たち各人は何になることを決意すべきですか。
33 今にいたるまで世の諸国家の神々はこの挑戦に答えていません。神であることの証拠を与えて,証人を出すことのできた神はありません。しかしそれとは反対に,挑戦の主エホバは,その神なることを証明する証拠をご自身の代表者たちにお与えになりました。聖書によっても,歴史に記録された事実を見ても,エホバが神であることを証明する証拠は私たちの前にあります。あなたが無神論者でもなく不可知論者でもなくて,キリスト教国の内外を問わず,何かの宗教を実践しているならば,あなたにお尋ねすることがあります。あなたはいずれの神の証者ですか。世界中の他の人々が何と答えても,主イエス・キリストにならう追随者となった私たちは次のように答えます。私たちはエホバのクリスチャン証者です!
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子供も一緒に聖書を学ぶものみの塔 1964 | 7月1日
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子供も一緒に聖書を学ぶ
◆ アメリカ,インディアナ州のあるエホバの証者は,姉と妹の二人と聖書の研究をしていますが,その研究がどのように始まったかを次のように話しています。「約15年前,一人のエホバの証者は,二人の若い娘を持つ婦人と聖書の研究を始めました。娘たちも加わり,研究は1年半ほど続きましたが,その後中断しました。ご主人が亡くなり,婦人がかわって家族を養わねばならなくなったからです。忙しい生活が始まり,神の言葉に対する婦人の関心は次第にうすれてゆきました。研究はその後再開されませんでした。しかし,いったんまかれた真理の種は家族の心の奥にはいり,母親は決して娘たちを偽りの宗教に入れませんでした。時に娘たちは,友だちにさそわれて教会に行くこともありましたが,説教に嫌悪をさえ感じて帰ることがすくなくありませんでした。その後,娘たちはそれぞれ結婚しましたが,結婚後は二人とも一度も教会に行きませんでした。この二人は会うごとに,よく聖書の真理について話し,ついにエホバの証者をさがして聖書を勉強することに決めました。15年もたっていたのに,二人は母親が一緒に勉強していたエホバの証者の名前を忘れず,その証者に電話をかけました。その後,私がたずねることになり,研究が始まりました。今二人は,機会が許すごとに偶然の証言をし,母親には,再び勉強を始めて,自分たちの得た喜びと満足を知るようにすすめています」。
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