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神の象徴的な女の訴えは勝つものみの塔 1965 | 9月15日
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16 (イ)バビロンの門はどうなりますか。(ロ)人々の労苦はどのように空しくなり,人々はつかれはてますか。(エレミヤ 51:58)
16 バビロンは多くの国々の民を使役して,その城壁と寺院を建てました。しかし今やその労苦は無駄に終わります。彼らの建てたものは火で焼かれました。バビロンの再建をはかり,またそれを永続させようとする者は,つかれはてるだけに終わるでしょう。門の木は焼かれ,銅は消え失せます。外城壁はクロスによって破壊されたかも知れません。そしてダリヨスは石垣を更にくずしたことでしょう。しかしいずれにしてもやがて城壁は考古学者の発掘が示すような廃墟となりました。―エレミヤ 51:58。
現代のバビロンの倒壊を示すもの
17 (イ)バビロンに関するエレミヤの預言の巻き物は,どうされましたか。(ロ)バビロンをおとずれたセラヤは,イスラエル人をどのように慰めることができましたか。
17 いま研究しているエレミヤの預言に関しては,ゼデキア王の治世の時,次のような事がありました。それは75年後に起きたバビロンの倒壊をよく表わしています。エレミヤの預言の50章2節から51章58節はエレミヤの手で書かれました。明らかにエレミヤの書記バルクの兄弟であった,王の侍従長セラヤは,この書きものをバビロンに携えて行き,そこで大声に読むことをエレミヤから命ぜられました。そして読んだならば,それに石をくくりつけてユフラテ河に投げ込み,次のように言うのです。「バビロンは我これにわざはひをくだすによりて是しづみて復おこらざるべし彼らは絶はてん」。(エレミヤ 51:61-64)この霊感の書き物を大声に読んでのち,セラヤはこの巻きものに書きしるされた言葉を語った者として,エホバに語りかけることになっていました。従ってセラヤは,エホバのほかにだれも聞いていない時,ユフラテ河の岸辺でこの巻きものを読んだようです。バビロニア人の聞いているところでそれを読むのは,危険なことであったに違いありません。それでもセラヤは読んだことの大部分を記憶し,エレミヤの預言が与える希望を告げて,とらわれのイスラエル人を慰めたことでしょう。
18 大いなるバビロンが倒れることは,セラヤのどんな行いによって示されていますか。
18 このようにしてエホバの女は訴えに勝ち,宇宙の至上のさばき主である彼女の夫は全き公正をもって判決を下し,さばきを執行しました。これは今日,正義を愛し,偽りの宗教の大帝国に対して正義のさばきが執行されることを願う人々のために,一つの良い例あるいは型となっています。偽りの宗教の世界帝国は地に流された多くの血に対し,またとくに神に敵し,神の国の宣明者に敵対したことに対して,大きな責任を持っているからです。黙示録 18章20,21節の言葉は,これが一つの型であったことを示しています。「『天よ,聖徒たちよ,使徒たちよ,預言者たちよ。この都について大いに喜べ。神は,あなたがたのために,この都をさばかれたのである』。すると,ひとりの力強い御使が,大きなひきうすのような石を持ちあげ,それを海に投げ込んで言った,『大いなる都バビロンは,このように激しく打ち倒され,そして,全く姿を消してしまう』」。
19 (イ)バビロンに関する黙示録の預言が,文字通りの古代バビロンに適用されないのはなぜですか。(ロ)バビロンに関する聖書の預言を更に検討することは,なぜ有益ですか。
19 この預言が,メソポタミアにある文字通りのバビロンの都にあてはまらないことは明らかです。バビロンはこの預言の600年前に倒れて世界強国の座から落ちていたからです。また将来の事を告げた黙示録の預言が完全に成就するまでに,文字通りのバビロンはすでに何千年も完全な荒廃のちりの下に埋もれていることでしょう。それでいっそう大きな成就があるものと考えなければなりませんゆえにバビロンに関する聖書の預言を更にしらべるのは有益なことです。それは20世紀に住む私たちの眼前に起きている世界の重要な出来事の意味を理解するのに役立ちます。
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「立派な礼拝式」だが神のことばが必要ものみの塔 1965 | 12月1日
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「立派な礼拝式」だが神のことばが必要
● 福音合同ブレスレン教会出版の「教会と家庭」誌宛の手紙が同誌1964年7月1日号に出ました。その手紙はこう述べています。「私たちの教会の多くの指導者と信者のある者は信者数の減少に対する解決策としてメソジスト教会との合同を考えているようです。死んでいる教会二つを合併しても互いに助けにはならず,ただ埋葬のためにより大きな墓を必要とするだけです。私たちにはいま以上の計画も,委員会も,晩さん会も必要ではありません……私たちすべては神のことばの研究をもっと必要としています……教会の礼拝式はいずれも立派ですが,葬式も同じように立派です」。
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