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祭壇聖書に対する洞察,第1巻
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西暦紀元後,使徒パウロはアテネの人々に話した際,「知られていない神に」と書き込まれた祭壇に言及しました。(使徒 17:23)この記述を裏付ける歴史的情報は豊富に存在しています。テュアナのアポロニオスはパウロの少し後にアテネを訪ねた人ですが,次のように述べたと言われています。「すべての神々を良く言うことは,大いに知恵と穏健さのある証拠である。とりわけ,知られていない神々にまで敬意を表して建てられた祭壇のあるアテネにあってはそう言える」。(フィロストラトス,「テュアナのアポロニオス伝」,VI,III)西暦2世紀の地誌学者パウサニアスは,ファレロン湾の港からアテネ市に行く道路沿いに,「“知られていない”という名の神々と英雄たちの祭壇」を見たと伝えています。彼はまた,オリンピアの「“知られていない神々”の祭壇」についても述べています。(「ギリシャ案内誌」:アッティカ,I,4; エリス I,XIV,8)1909年にはペルガモンのデメテル神殿の境内からも同様の祭壇が発見されています。
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アテネ聖書に対する洞察,第1巻
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アテネはまた非常に宗教的な都市でもあり,それが使徒パウロをして,アテネの人々は『他の人たち以上に神々への恐れの念を厚く抱いている』と言わせました。(使徒 17:22)歴史家ヨセフスによれば,アテネ人は『ギリシャ人の中で最も信心深かった』のです。(「アピオンへの反論」,II,130 [12])国家は宗教を統制し,また神々に敬意を表する公の犠牲や儀式や行列のための費用を払って宗教を奨励しました。神殿や公共広場や街路には偶像が置かれ,人々は,自分たちの知的饗宴すなわち談話会,政治集会,運動競技会に参加する前にはいつも神々に祈りました。アテネの人々は,どの神をも怒らせることがないようにと,「知られていない神に」祭壇を築くほどでした。パウロは使徒 17章23節でそのことに言及しています。2世紀の地理学者パウサニアスもこの点を裏付け,ファレロン湾の港からアテネまでの道(恐らくパウロも到着の際に通ったであろう)を旅行した際に,「“知られていない”という名の神々と英雄たちの祭壇」に気づいたことを記述しています。―「ギリシャ案内誌」,アッティカ,I,4。
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