-
イエス・キリスト聖書に対する洞察,第1巻
-
-
イエスの宣教の業が3年半続き,過ぎ越しの時にその死をもって終わったとすると,その期間に過ぎ越しが合計4回含まれねばならないことになります。それら4回の過ぎ越しが含まれていることを示す証拠は,ヨハネ 2章13節,5章1節,6章4節,13章1節にあります。ヨハネ 5章1節は,明確に過ぎ越しのことを述べてはおらず,「ユダヤ人の祭り[幾つかの古代写本では,この『祭り』という語に定冠詞が付いている]」に言及しているにすぎません。とはいえ,これが年ごとの他のどんな祭りよりも,むしろ過ぎ越しを指していると考えるべき十分の理由があります。
それ以前に,ヨハネ 4章35節で,イエスは,「収穫が来るまでにはまだ四か月」あると言われたことが述べられています。収穫の季節,特に大麦の収穫は大体,過ぎ越しの時期(ニサン14日)に始まりました。したがって,イエスがそのように述べられたのは,過ぎ越しの4か月前,つまりキスレウの月(11-12月)のころのことでした。流刑後の献納の祭りはキスレウの期間に行なわれましたが,それは人々がエルサレムに参集しなければならない大きな祭りの一つではありませんでした。(出 23:14-17; レビ 23:4-44)ユダヤ人の伝承によれば,その祝いは国中の多くの会堂で執り行なわれました。(「献納の祭り」を参照。)後に,ヨハネ 10章22節では,イエスがエルサレムにおけるそのような献納の祭りに出席されたことが明確に述べられています。しかし,イエスはその前の仮小屋の祭り以来,すでにその地域におられたので,特にその献納の祭りに出席する目的でエルサレムに行かれたのではなかったようです。これとは異なり,ヨハネ 5章1節は明らかに,その祭りは,イエスがそのためにガリラヤから(ヨハ 4:54)エルサレムに行かなければならなかった特定の「ユダヤ人の祭り」だったことを意味しています。
キスレウと過ぎ越しの時との間に催された他の唯一の祭りはプリムの祭りで,過ぎ越しの約1か月前のアダル(2-3月)に催されました。しかし,流刑後のプリムの祝祭も同様に国中の家々や会堂で祝われました。(「プリム」を参照。)それで,ヨハネ 5章1節で言及されている「ユダヤ人の祭り」が過ぎ越しの祭りであることは,まず間違いがないようです。その時,イエスがエルサレムにおられたことは,イスラエルに対する神の律法と一致した行動でした。確かに,ヨハネはそのあと,ほんの二,三の出来事を記録しただけで,次の過ぎ越しのことを述べていますが(ヨハ 6:4),「イエスの地上における生涯中のおもな出来事」と題する表を考慮してみると,イエスの初期の宣教の業を扱ったヨハネの記述は非常に短縮されており,他の3人の福音書筆者がすでに論じた多くの出来事は省かれていることが分かります。事実,これらの他の福音書筆者(マタイ,マルコ,およびルカ)が記録したイエスの膨大な量の活動は,ヨハネ 2章13節と6章4節にそれぞれ記録されている過ぎ越しの間にもう1回,年ごとの過ぎ越しが確かにあったという結論に重みを加えるものとなっています。
-
-
プリム聖書に対する洞察,第2巻
-
-
ヨハネ 5章1節に関する質問 クリスチャン・ギリシャ語聖書中にプリムの祭りに直接言及した箇所はありません。中には,ヨハネ 5章1節にそれに言及した箇所があると主張している人もいます。そこにはこう記されています。「こうした事の後,ユダヤ人の祭り[英語,a festival]があって,イエスはエルサレムに上って行かれた」。しかし,この節をプリムの祭りに適用できる根拠はありません。幾つかの写本には定冠詞が入っていて,「ユダヤ人の祭り[英語,the festival]となっています。(新世,脚注を参照。)これはその祭りが申命記 16章16節に挙げられている,季節ごとの三つの厳粛な祭りの一つであったに違いないことを示唆するものでしょう。特にイエスがエルサレムに上って行かれたことに注目すると,そう言えます。イエスはプリムの祭りを守るためにそうするよう求められていたはずがないからです。プリムは神殿よりも地方の会堂や地域と深いつながりがありました。この祭りは自分の住んでいる都市で守ることになっていたからです。また,イエスがエルサレムまで徒歩でずっと旅行し,過ぎ越しがすぐ1か月後に控えているのにそれからまたガリラヤに向かわれたというのは考えにくいことです。その上,ヨハネ 5章1節がプリムに,またヨハネ 6章4節が1か月後の過ぎ越しに言及しているという見方を採用するなら,イエスはその間にカペルナウムで宣教を行ない,ガリラヤを旅行し,それからまたカペルナウムに戻って,ユダヤ,エルサレムへと進まれたことになり,実際には不可能なほど多くの出来事がこの短い期間に詰め込まれることになります。(「イエス・キリスト」[イエスの地上における生涯中のおもな出来事の表]を参照。)ですから,ヨハネ 5章1節の「ユダヤ人の祭り」は実際には西暦31年の過ぎ越しの祭りであったと考えてよい理由があるのです。―「イエス・キリスト」(宣教の業が3年半にわたったことを裏付ける証拠)を参照。
-