安息日を守るべきですか
今から20年ほど前,フィジーの首都スバはメソジスト派の一団によって麻痺状態に陥りました。礼拝の装いをした男女子どもが70か所で道路を封鎖し,営利目的の交通をすべて遮断したのです。国内線と国際線の飛行機の発着も止められました。なぜそのようなことをしたのでしょうか。彼らは,フィジーを昔のような安息日厳守の国にすることを要求していました。
イスラエルでは,2001年以降に新築された高層ビルには,各階に自動的に停止するエレベーターを少なくとも1基設置することが義務づけられています。なぜでしょうか。敬虔なユダヤ教徒が金曜日の夕方から土曜日の夕方までの安息日を遵守する際に,エレベーターのボタンを押すという“仕事”をしなくて済むようにするためです。
南太平洋の王国トンガでは,日曜日にはあらゆる仕事が禁じられています。飛行機の離着陸も,船の出港や入港も許されません。日曜日にサインをした契約書は無効とみなされます。トンガの憲法は,宗教を問わずすべての人が日曜日を「聖なるものとする」ことを求めているのです。なぜでしょうか。国全体で確実に安息日を遵守するためです。
このように,多くの人は,神は週ごとの安息日を守るよう求めておられると考えています。「安息日を守ることは極めて重要だ。とこしえの救いに必要だ」と言う人もいます。神のおきての中で最も重要なのは安息日を守ることだ,という意見もあります。では,安息日とは何ですか。聖書は,週ごとの安息日の遵守をクリスチャンに要求しているでしょうか。
安息日とは何か
「安息日」を指す英語(Sabbath)は,「休む,やむ,やめる」を意味するヘブライ語に由来しています。創世記には,エホバ神が七日目に創造の業を休まれたという記述があります。(創世記 2:2)とはいえ,神の民が24時間の休みとしての安息日を守るようにと指示されたのは,モーセの時代になってからのことです。西暦前1513年にイスラエル人がエジプトを出た後,エホバは荒野で彼らに奇跡によってマナをお与えになりました。マナを集めることに関して,イスラエル人は次のような指示を受けました。「六日の間あなた方はそれを拾いますが,七日目は安息日です。その日には少しも生じません」。(出エジプト記 16:26)そして,『民は七日目に安息を守ることになり』ました。その安息は,金曜日の日没から土曜日の日没まででした。―出エジプト記 16:30。
その指示が与えられてから間もなく,エホバはモーセに十戒をお授けになりました。その中には,安息日に関する律法も含まれていました。(出エジプト記 19:1)十戒の4番目のおきては,一部こうなっています。「安息日を覚えてそれを神聖なものとするように。あなたは六日のあいだ務めをなし,自分のすべての仕事をしなければならない。しかし,七日目はあなたの神エホバに対する安息日である」。(出エジプト記 20:8-10)こうして,安息日を守ることはイスラエル人の生活の肝要な部分となりました。―申命記 5:12。
イエスは安息日を守ったか
イエスは安息日を守りました。イエスについて,こう記されています。『時の限りが満ちたとき,神はご自分のみ子を遣わし,そのみ子は女から出て律法のもとに置かれた』。(ガラテア 4:4)イエスはイスラエル人として生まれたので,安息日の条項を含む律法のもとにありました。律法契約が取り除かれたのはイエスの死後のことです。(コロサイ 2:13,14)これらの出来事の時間的な順序を考えると,安息日に関する神の見方を理解することができます。―15ページをご覧ください。
イエスご自身,こう述べておられます。「わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはなりません。破棄するためではなく,成就するために来たのです」。(マタイ 5:17)この「成就する」という表現はどういう意味でしょうか。例えで考えてみましょう。建築契約を果たす(成就する)という場合,それは契約を破り捨てるということではなく,建物を完成させるということです。仕事が完了して依頼主が満足すると,契約は果たされた(成就された)ことになり,建築業者は契約への義務から解放されます。同様にイエスは,律法を破り捨てたのではなく,律法を完全に守ることによって律法を成就したのです。こうして律法“契約”が果たされたので,神の民はもはやその“契約”に縛られてはいません。
クリスチャンにも求められている?
