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人類の健康状態 どのようなものになり得たかものみの塔 1981 | 2月15日
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20 (イ)イスラエルの反乱や違犯や罪は容易に見られるものでしたか。(ロ)それゆえ,そうした状況の下で,公正や義や真理はどうなりましたか。
20 「わたしたちは皆,熊のようにうめき,鳩のように悲しげにくーくーと鳴き続ける。わたしたちは公正を待ち望んだが,皆無であった。救いを待ち望んだが,それはわたしたちから遠く離れたままとどまった。わたしたちの反乱はあなたの御前で多くなり,わたしたちの罪は,各々わたしたちに不利な証言をしたからです。わたしたちの反乱はわたしたちと共にあるからです。わたしたちの咎については,わたしたちはよく知っています。違犯が犯され,エホバが無視された。またわたしたちの神から後退して行き,虐げと反乱が語られ,実に心から偽りの言葉が宿され,つぶやかれた。こうして,公正は後ろに追いやられ,義は,はるか遠くに立ち続けた。真理は公共広場においてさえつまずき,誠直なことは入ることができないからである。そして,真理は欠けてなく,悪から去って行く者は略奪されて行く」― イザヤ 59:9-15,新。ローマ 3:15-18。
21 イザヤの時代のイスラエルのそうした描写は今日のどんなことにぴったり符合しますか。どうしていれば人類はより良い見込みを持つことができたかもしれませんか。
21 古代のその描写は今日のキリスト教世界の状態とぴったり符合するではありませんか。1918年に第一次世界大戦が終結して以来,激しい迫害にもかかわらず,エホバの証人は世界の舞台で非常に目立った存在となりました。もし栄光を受けたキリストの手中にあるエホバの王国の音信を,不公正と世界中のエホバの証人に対する迫害によって退ける代わりに,それに好意的に聴き従っていたならどうなっていたでしょうか。人類の健康状態,そしてとりわけキリスト教世界の健康状態は,今までにあらゆる面ではるかに良いものになっていたことでしょう。人類にはどんなにか明るい見通しがあったことでしょう。
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救助に来られる「万軍のエホバ」!ものみの塔 1981 | 2月15日
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2 イザヤ書 59章15節後半によると,その勝利の戦士はだれですか。
2 預言者イザヤは次のように語って,その勝利の戦士がだれであるかを霊感の下に明らかにしています。「そしてエホバはご覧になったが,公正がないのはその目には悪いことであった」― イザヤ 59:15後半,新。
3 比ゆ的に言うと,王としてのエホバにとってこの地球は何ですか。それでも神はこの地球上で生じる事柄に関心を示されましたか。
3 このごろ大抵の人々は,天と地の創造者が人間の事柄を注意深く見守っているということを考慮に入れません。では,創造者がそうしてはならない理由があるでしょうか。預言者イザヤが書き記した最後の事柄の一つに次のような言葉があります。「エホバの言われたことはこうである。『天はわたしの王座,地はわたしの足台である』」。(イザヤ 66:1,新)それでは,全創造物の上に君臨されるこの王が,その地的な足台とそこで生ずる事柄に関心を持たれるのは当然ではないでしょうか。この王はご自分が関心を持っていることを示されました。どのようにですか。
4 エホバは神を恐れたノアの時代に,ご自分の足台に生じていた事柄にどのように関心を示されましたか。
4 天空の高い所に,この地球全体を取り巻くように懸けられ,太陽や月や星からの直接の光をさえぎっていた膨大な水の天蓋が今日存在していないのは,エホバがその地球という足台の上で生じていることをご覧になり行動を取られたからです。神はご自分の足を洗うためではなく,全人類の間の悪い状態を一掃するために,ご自分の足台の上にその懸けられていた水を高い所から降らせて洪水を起こされました。このことについての霊感を受けた記録はこう述べています。「エホバは,人の悪が地にあふれ,その心の考えのすべての傾向が終始ただ悪に向かうのをご覧になった。……それでエホバはこう言われた。『わたしは,自分が創造した人を地の表からぬぐい去ろう。……』。しかし,ノアはエホバの目に恵みを得た」。(創世 6:5-8,新)わたしたちすべては,神を恐れたこのノアに恩義があります。なぜならノアとその家族,つまり合計八つの人間の魂がエホバの命令によって箱船を建造し,その中に入って世界的な洪水を無事に通過し,そのようにしてわたしたちは彼らの子孫となることができたからです。
5 (イ)ソドムとゴモラの滅びは,エホバの側のどんな関心を表わすものですか。(ロ)この滅びと大洪水は何を例証するために用いられていますか。
5 後日ソドムとゴモラで生じた出来事は世界的に知られています。中東のそれら不道徳で堕落した都市の滅びは,エホバがその足台の上の人間の事柄に関心を持っておられることを示すものです。(創世 18:20,21)義にかなったロトとその二人の娘たちは,ソドムとゴモラを灰に帰せしめた火の雨から救出されました。なぜなら,彼らはソドムに住んではいましたが,ロトは「無法な人びとの放縦な不品行に大いに苦し(み)」,それゆえに「自分の義なる魂に堪えがたい苦痛を味わっていた」からです。(ペテロ第二 2:6-8)この点で興味深いのは,ソドムとゴモラの火による滅びと古い世の大洪水による滅びが,現在の世界的事物の体制の激しい終わりに,ある面でなぞらえられていることです。―ルカ 17:26-37。マタイ 24:36-39。
6 エホバの目の動きと,その観察力を見くびるべきではないのはなぜですか。
6 現代のソドム人たち,そうです,他のあらゆる階層の人びとは,次の聖句が述べている事柄を見くびる時,自ら盲目になっているのです。「エホバに関しては,その目はあまねく全地を行き巡り,ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わしてくださるのです」。またこのようにも述べられています。「エホバの目はあらゆる所にあって,悪い者と善い者とを見張っている」。(歴代下 16:9; 箴 15:3,新)善悪を見分ける神の能力ゆえにイスラエルに次のように言うこともできました。「万軍のエホバがわたしたちに胤を残されなかったなら,わたしたちはソドムのようになり,またゴモラのようにされていたであろう」― ローマ 9:29。イザヤ 1:9。
7 今日だれにも,何をする能力のないことが驚きの理由となっていますか。エホバの証人はなぜそのような仕事を買って出ませんか。
7 イザヤの時代に,エホバがエルサレムを首都とするユダの王国をご覧になった際,その王国についてのどんな事柄が神の目に悪く映ったのですか。次に述べるすべての事柄です。「真理は欠けてなく,悪から去って行く者は略奪されて行く。そしてエホバはご覧になったが,公正がないのはその目に悪いことであった。そして,だれもいないのをご覧になると,仲裁をなす者がだれもいないことにご自身非常な驚きを示され始めた」。(イザヤ 59:15,16前半,新)悲しいことに,当時必要とされていた事柄に対応できる人は「だれも」おらず,仲裁をして偽りや不公平や不正を終わらせることはだれにもできませんでした。問題を正してもらうため事件が持ち出された「公共広場」にもいなかったのです。(イザヤ 59:14,新)今日でも,神の律法が無視され,そうした律法の違反が増えていることは人を驚かせるものですが,キリスト教世界が今まで1,650年以上も存在してきたことを考えると,なおさらそう言えます。エホバの証人は物事を正す使命を受けてはいません。彼らが仲裁して物事を正すことを望んだとしても,そうすることはできませんでした。それではどうなるのでしょうか。
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