覚えていますか
「ものみの塔」誌の最近号を注意深くお読みになりましたか。以下の質問に答えられるかどうかを確かめてみましょう。
エホバが古代イスラエルに戦いを認めたのはなぜですか。
エホバは愛の神です。とはいえ,ご自分の民が悪や圧制に脅かされる場合,戦いを認めたことがあります。いつ戦うか,だれが戦うかを決めたのは,神でした。―塔15 11/1 4-5ページ。
エホバに仕えるよう十代の子どもを訓練するために,親は何ができますか。
子どもを愛し,謙遜さの手本を示すことは,とても大切です。洞察力を用いて,子どもを理解するよう努めることも大切です。―塔15 11/15 9-11ページ。
教皇がペトロ(ペテロ)の後継者と言えないのはなぜですか。
マタイ 16章17,18節は,使徒ペテロがクリスチャン会衆の頭だとは述べていません。聖書によると,会衆の隅石となったのはイエスであり,ペテロに首位権が与えられたわけではありません。(ペテ一 2:4-8)―塔15 12/1 12-14ページ。
話す前にどんなことを考えるべきですか。
舌を正しく用いるには,(1)いつ話すか(伝 3:7),(2)何を話すか(箴 12:18),(3)どのように話すか(箴 25:15)を考える必要があります。―塔15 12/15 19-22ページ。
クリスチャンは,どんな不正直な行ないを避けるべきですか。
真のクリスチャンはうそや中傷を避けます。悪意から偽りを語って人を傷つけることをしません。詐欺や盗みも避けます。―塔般16.1 5ページ。
聖書に出てくる「祭司長たち」とはだれのことですか。
「祭司長たち」という表現は,祭司団の主立った人たちを指しているものと思われます。その中には,退位した元大祭司たちが含まれていたかもしれません。―塔般16.1 10ページ。
記念式の表象物にあずかる人にどのように接するべきですか。
クリスチャンは,そのような人を高めることはしません。本当に油そそがれた人であれば,高められることを望まないはずです。神のみ前での立場について宣伝したいとも思わないでしょう。(マタ 23:8-12)―塔研16.01 23-24ページ。
アブラハムはどのようにして神の友になりましたか。そのことから何を学べますか。
アブラハムは知識と経験を通して,神の友になりました。セムから神について学んだようです。また,神が自分と家族を助けてくださるのを経験しました。わたしたちも神の友になるために知識と経験が必要です。―塔研16.02 9-10ページ。
聖書はどのようにして章と節に区分されましたか。
13世紀の聖職者スティーブン・ラントンが聖書を章に分けました。ユダヤ人の写字生たちがヘブライ語聖書を節に分け,16世紀の学者ロベール・エティエンヌがクリスチャン・ギリシャ語聖書を節に分けました。―塔般16.2 14-15ページ。
サタンはイエスを誘惑するため,イエスを実際に神殿に連れて行きましたか。
はっきりしたことは分かりません。マタイ 4章5節とルカ 4章9節に記されている出来事については,イエスが幻の中で神殿に連れて行かれた可能性もあれば,神殿域のどこか高い場所に実際に立った可能性もあります。―塔研16.03 31-32ページ。
クリスチャンの宣教はどんな点で露のようですか。
露は穏やかで,さわやかで,命を支えます。露は神からの祝福と言えます。(申 33:13)神の民が協力して行なう宣教も,そのような意味で露のようです。―塔研16.04 4ページ。