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生き残る者たちは『世のものとなってはならない』真の平和と安全 ― どこから得られるか
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6 世の人びとに対してなんらかの愛を示すのは正しいことですか。
6 『世のものとならない』というのは,『人類を憎む者』になるという意味ですか。決してそうではありません。むしろわたしたちは,エホバ神を見倣う者となるべきです。ヨハネ 3章16節に記されていますが,イエス・キリストはわたしたちにこう言われました。「神は[人類の]世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされ(まし)た」。あらゆる種類の人びとへの神の親切と同情は,わたしたちの従うべき手本となります。―マタイ 5:44-48。
7,8 (イ)使徒ヨハネは世を愛することについてなんと述べましたか。(ロ)それはどういう意味ですか。ヨハネのその後の注解はこの点をどのように示していますか。
7 しかし,使徒ヨハネは,『世も世にあるものをも愛していてはならない。世を愛する者がいれば,父の愛はその者のうちにない』と言っているのではありませんか。神が世を愛されたのであるのに,なぜヨハネはこのように述べたのですか。―ヨハネ第一 2:15。
8 聖書の示すところにしたがえば,神が愛されたのは,単に人間たち,つまり,不完全で死にゆく状態にあり,自らは認識していなくても全く助けを必要とする者たちとしての人類です。神は,よこしまな欲望となって現われる彼らの不敬虔な資質を愛されたのではありません。また,彼らの犯す不敬虔な行為を愛されたのでもありません。使徒ヨハネが警告しているのは,人類世界のよこしまな欲望や行為を愛することがないようにという点です。彼はこう述べています。「すべて世にあるもの ― 肉の欲望と目の欲望,そして自分の資力を見せびらかすこと ― は父から出るのではなく,世から出るからです。さらに,世は過ぎ去りつつあり,その欲望も同じです。しかし,神のご意志を行なう者は永久にとどまります」― ヨハネ第一 2:15-17。
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生き残る者たちは『世のものとなってはならない』真の平和と安全 ― どこから得られるか
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11 それで,世に対する神の愛と,使徒ヨハネが非としている事がらが矛盾するものではないことを述べなさい。
11 わたしたちはここに,神が世に対して示された愛と,世のよこしまな欲望やならわしを愛することとの違いを見ることができます。使徒ヨハネが非としているのは後者です。人類の世に対する神の愛は,人びとがそうした罪深い欲望から,また死をはじめとしたその悪い結果から自由になるための道を開くこと,まさにそのために表わされました。神はその愛をご自身の大きな費えにおいて,つまり,人類を贖う犠牲としてご自身のみ子を与えることによって表わされました。しかし,だれにしても,その犠牲を退け,あえて不従順のうちにとどまる者については,「神の憤りがその上にとどまっている」と聖書は述べています。―ヨハネ 3:16,36。ローマ 5:6-8。
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