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ネブカドネザル,ネブカドレザル聖書に対する洞察,第2巻
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その後しばらくして,ゼデキヤはネブカドネザルに反逆し,軍事的な保護を求めてエジプトと同盟しました。(エゼ 17:15。エレ 27:11-14と比較。)その結果,バビロニア人はエルサレムに戻り,ゼデキヤの治世の第9年,テベト(12-1月)の10日にネブカドネザルはエルサレムを攻囲しました。(王二 24:20; 25:1; 代二 36:13)しかし,ファラオの軍勢がエジプトから出て来ているという知らせを聞いたバビロニア人は一時的に包囲を解きました。(エレ 37:5)その後,ファラオの部隊はエジプトに引き返さざるを得なくなり,バビロニア人はエルサレムの包囲を再開しました。(エレ 37:7-10)ついに西暦前607年,ゼデキヤの治世の第11年(即位年から数えるならネブカドネザルの第19年,または第18在位年)のタンムズ(6-7月)の9日に,エルサレムの城壁に突破口が作られました。ゼデキヤとその部下は逃げましたが,エリコの砂漠平原で追いつかれました。ネブカドネザルは「ハマトの地の」リブラに退いていたので,ゼデキヤはリブラにいたネブカドネザルの前に連れて行かれました。ネブカドネザルはゼデキヤの息子たちを全員打ち殺させ,次いでゼデキヤを盲目にし,捕らわれ人としてバビロンに連れて行くために彼を縛りました。神殿とエルサレムの家々を焼き,神殿の器具類を処分し,とりこを連れて行くことなど,征服後の仕事は護衛の長のネブザラダンによって処理されました。ネブカドネザルにより任命されたゲダリヤは総督を務め,とりことして連れ去られなかった者たちを治めました。―王二 25:1-22; 代二 36:17-20; エレ 52:1-27,29。
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ネブザラダン聖書に対する洞察,第2巻
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ネブザラダン
(Nebuzaradan)[「ネボは子孫を与えてくれた」を意味するバビロニア語に由来]
護衛の長であり,西暦前607年にエルサレムが実際に滅びた時,ネブカドネザルの軍勢において主要な役割を果たしていた人。エルサレムが最初に攻囲され突破された時にネブザラダンはその場にいなかったようです。というのは,彼が「エルサレムに来た」のは,その1か月ほど後,すなわちゼデキヤ王がネブカドネザルのところに連れて行かれ,盲目にされた後のことだからです。―王二 25:2-8; エレ 39:2,3; 52:6-11。
ネブザラダンは都市の外側からバビロニア人による都市破壊作戦を指揮しました。この作戦は「その月の七日」(第五の月,アブ)に始まり,これには神殿の財宝の略奪や,城壁の破壊,とりこの処置,立場の低い者たちの一部を残すといったことが含まれました。(王二 25:8-20; エレ 39:8-10; 43:5,6; 52:12-26)3日後,すなわちその月の10日に,ネブザラダンは「エルサレムに入って来た」(「エルサレムに入った」,改標,エルサレム)ようです。そして,検分したのちエホバの家に火を放ち,都市を灰じんに帰させました。(エレ 52:12,13)ヨセフスは,ヘロデの再建した神殿が西暦70年に焼き払われたのもソロモンの神殿が焼かれたのとまさに同じ日,すなわち第五の月の10日であったと述べています。―ユダヤ戦記,VI,250(iv,5); VI,268(iv,8)。「アブ」を参照。
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