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メシアは苦しみに遭い,死ぬことになっていたのか目ざめよ! 1983 | 6月22日
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「彼はさげすまれ,人々に疎まれた。痛みの人で,病気をよく知っていた。そして,わたしたちから自分の顔を隠した人のように彼はさげすまれ,わたしたちは彼を重んじなかった。しかし,彼は自らわたしたちの病気だけを負い,わたしたちの痛みを担ったのである。……それでも,彼はわたしたちの違犯のために傷つけられ,わたしたちの罪悪のために砕かれた。わたしたちの平安のために懲罰が彼に臨み,その打ち傷によってわたしたちにいやしが授けられた。……主はわたしたちすべての罪科を彼の上に臨ませた。……彼が命の地から断たれ,わたしの民の違犯のために災厄が彼の上に置かれたことを,だれが告げられるであろうか。……彼の魂が罪過の捧げ物をもたらした[「そのものを賠償としてささげる」,ユダヤ出版協会訳]この時になって,彼は自分の胤を見,多くの日々生き,主の喜びが彼の手で栄える。その魂の難儀から解かれ,彼は良いことを見,満ち足りるであろう。わたしの義なる僕は自分の知識によって,多くの人々を義に導き,彼らの罪悪を負うのである。ゆえに,わたしは多くの者と共に彼に受け分を分かち,彼は強い者と共に分捕り物を分かつであろう。自分の魂を死に至るまで注ぎ出したからである。……一方,彼は多くの人の罪を負い,違犯をおかす者たちのために悪を自分に臨ませた」。
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メシアは苦しみに遭い,死ぬことになっていたのか目ざめよ! 1983 | 6月22日
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矛盾の解き明かし
しかし,メシアが他の人々の罪を贖うために苦しみに遭って死ぬのであれば,どうしてメシアは王として支配できるのでしょうか。イザヤもその点について預言しました。イザヤ自身メシアについて,「彼の魂が罪過の捧げ物をもたらしたこの時になって,彼は……多くの日々生き」,「彼は強い者と共に分捕り物を分かつであろう。自分の魂を死に至るまで注ぎ出したからである」と述べた時,一見矛盾と思われるこの点に触れていました。一見すると矛盾と思われるこのようなことは実際にどのようにして起こり得るのでしょうか。「自分の魂を死に至るまで注ぎ出し」た後に,人が「多くの日々生き」ることが一体どのようにして可能なのでしょうか。
神の別の僕もかつて尋ねましたが,「もし人が死ねば,また生きられるでしょうか」。(ヨブ 14:14)ヘブライ語聖書はそれに対して,はっきりした肯定の答えを出しています。そこには,神の預言者たちが死者を生き返らせた事例が記されているだけではなく,「地の塵の中に眠る者たちの多くが目を覚ます」時についても述べられています。―ダニエル 12:2。列王第一 17:17-24; 列王第二 4:32-37; 13:20,21と比較してください。
ですから,神のみ言葉が成就されるには,メシアもやはり生き返らされる,つまり復活させられなければなりません。そうして初めて,メシアは王として支配し,人類にさらに祝福をもたらすことができるようになるのです。ですから,「汝はわが魂を墓に捨て置くことなし」というダビデの言葉は,適切にもメシアに当てはまるのです。―詩編 16:10,リーサー訳。
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