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アシュドド聖書に対する洞察,第1巻
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アシュドドの領地はユダヤ人の支配下にとどまってはいなかったようです。というのは,後代の碑文によれば,アッシリアの王サルゴン2世は地元の王アズリを退位させ,アヒミティをその位に就かせたからです。反乱が起きると,サルゴンはフィリスティアに対して軍事行動を起こし,ガト,「アスドゥドゥ」(アシュドド),および「アスドゥディム」(「海のそばのアシュドド」の意で,海岸に位置していた別の場所と思われる)を征服しました。これはイザヤ 20章1節で言及されている軍事行動かもしれず,またアモス 1章8節の預言の部分的な成就かもしれません。ヘロドトス(II,157)の記録によれば,次の世紀にアシュドド(アゾト)は,ファラオ・プサムティク(プサメティコス)が同市に対して29年間行なった攻囲に屈服しました。
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アシュケロン聖書に対する洞察,第1巻
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アモスの預言(西暦前804年ごろ)では,アシュケロンの支配者の敗北が予告されました。(アモ 1:8)一般の歴史によれば,その次の世紀にアッシリアのティグラト・ピレセル3世がアスカルナ(アシュケロン)を従属都市にしました。エレミヤは(西暦前647年以後)アシュケロンにかかわる二つの預言を述べました。ネブカドネザルがその治世の初期に同市を奪った時(西暦前624年ごろ),エレミヤ 47章2-7節はある程度成就したように見えましたが,エレミヤ 25章17-20,28,29節の預言は,その成就が西暦前607年のエルサレム陥落直後であったことをはっきりと示しています。ゼパニヤの預言(西暦前648年以前に記された)もまた,アシュケロンと共に他のフィリスティア人の諸都市の来たるべき荒廃を予告しました。その後,「アシュケロンの家々」にはやがてユダの残りの者が居住することになります。(ゼパ 2:4-7)最後に,西暦前518年ごろ,ゼカリヤはティルスの荒廃する時(西暦前332年)に関連して,アシュケロンが滅びに定められていることをふれ告げました。―ゼカ 9:3-5。
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