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エホバの証人はエホバ神の至上権のために耐え忍ぶものみの塔 1966 | 12月15日
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23,24 牧師の敵意がまだ続いていることについて,(イ)エジプトのヨセフの例,および(ロ)イエスのたとえ話から説明しなさい。
23 しかし,油そそがれた者たちにとって今が復興と繁栄の時であるとするなら,現代のヨブである彼らが心のかたくななバビロン的な牧師からまだ激しい敵意をあび,その度合が強まっているのはなぜですか。この状態はヨセフが為政者であった時代のエジプトの7年のききんと7年の繁栄の現代的な意味に似ています。a (創世 41:29-32)現代において昔の二つの7年の期間に相当するものは同時に起きています。キリスト教国の国土ないし領域には霊的な大ききんすなわち,神のことばを聞くことのききんがあります。(アモス 8:11)他方,真に油そそがれた者たちの国ないし領域には霊的な豊饒が見られます。
24 こうした同時的な成就は金持ちとラザロのたとえ話によっても裏書きされています。(ルカ 16:19-31)「金持」すなわち牧師級と「ラザロ」グループすなわち油そそがれた残れる者との対照的な状態は同時に,つまり1919年以降の今の時代に見られます。豊富な証拠から明白に言えるとおり,油そそがれたエホバの証人は1919年以来,その宣教活動において霊的な繁栄を楽しんできました。他方,同じ期間に,牧師たちの宣教活動は失敗とざ折を重ねてきました。これは彼らの「苦しみ」のしるしです。この記事の初めにあげたことはこの点で別の説明になります。すなわち,大いなるバビロンは1919年以来キリスト・イエスの包囲下に置かれていますが,そこにとらわれている人々の救出が完了するまで,大いなるバビロンは存続を許され,敵意と腐敗の力とを働かせることを許されています。しかし,救出のわざの完了と共に,大いなるバビロンは全く滅ぼされます。―黙示 18:4; 17:15-18。
25 (イ)エホバがバビロン的な敵意の存続をなお許しておられることにはほかにどんな目的がありますか。(ロ)次の記事ではどんなことを学びますか。
25 知恵の神エホバがバビロン的な敵意の存続をなお許されていることにはもう一つの目的があります。それは,そうすることによって,「他の羊」の「大ぜいの群衆」にも,油そそがれた者たちと共に,エホバをそしり,エホバ神の至上権に挑戦したサタンに答える機会を与えることです。以上の背景を知ったうえで,エホバの神権を擁護する油そそがれた者たちと,キリスト教国のバビロン的な牧師の間にあるはげしい宗教上の論争の実例を取り上げましょう。印刷された文書の形をとっているとは言え,昔のヨブやイエスに対する攻撃が,現代の証人たちを相手として,詳細に,しかし敵意をさらに強くして,再び繰りかえされているのをごらんになるでしょう。
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油そそがれた証人に対するバビロン的な敵意はエホバをそしるものとなるものみの塔 1966 | 12月15日
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油そそがれた証人に対するバビロン的な敵意はエホバをそしるものとなる
「わが子よ,知恵を得て,わたしの心を喜ばせよ,そうすればわたしをそしる者に答えることができる」― 箴言 27:11。
1,2 (イ)だれがそしられていますか。だれによって? どのように?(ロ)ヨブの経験と今日の経験との類似性をどんな方法で調べますか。
古代アッシリアの邪悪な王セナケリブがそしったごとくサタンは今日,エホバの油そそがれた証人たちをとがめだてて,まことの神エホバをそしりつづけています。(イザヤ 37:21-33)現代のヨブと言うべき油そそがれた者たちは,自分にあびせられるバビロン的な敵意に忠実に耐えており,それによってエホバは,ご自身が言われるごとく,「そしる者〔サタン〕に答えることができ」ます。(箴言 27:11)地上においてエホバ神の至上権を擁護する忠実な証人たちは,自分をののしる者たちの攻撃に耐えねばなりません。「わたしのあだは骨も砕けるばかりにわたしをののしり,ひねもすわたしにむかって『おまえの神はどこにいるのか』と言う」― 詩 42:10。
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