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  • イエス・キリスト
    聖書に対する洞察,第1巻
    • イエスはどのような意味で「独り子」か イエスが「独り子」と呼ばれていることは(ヨハ 1:14; 3:16,18; ヨハ一 4:9),生み出された他の霊の被造物は神の子ではなかった,ということを意味するものではありません。彼らもやはり子と呼ばれているからです。(創 6:2,4; ヨブ 1:6; 2:1; 38:4-7)とはいえ,この長子はみ父により直接創造された,ただひとりの者だったので,神の子たちのうちの他のだれとも異なった特異な方でした。それら他のすべての者はその長子を通してエホバにより創造された,もしくは生み出されたのです。それで,イサクが特別の意味でアブラハムの「独り子」だった(イサクの父には妻サラによってもうけたのではない別の子がすでにいた)とおり,「言葉」も特別の意味でエホバの「独り子」(英文字義,ただ一人生まれた子)でした。―ヘブ 11:17; 創 16:15。

  • 和解
    聖書に対する洞察,第2巻
    • そのような神との和解が必要になったのは,疎外された状況,分離,調和や友好関係の欠如,いえそれ以上に敵対関係が存在してきたからです。それは最初の人間アダムの罪と,アダムのすべての子孫がその結果として受け継いだ罪深さや不完全さから来ています。(ロマ 5:12。イザ 43:27と比較。)それで同使徒は,「肉の思うことは神との敵対を意味する(の)です。それは神の律法に服従しておらず,また,[受け継いだ不完全で罪深い性質のゆえに]現に服従しえないのです。それで,肉と和している者は神を喜ばせることができません」と述べることができました。(ロマ 8:7,8)敵対関係が存在するのは,神の完全な規準のゆえに,神が悪行を是認したり大目に見たりすることはできないからです。(詩 5:4; 89:14)み父の完全な特質を反映したみ子については,「あなたは義を愛し,不法を憎んだ」と記されています。(ヘブ 1:9)したがって,「神は愛」であっても,また『神は[人類の]世を深く愛してご自分の独り子を[人類のために]与えられた』とはいっても,人類が全体として神との敵対関係にあり,人類の世に対する神の愛が愛情や友情(ギ語,フィリア)というよりも,敵に対する愛,つまり原則に導かれた愛(ギ語,アガペー)であったという事実は変わりません。―ヨハ一 4:16; ヨハ 3:16。ヤコ 4:4と比較。

  • 神の子(たち)
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 神のみ子であるキリスト・イエス ヨハネによる福音書の記述は特に,イエスが人間となる前に「言葉」として存在しておられたことを強調し,「言葉は肉体となってわたしたちの間に宿り,わたしたちはその栄光,父の独り子が持つような栄光を目にしたのである」と説明しています。(ヨハ 1:1-3,14)イエスが人間として誕生して初めて子としての身分をお持ちになったのでないことは,「わたしは,自分の父のもとで見た事柄を話します」と言われた時のようなイエスご自身の言葉や(ヨハ 8:38,42。ヨハ 17:5,24と比較),霊感を受けた使徒たちの述べた他の明確な言葉から分かります。―ロマ 8:3; ガラ 4:4; ヨハ一 4:9-11,14。

      「独り」(英文字義,ただ一人もうけられた) 中には,ギリシャ語のモノゲネースという言葉を「ただ一人もうけられた」という意味の英語で訳出することに異議を唱える注解者もいます。そのような注解者は,このギリシャ語の後半の部分(ゲネース)はゲンナオー(もうける)ではなく,ゲノス(種類)に由来しているので,このギリシャ語は『ある部類,または種類の中の唯一のもの』という意味のことを指す語であると指摘します。ですから,多くの翻訳では,イエスは「独り子」(英文字義,ただ一人もうけられた子; ヨハ 1:14; 3:16,18; ヨハ一 4:9)ではなく,「ただ一人の子」と訳されています。(改標; 聖ア; エルサレム)それにしても,この語の個々の構成要素には生まれるという動詞の意味が含まれてはいないものの,この語の用法には確かに,血統,もしくは出生という考えが含まれています。というのは,ギリシャ語のゲノスという言葉は,「家柄,親類,子孫,種族」を意味しているからです。この語はペテロ第一 2章9節で「種族」と訳されています。ヒエロニムスの訳したラテン語ウルガタ訳では,モノゲネースが「ただ一人もうけられた」,または「ただ一人の」という意味のウーニゲニトゥスと訳されています。この語がこのように出生,もしくは血統と関係を持っていることを認める辞書編集者は少なくありません。

      エドワード・ロビンソン編,新約聖書希英辞典(1885年,471ページ)は,モノゲネースを「ただ一人生まれた,ただ一人もうけられた,すなわち,ただ一人の子供」と定義しています。W・ヒッキ編,新約聖書希英辞典(1956年,123ページ)もこの語を「ただ一人もうけられた」と定義しています。G・キッテルの編さんした,新約聖書神学辞典はこう述べています。「μονο-[モノ-]は派生形の起源ではなく,性質を示している。ゆえに,μονογενής[モノゲネース]は『唯一の血統の』,すなわち兄弟も姉妹もいないという意味である。これは,ただ一人もうけられたという意味を示している。これは二親の,それもおもに二親との関係における,ただ一人の子供を指すのである。……しかし,この言葉はまた,由来とは関係なく,『特異な』,『比類のない』,『無比の』などの,より一般的な意味で使うこともできるが,部類もしくは種類を指す場合と特徴を指す場合とを混同すべきではない」― 翻訳者および編集者,G・ブロミリ,1969年,第4巻,738ページ。

