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    聖書に対する洞察,第2巻
    • イエスの追随者たちの水のバプテスマ ヨハネのバプテスマは,イエスが,「すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し(なさい)」という言葉で命じたバプテスマに取って代わられることになっていました。(マタ 28:19)これは,西暦33年のペンテコステ以降,神によって是認された唯一の水のバプテスマでした。西暦33年から何年かたったころ,熱心な人アポロはイエスについて正しく教えていましたが,その理解はヨハネのバプテスマのことに限られていました。この点で,アポロは矯正を受ける必要がありました。パウロがエフェソスで会った弟子たちの場合もそうでした。エフェソスにいたそれらの人々はヨハネのバプテスマを受けていましたが,それを受けたのは,そのバプテスマを施すのが有効だった時期が終わった後だったようです。というのは,パウロがエフェソスを訪れたのは,律法契約が終了してから約20年後のことだったからです。それで彼らは,イエスの名において正しくバプテスマを施され,聖霊を受けました。―使徒 18:24-26; 19:1-7。

      キリスト教のバプテスマに,神の言葉に関する理解と,啓示された神のご意志を行なうために自らを差し出すという理性的な決定が必要であることは,西暦33年のペンテコステの日に明らかになりました。その場に集まっていたユダヤ人と改宗者たちは,すでにヘブライ語聖書に関する知識を持っており,ペテロがメシアなるイエスについて話すのを聞いた結果,3,000人が「彼の言葉を心から受け入れ」,「バプテスマを受け(ました)」。(使徒 2:41; 3:19–4:4; 10:34-38)サマリアの人々はフィリポが宣べ伝えた良いたよりをまず信じ,それからバプテスマを受けました。(使徒 8:12)ユダヤ教への改宗者で,篤信の人だったエチオピアの宦官も,そのような人としてエホバとヘブライ語聖書に関する知識を持っていました。彼はそれらの聖句がキリストに成就したことをまず聞いて受け入れ,それからバプテスマを受けることを望みました。(使徒 8:34-36)ペテロはコルネリオに,「神を恐れ,義を行なう人は……受け入れられる」こと(使徒 10:35),またイエス・キリストに信仰を持つ者は皆,その名によって罪の許しを得ることを説明しました。(使徒 10:43; 11:18)これらの例はすべて,「人々を弟子とし……わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい」というイエスのご命令と調和しています。その教えを受け入れて弟子となる人々が,バプテスマを受けるのは正しいことです。―マタ 28:19,20; 使徒 1:8。

  • 弟子
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 弟子

      (でし)(Disciple)

      教えられた者,学ぶ者,生徒。弟子に相当するヘブライ語(リンムド)は基本的に,学んでいる人,教えられている人,あるいは訓練されている人を指します。(イザ 8:16,脚注と比較。)関連のある語のマルマドは,牛を訓練するのに用いられる「突き棒」を意味しています。(裁 3:31。ホセ 10:11と比較。)ギリシャ語のマテーテース(弟子)は,主として何かに自分の思いを向ける人を意味しています。

      ギリシャ語聖書には,イエスの弟子たち,バプテスマを施す人ヨハネの弟子たち,パリサイ人の弟子たち,モーセの弟子たちが出て来ます。(マタ 9:14; ルカ 5:33; ヨハ 9:28)イエスの最初の弟子たちは,かつてはヨハネの弟子でした。(ヨハ 1:35-42)使徒として選ばれた12人は,マタイ 10章1節と11章1節で弟子と呼ばれています。「弟子」という語は広い意味ではイエスの教えを信じている者たちに当てはまり,そのうち少なくとも一人はひそかな弟子でした。(ルカ 6:17; ヨハ 19:38)しかし,この語は福音書の中では普通,イエスの伝道旅行に同行し,イエスから教えや指示を受けたイエスの親しい追随者たちの一団を指しています。この語はおもに,キリストの教えを信じるだけでなく,その教えにしっかりと従う人たちすべてに当てはまります。そのような人は,イエスが命令した「事柄すべてを守り行なうように」教えを受けなければなりません。―マタ 28:19,20。

      イエスが弟子たちを教えられた目的は,彼らをご自分のような人,つまり王国の良いたよりを宣べ伝えて教える人にすることでした。「生徒は教師より上ではありませんが,すべて完全に教え諭された者は自分の教師のようになるのです」と,イエスは言われました。(ルカ 6:40)キリストの教えが効果的だったことは,その後の歴史によって証明されました。弟子たちはイエスから教えられた業を行ない続け,1世紀の終わりまでにローマ帝国の全土,アジア,ヨーロッパ,アフリカで弟子を作りました。これが,マタイ 28章19,20節のイエス・キリストの命令に調和した,彼らの主要な業でした。

      クリスチャンがまさに今日に至るまで,諸国の人々を弟子とする責務を負っているということは,イエスの命令の結びの言葉,つまり「そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」という言葉から明らかです。彼らは自分たちのために弟子を作っているのではありません。教えを受ける人たちは,実際にはイエス・キリストの弟子だからです。彼らが従うのは,人間の教えではなくキリストの教えです。だからこそ,弟子たちは神慮によってクリスチャンと呼ばれました。(使徒 11:26)同様に,預言者イザヤにも弟子たちがいましたが,それは自分のための弟子ではありませんでした。イザヤの弟子たちはエホバの律法を知っており,律法の証を持っていました。―イザ 8:16。

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