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あなたも新しい契約から益を得られますわたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
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5 エホバが新しい契約について予告なさったのはなぜですか。
5 こうした点を考えると,律法契約がまだ有効であった時に神がエレミヤに別の契約すなわち新しい契約について預言させた理由が分かります。エホバは愛と親切の気持ちから,一つの国民だけでなく,もっと多くの人々に恒久的な助けを差し伸べたいと思われました。この将来の契約に入る人々について,エレミヤを通してこう述べておられます。「わたしは彼らのとがを許し,彼らの罪をもはや思い出さない」。(エレ 31:34)これはエレミヤの時代になされた約束ですが,全人類のための素晴らしい見込みを提示しています。どのような見込みでしょうか。
6,7 (イ)自分の罪深さについて,どのように感じる人がいますか。(ロ)新しい契約について調べると励みが得られるのはなぜですか。
6 わたしたちは依然として不完全であり,その現実をしばしば思い知らされます。例えば,深刻な個人的問題と闘っていた一人の兄弟はこう述べています。「またその行為をしてしまうと,すごくいやな気持ちになりました。自分のしたことの償いなどできないと思い,祈ることも難しく感じました。祈り始めるときはいつも,『エホバ,この祈りを聞いていただけるかどうか分かりませんが……』と言いました」。悪い行ないに逆戻りした人や罪を犯した人は,祈りが「雲塊」に阻まれて神に届かないように感じるかもしれません。(哀 3:44)何年も前の悪行の記憶に悩まされている人もいます。模範的なクリスチャンであっても,後悔するようなことを言ってしまうことがあります。―ヤコ 3:5-10。
7 自分は大丈夫,ふさわしくない行ないをすることなどあり得ない,と言い切れる人はいません。(コリ一 10:12)使徒パウロも,自分が過ちを犯すことを認めています。(ローマ 7:21-25を読む。)それゆえに,新しい契約が思い浮かびます。神の約束によると,新しい契約の主要な一面は,神が罪をもはや思い出されないということです。まさに比類のない益です。このことを予告したエレミヤは,深く感動したに違いありません。わたしたちも,新しい契約について詳しく学び,この契約からどのように益を得られるかを知ると,感動を覚えます。
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あなたも新しい契約から益を得られますわたしたちに対する神の言葉 ― エレミヤを通して
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8,9 エホバは,罪の許しを可能にするために,どんな犠牲を払われましたか。
8 エホバを知れば知るほど,エホバが不完全な人間に対していかに親切で憐れみ深いかがよく分かります。(詩 103:13,14)エレミヤは新しい契約について予告した際,エホバが「彼らのとがを許し」,罪をもはや思い出されない,という点を強調しました。(エレ 31:34)神はどのようにしてその許しを成し遂げられるのだろう,とエレミヤは思ったかもしれません。神が新しい契約に言及されたので,エレミヤは,神と人との間に合意つまり約定が設けられるということは理解できたでしょう。エホバはその契約によって,許しを含め,霊感のもとにエレミヤに略述させた事柄を成し遂げられるのです。メシアが何を行なうかなど,詳細な点は,神の目的のいっそうの啓示を待たなければなりませんでした。
9 あなたは,子どもを懲らしめずに甘やかしている親を見たことがあるでしょう。エホバは決してそのような方ではありません。その点は,新しい契約が有効にされた方法から分かります。神は単に罪を帳消しにするのではなく,罪を許すための法的な基盤を据えることによって,ご自分の公正の規準をきちんと満たされました。自ら多大の犠牲を払ってそうされたのです。そのことは,新しい契約についてパウロが論じた時に述べた事柄を読むと理解できます。(ヘブライ 9:15,22,28を読む。)パウロは『贖いによる釈放』に言及し,「血が注ぎ出されなければ,許しはなされない」と述べています。新しい契約の場合,血と言っても,律法下でささげられたような雄牛ややぎの血のことではありません。新しい契約は,イエスの血によって発効しました。エホバはこの完全な犠牲に基づいて,永久に『とがと罪を許す』ことができます。(使徒 2:38; 3:19)では,だれがこの新しい契約に入り,そのような許しを得るのでしょうか。ユダヤ国民ではありません。イエスによれば,神は,律法下で動物の犠牲をささげていたユダヤ人を退け,別の国民に注意を向けられます。(マタ 21:43。使徒 3:13-15)その国民とは,聖霊で油そそがれたクリスチャンから成る「神のイスラエル」である,ということが明らかになりました。基本的に言って,律法契約が神と生来のイスラエルとの間の契約であったのに対し,新しい契約は,イエスを仲介者としてエホバ神と霊的イスラエルとの間で結ばれる契約です。―ガラ 6:16。ロマ 9:6。
10 (イ)ダビデの「新芽」とはだれですか。(ロ)人はどのように「新芽」から益を得ることができますか。
10 エレミヤは,来たるべき方メシアをダビデの「新芽」と描写しています。この描写は適切です。エレミヤの預言者としての奉仕期間中に,ダビデの王統という木は切り倒されました。しかし,切り株は死んでおらず,やがてダビデ王の家系にイエスが誕生しました。イエスは,「エホバはわたしたちの義」という名でも呼ばれます。この名は,義という特質に対する神の深い関心を際立たせています。(エレミヤ 23:5,6を読む。)エホバは,独り子が地上で苦しみを経験して死ぬのを許されました。そうすることにより,公正に則して,ダビデの「新芽」の贖いの犠牲の価値を許しの基盤としてお用いになることができました。(エレ 33:15)こうして,『命のために義と』宣せられて聖霊で油そそがれる道が一部の人たちに開かれました。彼らは新しい契約の当事者になるのです。義に対する神の関心は,別の点にも示されています。後ほど考えますが,この契約に直接関与していない人々も契約から益を得ることができ,実際に益を得ています。―ロマ 5:18。
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