キリストが律法を成就されたのであれば,クリスチャンには週ごとの安息日を守る義務があるのでしょうか。使徒パウロは,霊感のもとにこう答えています。「あなた方は,食べることや飲むことで,また祭りや新月の習わしや安息日に関して,だれからも裁かれるべきではありません。それらの事は来たるべきものの影であって,その実体はキリストに属しているのです」。―コロサイ 2:16,17。
霊感によるこの言葉が示すとおり,神が僕たちに求めておられる事柄は大きく変更されました。なぜでしょうか。クリスチャンは,「キリストの律法」という新しい律法のもとにいるからです。(ガラテア 6:2)モーセを通してイスラエルに与えられた古い律法契約は,イエスの死によって成就された時,廃止されました。(ローマ 10:4。エフェソス 2:15)では,安息日に関するおきても廃止されたのでしょうか。そうです。パウロは,「わたしたちは律法から解かれました」と述べた後に,十戒の一つに言及しています。(ローマ 7:6,7)ですから,安息日の条項を含む十戒も,律法の一部として,やはり廃止されたのです。それで神の崇拝者たちにはもはや,週ごとの安息日を遵守することは求められていません。
イスラエルの崇拝体系からクリスチャンの崇拝体系への変更は,憲法の変更に例えることができます。新しい憲法が法的に有効になると,国民にはもはや,古い憲法に従うことは求められません。新しい憲法には古い憲法と同じ条項が含まれているかもしれませんが,異なる条項もあります。ですから国民は,どんな条項が施行されているのかを知るため,新しい憲法を注意深く調べる必要があります。さらに,誠実な人は,新しい憲法がいつから有効になったかを知りたいと思うことでしょう。
エホバ神はイスラエル国民に,10の主要なおきてを含む600以上の条項をお与えになりました。その中には,道徳,犠牲,健康,そして安息日に関する条項がありました。しかしイエスは,油そそがれた追随者たちが新しい「国民」を構成することになる,と言われました。(マタイ 21:43)西暦33年以降,その国民は新しい“憲法”のもとにあります。その“憲法”の基盤となるおきては,神への愛と隣人への愛です。(マタイ 22:36-40)「キリストの律法」の条項の幾つかはイスラエルに与えられた律法の条項と似ていますが,当然ながら,大きく変わったものや,もはや要求されていないものもあります。週ごとの安息日の遵守を求める条項もその一つで,もはや拘束力はありません。
神は規準を変更なさったのか
モーセの律法がキリストの律法に変更されたということは,神がご自分の規準を変更なさったということなのでしょうか。そうではありません。親は,子どものために設けた規則を,子どもの年齢や状況を考慮に入れて調整することがあります。同様にエホバも,ご自分の民の従うべき律法を調整なさいました。使徒パウロは,こう説明しています。「わたしたちは,信仰が到来する前には律法のもとに警護されており,共に拘禁されたまま,やがて表わし示されることになっていた信仰を望み見ていました。したがって,律法は,わたしたちをキリストに導く養育係となったのであり,それは,わたしたちが信仰によって義と宣せられるためでした。しかし,信仰が到来した今,わたしたちはもはや養育係のもとにはいません」。―ガラテア 3:23-25。
このパウロの論議は安息日にも当てはまるのでしょうか。例えで考えてみましょう。学校では特定の曜日に,木工など,何らかの科目の履修を求められることがあります。とはいえ,卒業して仕事に就くと,習得した技術を,特定の曜日だけでなく毎日使う必要があるかもしれません。それと同様に,律法のもとにいたイスラエル人には,休息と崇拝のために毎週1日を取り分けることが求められていましたが,クリスチャンには,週に1日だけでなく毎日神を崇拝することが求められています。
では,毎週1日を休息と崇拝のために取り分けるのは間違ったことなのでしょうか。いいえ,そうではありません。神の言葉は,そうした決定を個々の人に任せ,こう述べています。「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば,すべての日を同じように考える人もいます。それは,各自が自分の心の確信に基づいて決めるべきことです」。(ローマ 14:5,「新共同訳」,共同訳聖書実行委員会)特定の日を他の日より神聖だと考えて尊ぶ人もいるでしょう。しかし聖書によれば,神はクリスチャンに週ごとの安息日の遵守を求めてはおられません。
[12ページの拡大文]
「六日の間あなた方はそれを拾いますが,七日目は安息日です。その日には少しも生じません」。―出エジプト記 16:26
[14ページの拡大文]
「律法は,わたしたちをキリストに導く養育係となったのであり,それは,わたしたちが信仰によって義と宣せられるためでした。しかし,信仰が到来した今,わたしたちはもはや養育係のもとにはいません」。―ガラテア 3:24,25
[13ページの囲み記事/図]
日付変更線と安息日
安息日は世界のどこでも同じ日に守るべきだ,と考える人たちにとって,日付変更線は厄介な存在です。この線は理論上のもので,基本的に太平洋の180度経線の上を通っています。日付変更線の西にある国では,東にある国より日付が1日早くなります。
例えば,フィジーとトンガが日曜日の時,サモアとニウエは土曜日です。ですから,ある人がフィジーで土曜日に安息日を守っている時,1,100㌔ほどしか離れていないサモアでは,同じ宗教の人たちが働いています。まだ金曜日だからです。
トンガのセブンスデー・アドベンティスト派の人たちは,日曜日に安息日を守っています。そうすれば,850㌔離れたサモアにいる仲間の信者と同じ時に安息日を守れるからです。しかしそのころ,800㌔しか離れていないフィジーでは,この宗派の人たちは休んでいません。日曜日だからです。ここでは土曜日に安息日を守るのです。
[図]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
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\ サモア
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フィジー \
日曜日 \ 土曜日
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トンガ \
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[15ページの図表]
(正式に組んだものについては出版物を参照)
安息日について覚えておきたい点
聖書には,週ごとの安息日を守るよう命じる言葉があります。とはいえ,その命令がいつ与えられたかを確かめることは大切です。
西暦前1513年 イスラエルに与えられた神の律法
イスラエルに律法が与えられる 安息日の律法は,他の国民には与えられません
でした。(詩編 147:19,20)エホバと
イスラエルの子らとの間の「しるし」として
与えられました。―出エジプト記 31:16,17。
西暦33年 キリストの律法
イスラエルに与えられた律法が終わる 西暦49年,エルサレムの使徒や年長者たちは,
クリスチャンに対する神のご要求を見定めた際,
週ごとの安息日を守るべきであるとは
述べませんでした。―使徒 15:28,29。
西暦2010年
[11ページの図版]
メソジスト派の一団がフィジーを安息日厳守の国に戻すことを要求して道路を封鎖した,という事件が新聞で報じられた
[クレジット]
Courtesy of the Fiji Times