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イエスのたとえ話はなぜ人々に助けとなりましたかものみの塔 1976 | 9月15日
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イエスは,弟子たちが不完全な罪人として多くの過ちをし,欠点や悪い傾向を持っていることをご存じでした。しかし高慢で野心的なうえに貪欲で哀れみのない,怠惰な者であるとして,イエスが弟子たちをとがめた例をわたしたちは知りません。それは弟子たちの心を傷つけ,救われない者であると感じさせることになったでしょう。彼らはイエスが自分たちのことをそうした種類の人間であるとみなしていると感じたことでしょう。弟子たちは時折そうした悪い特性を表わしましたが,貪欲さ,高慢その他を基本的な性格として持っていたわけではありません。イエスが望まれたのは彼らを罪に定めることではなく,彼らを助けることでした。ゆえに弟子たちをあからさまに責めるよりも,イエスはたとえを話して彼らに考えさせ ― そこに関係している原則を悟らせ,また彼らがその原則を彼ら自身の心の中で良心的に適用するように仕向けられたのです。弟子たちは自分の犯した過ちや,自分の示した悪い態度を悟り,それを改めることができました。この方法はあからさまな叱責よりも,ずっと信服させる力があり,またはるかに効果的でした。
例えば,だれがいちばん偉いかということで弟子たちが言い争っていた時,イエスは彼らのことを怒ったり,厳しく叱ったりしませんでした。また高慢で利己的な者,貪欲あるいは野心的な者であるときめつけませんでした。イエスは,この間違った態度とそれがもたらす結果の例として世の支配者を指摘し,こう言われました,「諸国民の王たちは民に対していばり,民の上に権威を持つ者たちは恩人と呼ばれています。だが,あなたがたはそうであってはなりません」。この“いばった”態度のもたらす悪い結果を,弟子たちはよく知っていました。ついでイエスは,それとひきかえ,指導者でありながら弟子たちの間でしもべのようなご自身の手本について語られました。―ルカ 22:24-27。
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イエスのたとえ話はなぜ人々に助けとなりましたかものみの塔 1976 | 9月15日
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キリストの弟子たちはこれらの事柄をはっきり心に留め,自分の間違った考え方を改めました。そのことは,キリストの死と復活後,彼らがクリスチャン会衆の責任の荷を負った時にクリスチャンの兄弟たちをどう扱ったかに照らして明白です。ペテロ,ヤコブおよびヨハネの手紙は,キリストが彼らに教え込むことをされた謙遜で,りっぱな態度を反映しています。
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