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ベト・エデン聖書に対する洞察,第2巻
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ベト・エデン
(Beth-eden)[エデンの家]
シリアの都市または地域。アモス 1章5節にある,ダマスカスに対する預言者アモスの音信の中で言及されています。現在では一般に,アッシリアの碑文に出て来るビート・アディニ,すなわちユーフラテス川とバリーク川の間に位置する地域と結び付けられています。しかし,こうした同定を認めることができるのは,この預言の中の「ダマスカス」がアラム人(シリア人)の王国全般を表わすと解釈した場合だけです。というのは,ビート・アディニという王国はダマスカスの北約480㌔の所にあったからです。確かに,ダマスカスはイザヤ 7章8節では「シリアの頭」と呼ばれています。
「シリアの民はキルの地に流刑にされる」というアモスの予言(多分,西暦前804年ごろ)は,アッシリアの帝王ティグラト・ピレセル3世の時代,つまりアハズ王の治世中(西暦前761-746年)に成就したようです。―王二 16:9。
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ビクアト・アベン聖書に対する洞察,第2巻
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ビクアト・アベン
(Bikath-aven)[有害なこと(有害なもの)の谷あいの平原]
エホバがアモスを通して語られた,シリアの民の流刑を予告する預言の中で,ダマスカスやベト・エデンと関連づけられている場所,あるいは谷あいの平原。(アモ 1:5)この名前で呼ばれているシリアの都市や町に関する記録が一切ないため,ビクアト・アベンを,レバノン山脈とアンティ・レバノン山脈の間にあるベカー渓谷と結び付ける学者もいます。ビクアト・アベンの住民が予言通り断ち滅ぼされることは,アッシリアの王ティグラト・ピレセル3世がシリアを征服した結果生じたものと思われます。―王二 16:9,10。
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捕囚聖書に対する洞察,第2巻
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攻め取った町の全住民を追い立てて,その故国から立ち退かせ,その代わりに帝国の他の場所からの捕虜をその地域に住み着かせる政策を初めて導入したのはアッシリアだったようです。アッシリアのこの強制移住政策は単にユダヤ人に対してのみ実施されたのではありません。というのは,シリアの首都ダマスカスがこの第二世界強国の決定的な猛攻撃を受けて陥落した時,預言者アモスが予告していた通り,その民はキルに追放されたからです。(王二 16:8,9; アモ 1:5)この慣行には二重の効果がありました。すなわち,残された少数の者たちに破壊活動を思いとどまらせましたし,また周りの国々の民は捕虜として連れ去られた者たちと親しかったとしても,遠い所から連れて来られた新たな異国の分子を援助したいとは余り考えなかったことでしょう。
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ダマスカス聖書に対する洞察,第2巻
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ダマスカスに対するエホバの裁き しかし,それから1世紀後,ダマスカスは再び「シリアの頭」の地位に戻っていたことが示されています。(イザ 7:8)ユダのアハズ王の治世中(西暦前761-746年)に,ダマスカスのレツィンはイスラエルのペカハと同盟してユダをじゅうりんし,アカバ湾岸のエラトに達しました。アハズ王はこれに大変恐れをなし,アッシリアのティグラト・ピレセル3世にわいろを送って,シリアの圧迫をユダからそらせてくれるよう頼みました。アッシリア人は敏速にダマスカスを攻めてこれを奪い,レツィンを殺し,ダマスカス人の多くを流刑にしました。(王二 16:5-9; 代二 28:5,16)それにより,エホバがイザヤとアモスを通して語られた預言は成就しました。(イザ 8:4; 10:5,8,9; アモ 1:3-5)それでもアハズは,ティグラト・ピレセルに会うために(そして,恐らく恭敬のために)ダマスカスへ行った際,無分別にも自分がそこで見たダマスカスの偽りの崇拝用の祭壇の模造品を造らせ,後にその祭壇の上で「ダマスカスの神々」に犠牲をささげました。―王二 16:10-13; 代二 28:23。
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エデン聖書に対する洞察,第1巻
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2. ハランやカネと共にティルスとの主要な交易中心地として言及され,上等の衣服,じゅうたん,綱などを専ら扱った土地。(エゼ 27:23,24)それはアモス 1章5節で言及されているベト・エデンという名称の短縮形ではないかと言われています。アッシリアの軍勢に征服された他の土地の住民の中に「エデンの子ら」が含まれているので(王二 19:12; イザ 37:12),このエデン(ベト・エデン)はユーフラテス川の中流沿いにあるビート・アディニという小さな地域であると,ある人々は考えています。―「ベト・エデン」を参照。
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