      この後のほうの辞典(739-741ページ)は,クリスチャン・ギリシャ語聖書,もしくは“新約聖書”におけるこの語の用法について次のように述べています。「それは『ただ一人もうけられた』という意味である。……[ヨハネ]3章16,18節,ヨハ一 4章9節,[ヨハネ]1章18節では,イエスの関係は単に,ただ一人の子供とその父との関係になぞらえられているのではない。それはただ一人もうけられた子とみ父との関係そのものなのである。……ヨハ 1章14,18節,3章16,18節,ヨハ一 4章9節では,μονογενήςはイエスの特異性,もしくは無類性以上のことを表わしている。これらすべての節で,イエスははっきりと子と呼ばれており,1章14節ではそのような方とみなされている。ヨハネによる書では,μονογενήςはイエスの起源を表わしている。イエスはただ一人もうけられた方としてのμονογενήςなのである」。

      これらの言葉や聖書そのものの明白な証拠からすれば,イエスが神の特異な,もしくは無類のみ子であるだけでなく,「ただ一人もうけられた子」でもあり,したがって神により生み出されたという意味で神から出た方であることを示す翻訳に異議を差し挟むべき理由は一つもありません。この点は,使徒たちがこのみ子を「全創造物の初子」,ならびに「神から生まれた方[ゲンナオーの変化形]」と呼んでおり(コロ 1:15; ヨハ一 5:18),またイエスご自身,ご自分のことを「神による創造の初めである者」と述べておられることにより確証されています。―啓 3:14。

      イエスは人間として存在する以前,「言葉」と呼ばれた(ヨハ 1:1),神の最初の創造物としての神の「初子」です。(コロ 1:15)ヨハネ 1章1節の「初め」という言葉は,創造者なる神の存在の「初め」を指すと考えることはできません。というのは,神は永遠に存在する,始めのない方だからです。(詩 90:2)ですから,それは,その言葉が神の長子として神により生み出された,創造の始めを指しているに違いありません。「初め」という語は,ある期間や生涯,あるいは歩みの始まりを表わすのに他の幾つかの句でも同様に使われています。その例は,ヨハネから第一の手紙を書き送られた人たちのクリスチャンとしての生涯の「初め」(ヨハ一 2:7; 3:11),サタンの反逆の歩みの「初め」(ヨハ一 3:8),ユダが義の道からそれだした「初め」(ヨハ 6:64。「ユダ,II」4項[堕落する]を参照)などです。イエスは「独り子」,字義通りには「ただ一人もうけられた子」です。(ヨハ 3:16)というのは,イエスは,霊者と人間のいずれを問わず,神の子たちの中で,神がただおひとりで創造された,唯一の方だからです。他の者は皆,その長子を通して,もしくはその長子「によって」創造されたのです。―コロ 1:16,17。「イエス・キリスト」(人間になる以前の存在); 「独り子」を参照。

  • 世,世界
    聖書に対する洞察,第2巻
    • したがって,一つの基本的な意味として,コスモスは全人類を指します。ですから,聖書はコスモスつまり世を,罪を負っているもの(ヨハ 1:29; ロマ 3:19; 5:12,13),命を与える救い主を必要としているものとして描いています。(ヨハ 4:42; 6:33,51; 12:47; ヨハ一 4:14)これは人間にのみ当てはまる事柄であって,無生の創造物や動物には当てはまりません。その世こそ,神が「ご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされ(る)」ほどに深く愛された世です。(ヨハ 3:16,17。コリ二 5:19; テモ一 1:15; ヨハ一 2:2と比較。)人類のその世は,イエス・キリストがりっぱな種,すなわち「王国の子たち」をまかれた畑を成しています。―マタ 13:24,37,38。

  • 世,世界
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 不敬虔な世は終わり,人類は存続する したがって,イエスがそのために死なれたコスモスは,単に人間家族とみなされる人類の世,つまり肉なるすべての人間を意味しているに違いありません。(ヨハ 3:16,17)神から疎外された人間社会という意味での,神に対して実際に敵対関係にある世について言えば,イエスはそのような世のためには祈らず,その世から出てご自分に信仰を置いた人々のためにのみ祈られました。(ヨハ 17:8,9)イエスは,大洪水の際に肉なる人間が不敬虔な人間社会である世の滅びを生き延びたように,ご自分がその大洪水になぞらえた大患難をも,肉なる人間は生き延びることを示されました。(マタ 24:21,22,36-39。啓 7:9-17と比較。)事実,「世の王国」(人類の王国を意味すると思われる)は,「わたしたちの主とそのキリストの王国」となることが約束されており,キリストと共にその天の王国で統治する人々は「地に対し王として支配する」ことになっています。したがって,死に絶えた,サタンに支配された不敬虔な人間社会とは別の人類に対して支配するのです。―啓 11:15; 5:9,10。

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