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姿勢と身ぶり聖書に対する洞察,第1巻
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イエスが地上におられた当時の習慣であった横になって食事をする方法では,他の人の懐に寄り掛かることは親密な友情や好意の表現で,これは懐の位置として知られていました。(ヨハ 13:23,25)この習慣が,ルカ 16章22,23節,およびヨハネ 1章18節の例えの基盤になっています。
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こじき,物ごい聖書に対する洞察,第1巻
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イエスがラザロをこじきと呼ばれたことを記録したルカ(16:20,22)はプトーコスというギリシャ語を用いていますが,この語は,うずくまって人にへつらう者を表わし,非常に貧しい者,困窮者,こじきを指します。これと同じ語は,マタイ 5章3節で,「自分の霊的な必要を自覚している[「霊を乞い求める人たち」,脚注]」(「霊が貧しい」,欽定)人たちに関して用いられています。この聖句でプトーコスが使われていることに関して,M・R・ビンセントの「新約聖書の語彙研究」(1957年,第1巻,36ページ)は,「その語は極度の霊的な貧困状態を表わし,この場合には非常に写実的な描写で当を得ている。神の王国に入るにはそのような状態を意識することが先行するのであり,そのような状態からの解放は,自分自身の努力ではなく,神の無償の憐れみによってのみ可能になる」と述べています。
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懐の位置聖書に対する洞察,第2巻
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懐の位置
(ふところのいち)(Bosom Position)
イエスはある例えの中で,死んでから「アブラハムの懐の位置」に運ばれるラザロという名のこじきについて話されました。また,ヨハネはイエスのことを,「父に対してその懐の位置」にいる方として言及しました。(ルカ 16:22,23; ヨハ 1:18)「懐の位置」という表現は,食事の際に同じ寝いすの上で別の人の前に横になることを暗示しています。
客は左わきを下にして横になり,まくらで左ひじを支えたので,右腕は自由になりました。普通は一つの寝いすを3人の人が使いましたが,多ければ5人で使うこともありました。各人の頭は後ろの人の胸のところ,あるいはその近く,つまりいわば懐の位置にありました。後ろにだれもいない人は一番地位の高い人,その前の人は二番目に誉れを受ける人とみなされました。客が互いに接近することから,友人同士が隣り合わせになるのが習慣でした。ですから,その気になれば内密の話も比較的容易にできました。宴会の時にある人の懐の位置にいるということは,まさにその人の好意を得た特別な場所を占めていることを意味しました。それで,イエスにこよなく愛された使徒ヨハネは,最後の過ぎ越しが祝われた時に『イエスの懐の前に横になり』,その位置から「イエスの胸もとにそり返って」個人的に質問をしました。―ヨハ 13:23,25; 21:20。
こうした理由でヨハネは,イエスが得ていた,恵みを受けた格別の立場について説明する際,イエスはみ父エホバの「懐の位置」にいると述べました。同様に,イエスの例えの中でラザロがアブラハムの「懐の位置」に運ばれたということは,このこじきが最終的に自分の上位者の特別な好意を得た立場に就くことを意味していました。―「食事」を参照。
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胸,乳房,懐聖書に対する洞察,第2巻
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懐 この言葉は胸の用法とよく似た方法で用いられていますが,この語はしばしば胸自体というよりはむしろ長い衣の上部にあるひだと関係があります。懐は,ヘブライ語ではヘーク(王一 1:2),ホーツェン(ネヘ 5:13),さらにダドの両数形(エゼ 23:3),またギリシャ語ではコルポス(ヨハ 13:23)によって表わされます。深く愛されている,または大事にされている者は,人の懐(ヘ語,ヘーク)の近くに抱かれました。ルツの赤子オベデを自分の亡き夫エリメレクの法的な相続人と認めたナオミは,そのようにしてオベデを抱きました。(ルツ 4:16)食事の際に横になる習慣では,ある人の懐の前にいる者は,その人と親密な立場,一般に好意を持たれている立場にいました。(ヨハ 13:23)イエスはこのよく知られた習慣を使って,ラザロが,神の恵みを意味する「アブラハムの懐の位置」にいると例証されました。(ルカ 16:22,23)使徒ヨハネは,イエスが「父に対してその懐の位置」にいると描写して,この方がエホバの親友であり,他のだれよりも一層十分に,また一層徹底的に神を説明できる唯一の人物であることを示しました。―ヨハ 1:18。「懐の位置」を参照。
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ハデス聖書に対する洞察,第2巻
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ハデスが用いられているもう一つの聖句は,ルカ 16章22-26節の「富んだ人」と「ラザロ」の記述に見られます。その記述全体に見られる言葉遣いは明らかに寓話的なもので,前の数節をすべて考慮すると,それらを字義通りに解釈することはできません。しかし,このたとえ話の中の「富んだ人」がハデスに『葬られた』と述べられていることに注目してください。これはハデスが人類共通の墓を意味していることを示す一層の証拠となっています。―「ゲヘナ」; 「タルタロス」を参照。
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例え聖書に対する洞察,第2巻
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ラザロという名は,「神は助けてくださった」という意味のヘブライ語の名エレアザルのギリシャ語形です。ラザロの傷をなめていた犬は,恐らく街路を歩き回る清掃動物であり,汚れたものとみなされていました。ラザロがアブラハムの懐の位置にいることは,彼が恵みを受ける立場に置かれていたことを示しています。(ヨハ 1:18と比較。)この修辞的表現法は,食事の際,人が友の懐に寄り掛かることができるような姿勢で横になった習慣に由来しています。―ヨハ 13:23-25。
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