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困ったときの霊的な助けものみの塔 1966 | 12月1日
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人々が,助けを得て神のみこころを正しく行なうようになり,会衆をとおして自分たちを力づけ励ますすばらしい取り決めをエホバが設けられていることに気づくとき,彼らはその「人々の賜物」がほんとうに「風をさける所,暴風雨をのがれる所のようになり,かわいた所にある水の流れのように,疲れた地にある大きな岩の陰のようになる」ことを認めるでしょう。―エペソ 4:8,11,12。イザヤ 32:1,2。
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読者からの質問ものみの塔 1967 | 2月1日
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読者からの質問
● 「他の羊」(ヨハネ 10:16)と「大ぜいの群衆」(黙示 7:9)という表現はいつでも同じに使うことができますか。
聖書から見てそれは正しくありません。黙示録 7章9節の「大ぜいの群衆」のすべては「他の羊」です。しかしヨハネによる福音書 10章16節の「他の羊」の全部が「大ぜいの群衆」に属するのではありません。この二つの用語の意味は全く同じではありません。
神の是認を受けている人はすべて聖書的に見て「羊」です。またイエス・キリストは,「私は羊のために命を捨てる」と言われました。(ヨハネ 10:15)天の生命によみがえらされる希望を持つ14万4000人の「小さい群れ」があり,他方,神の約束しておられる新しい秩序の下に地上で生命を得る希望を持つ羊のような人々がおおぜいいます。(ルカ 12:32。黙示 14:1-4。詩 37:11,29)地的な希望と前途を持つすべての人は,ヨハネによる福音書 10章16節で,天的生命を与えられる「羊」と区別するために「他の羊」と呼ばれています。アブラハム,ダビデ,ダニエルのような古代忠信者も,地に住む「他の羊」のひとりです。(ヘブル 11:8-19,32-35。ダニエル 12:13)キリストの千年統治の間に復活する他の多くの人も神に対して従順を示し,彼らもまた「良い羊飼い」の「他の羊」であることを示すでしょう。この用語はまた,現存する事物の制度の滅びを生き残る,心の正しい人の「大ぜいの群衆」に適用されます。そしてキリストの千年統治の間に生まれる彼等の正義の子孫にもあてはまります。
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