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奉仕者,仕える者聖書に対する洞察,第2巻
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イエスの任命はエホバご自身から来ました。イエスがバプテスマのためにご自分を差し出されると,「天が開け」ました。記録はさらにこう述べています。「[バプテスマを施す人ヨハネ]は,神の霊がはとのように下って[イエス]の上に来るのを(見た)。見よ,さらに天からの声があって,こう言った。『これはわたしの子,わたしの愛する者である。この者をわたしは是認した』」。(マタ 3:16,17)人間になる以前に存在していた時,イエスは数え切れないほどの年月にわたりエホバに仕えていましたが,ここで新たな奉仕の務めに着手されました。イエスは神と仲間の者たちとに仕えて,本当に神の奉仕者であることを証明されました。それでイエスは,故郷の町ナザレの会堂でイザヤ書の巻き物を取り,今では61章1,2節となっている次の言葉を読むことができました。「主権者なる主エホバの霊がわたしの上にある。それは,エホバがわたしに油をそそぎ,柔和な者たちに良いたよりを告げるようにされたからである。神はわたしを遣わして,心の打ち砕かれた者を包帯で包み,とりこにされた者たちに自由を,捕らわれ人たちには目が大きく開かれることをふれ告げ,エホバの側の善意の年……をふれ告げ(るようにされた)」。それからイエスは集まっていた人々に言葉を続け,「あなた方がいま聞いたこの聖句は,きょう成就しています」と言われました。―ルカ 4:16-21。
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会堂聖書に対する洞察,第1巻
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会堂における崇拝の一つの要素は,シェマ,すなわちユダヤ教の信仰告白とも言うべきものの詠唱でした。その名称は,「イスラエルよ,聴きなさい[シェマ]。わたしたちの神エホバはただひとりのエホバである」という,最初に用いられる聖句の冒頭の言葉から取られました。(申 6:4)礼拝の最も重要な部分はトーラーつまり五書<ペンタチューク>の朗読で,月曜日と木曜日ごと,および安息日ごとに行なわれました。多くの会堂では律法全体が1年間で読まれるように計画されていましたが,3年がかりのプログラムを組む会堂もありました。このようにトーラーの朗読に重きが置かれていたので,弟子ヤコブはエルサレムの統治体の成員に対して適切にも,「モーセは安息日ごとに諸会堂で朗読されており,彼を宣べ伝える者が古来どの都市にもいるからです」と言うことができました。(使徒 15:21)ミシュナ(メギラー 4:1,2)には,ハフタラとして知られる,預言書の抜粋を読み,それぞれに解説を加える習慣についても述べられています。イエスは故郷の町ナザレの会堂に入られた時,ハフタラが載っている巻き物の一つを読むよう手渡され,読まれた後で習慣どおりそれに解説を加えられました。―ルカ 4:17-21。
トーラーとハフタラの朗読ならびにその解説が終わると,伝道(宣べ伝えること)もしくは訓戒が行なわれました。イエスはガリラヤ全土の諸会堂で教え,かつ宣べ伝えられたと記されています。同様に,パウロとバルナバが話をするよう,つまり伝道するよう招かれたのも,「律法と預言者たちの公の朗読の後」であった,とルカは記録しています。―マタ 4:23; 使徒 13:15,16。
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復しゅう聖書に対する洞察,第2巻
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神が復しゅうを行なわれる定まった時 聖書は,神がご自分の敵に対して大規模に復しゅうを表明する定めの時をお持ちであることを示しています。預言者イザヤは「わたしたちの神の側の復しゅうの日」をふれ告げるよう命じられました。西暦前539年,メディア-ペルシャの軍隊が古代バビロンの力を打ち砕くのに用いられた時,神の復しゅうは神の民を虐げる者であった古代バビロンに対して表明されました。(イザ 61:1,2; 13:1,6,9,17)イエス・キリストは地上におられた時,イザヤの預言の一部(61:1,2)を引用してご自分に適用されました。(ルカ 4:16-21)イエスが「復しゅうの日」に関する部分を引用したとは記録に述べられていませんが,イエスは現にその「日」をふれ告げられましたし,その日は西暦70年にエルサレムに臨みました。イエスは(ローマの)軍隊が同市の周りに野営を張ることを予告し,それを見る時にはエルサレムから逃げるようご自分の追随者たちにお告げになりました。「なぜなら,これは処断の日[「復しゅうの日」]であり,それによって,書かれていることのすべてが成就する」からです。―ルカ 21:20-22,行間。聖ア,欽定,ロザハム,改標と比較。
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